午後の曳航のレビュー・感想・評価
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理想を抱く少年が現実の大人の日常を否定し断罪する三島文学の丁寧な映画化
理想がある限り完璧は求められる。特に現実に在る世間の実態を良く知らないで主張する子供にとっては、理想を夢にだけ見ようとはせず、堂々と恥ずかしくもなく完璧な対象を見つけ出したい欲求が強いだろう。そこにはまだ汚れない無知故の純粋な憧憬と先入観が入り混じって、その対象とされた人物は絶対的な英雄として尊敬され愛される。13歳の少年ジョナサンもその例に洩れず、大人の世界を侮蔑する天才的な頭脳の持主“首領”に否定されても、ベル号に乗って来た二等航海士ジムを理想の男として崇める。ジムが母アンと一夜を共にした行為まで覗き見し感動するジョナサンには、もはや疑う余地が無い。海という未知の世界の難局に耐えて強靭な肉体を作り上げていたジムは、ジョナサンにとって完璧であった。少年はそう信じた。だが、再びジョナサンのところへ戻って来たジムは、母親と結婚するために海の男を辞めてしまう。父親になるジムに失望するジョナサンは、母親の部屋を覗き見していたのが発覚して激しい叱責を受けた時、仲裁に入った彼の態度に絶望し、それが怒りに達する。この崇拝から憎悪の極端な転化にある少年の怖さ。勝手に裏切られたと思い込む少年の行動が、衝撃の最後を迎える。
夫を失いジョナサンと二人で過ごしてきたアンは、極普通の再出発を求めてジムと愛を交わす。ジムという男も少年たちが想像するような完璧な男ではないが、と言って人格的に駄目な男でもない。二人の関係は何処にでも見られる平凡な姿だ。この現実的な大人の思考に対して、少年たちの理想主義の拘りは異常であり、恐ろしい程のエゴイストである。
映画は実に美しい海岸の町を映し出し、秀抜な映像美でこの残酷な惨劇を描いている。三島文学への敬愛も感じられる丁寧な映画作りが成されていると思うが、題材が題材だけに映画作品として説得力を持つまでの演出力は感じなかった。それでもアンを演じたサラ・マイルズには豊かな表現力があり、母親の想いが伝わる演技に感心する。これに比べると、ジム役のクリス・クリストファーソンが弱い。ジョナサン役始め子役たちの演技も印象に残るものがなかった。三島文学の映画化には感謝するが、その期待値を上回る映画としての評価は出来ない。
1977年 3月18日 池袋文芸坐
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