クリーン、シェーブンのレビュー・感想・評価
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【”僕は、クリーンだ。と死に際に男は言った。”全編に漂う尋常でない不穏感が印象的な哀しき作品。観る側に与える心理的インパクトは非情に大きい映画である。】
■頭の中には受信器が、指には発信器が埋め込まれていると信じているピーター(ピーター・グリーン)。
正体不明の声やノイズが聞こえ、精神は錯乱していた。
施設を出た彼は、里子に出された娘ニコールを捜すために帰郷するが、図らずも連続幼児殺人犯として追われることになってしまう。
◆感想
・観ていて、気分的にキツイ映画である。
・不穏な音楽、ピーターが妄想の果て自分の爪を剥がすシーンや、カミソリで頭を切ろうとする姿。
<今作が長編初監督のロッジ・ケリガンに、今作の製作意図を聞いて見たくなる作品。とはいえ、観る側に与える心理的インパクトは非情に大きい映画である。>
予想だにしないラスト
前評判通り、画と音で観る側の想像を掻き立て、作り手の繊細さ(≒神経質)が伝わってくる。特に食事のシーンでの潰されたトマトや必要以上に塗られるマスタードは、ピーターの心情や母親との重苦しい関係が語らずとも伝わってくる印象的なカット。画面に所々映る線やノイズ等の演出は、今後映像作品を観る上で鑑賞のポイントとして参考になりそう。全編が奇怪なだけあり、予想だにしなかったラストシーンには静かに胸を打たれました。
そもそもピーターが犯人だったのかという疑問は鑑賞後にじわじわと湧いてきたのですが、これが監督のメッセージだったのですね。
ザラついた映像と、体液と、雑音。
ビデオドロームが1983
鉄男が1989
ヤコブスラダーが1990
この映画は1993だ。
たぶん病んだ人間を描いた作品のなかでも、ずば抜けたトラウマ級傑作。どこもかしこも痛い。
子供の頃に見なくて良かった。
映像、編集、音 全てが上手く働いて主人公の存在と、彼を取り囲む環境を描き切っている。
この手法の完成形。
絶対に参考になるから映像製作者は見るべき映画。
【より現代に通じるもの】
この作品が制作された30年近く前より、この映画の意図は、今、理解されやすいかもしれない。
監督は、統合失調症というものを描き、人々に、それがどのようなものか理解してほしかったとインタビューで答えていた。
終始、ラジオのノイズのような音や、遠くなのに大きい音だったり、近くなのに小さな音だったり、ボリュームのバランスの悪い騒音などが流れ続け、頭の中を駆け巡る。
そして、巻き起こる悲劇。
当時、統合失調症を患う人の、何らかの救いになればと制作された映画だが、情報が溢れ、ネットの攻撃的なやり取りが止まない現代社会こそ、統合失調症を患っているようならもので、この作品に通じるものがあるように感じるのは僕だけではないだろう。
決して、キレイにならすことなど出来そうにない。
愛が必要な映画だった。
これは愛情飢餓感の映画だなと思った。
抑圧の中育った母親に歪んだ愛情で育てられた主人公の男は「幸せ」に脅迫的な執着をみせている。これは私の予測でしかないが母親は子供よりも旦那をとる女で、子供に無関心。ピーターの頭で響く男の声は彼の中で作られた幻の父親のようなものだと思う。絶対的な存在で彼を支配して迫ってくる。統失患者にありがちな見張られている感覚や被害妄想が体内に送信機受信機を埋め込まれたという想定を生み出している。これは幸せでない状態を受け入れるため、なれない理由である障害を自ら創り出しているからだと思う。そんな中でも彼の妻との出会いや娘の存在は命綱のようなものだったのではないから。妻の死因は語られていないが、きっと自殺なんじゃないかと思った。この世界では多少、図太く強引な方が上手く立ち回るもので、捜査中の刑事も、あの子には父親が必要だ〜とか綺麗事をぬかしながら味方になることをだしにして初対面のシングルマザーと肉体関係を持ち、暴漢には屈して野放しにして、精神病患者を犯罪者と決め込み憎んで追い回して殺す。正常と異常とは?
トラウマから来る弱さと優しさが生きづらさを産むこの世の絶望的な一面が、映画全体の抑圧的なトーンと合わさってやるせなくて涙が出た。
死ぬ事が救いの世界なんて嫌だ。
色々な事に対応をせざる負えない娘の顔が終始不機嫌そうなのが世の中への反抗のようで共感と応援したい気持ちになった。いつか笑える日が来るんだろうか。
何か一歩違えば幸せな結末も迎えられたはず。自分次第と悟った男に母親が笑顔のひとつでも見せたら変わったのかもしれない、死んでから悲しんでも遅いのに。
コロナや不景気で絶望臭漂う今
悲劇を産まないために肯定や優しさの重要性どんどん高まってるなと思う
SO NOISY
幻聴と強迫観念に囚われる統合失調症の男の話。
嫁を亡くし壊れて行く中で、娘を養子に出された男。
幻聴に襲われてキレたり、頭を抱えて打ちつけたり、頭に何かを埋め込まれている気がして挟みで頭皮を切ったり…剃毛はヘタなだけみたいだけど…。
そんな中で起こる殺人事件の容疑者としてマークされる主人公。そして彼が近付く女の子。
まあ、サスペンスとしてつまらなくはないけれど、ミスリードっぽいなと感じてしまいちょっ
ともの足りず。ラストの展開は嫌いじゃないけど、銃を向けたとはいえ刑事の方の余韻が温く物足りなかった。
敵は何処に
現在はワクチンと5Gが妄想の材料となっているアレ
約30年前も苦しみは同じ 追い立てられ自傷行為に駆られ側から見るとやはり危険人物ナンバーワン
愛娘と再会しアイデンティティの確立を果たすも、、
*孤独と絶望の鬼気迫る演技をみせる
ピーター・グリーンは「パルプフィクション」の忌まわしき"ゼッド"でした
不穏に満ちたロードムービー??
ラジオの電波からの不穏なノイズ、屈強な黒人男性を想起させる罵声はピーターが収容されていたであろう精神病棟?でのトラウマか?
幼女の惨殺された死体、ピーターに目をつけた刑事、物語の序盤に車を盗み、おそらくは持ち主である女性が襲われる場面は描写されず、少女を殺した確信が確証にはならず危ういギリギリの線を踏み外す互いに!?
娘を探し出す明確な物語がありながら、奥さんが死んだ理由や母親の素っ気ない態度、養子に出された娘と新しい母親の関係、娘が父親に対する思い、何よりもピーターの現状の理由は周りの人間から想像するしかない。
目を覆いたくなる場面よりも主人公であるピーター自身の姿や行動全てに恐ろしさを感じてしまう。
刺のように確実に刺さります。中々抜けません。
25年振りのリバイバル上映だが、古くささは全く感じなかった。
イタいだけのキワ物ホラーかと危惧していたが、とんでもない。
何とも切なく哀しい佳作。
映画ラスト近くの洗濯物大量干しシーンには、自然と涙が流れて私のマスクに染み込んだ。
ノイジィーな音響、冷徹な撮影、全員コミュ障の登場人物…
混沌の極みの様な現代だからこそ、今、観るべき映画だと思う。
主演のピーター・グリーンの演技力の確かさには驚いた。文字通りクレージーな荒唐無稽な設定を、リアルな物語に変えてしまったのは、絶対的に彼の演技の賜物。
わかりにくい点もあるので、公式サイト事前予習必須。
今年111本目(合計175本目)。
まず、「シェーブン」 shaven は「ひげをそる」という意味の動詞。cleanは「きれいにするですね。まずここを知らないと、「シェーブン」という人が出てくるのかな?という点で混乱しそうです。
統合失調症をテーマにしているため、「その意味で」ストーリーは支離滅裂であり、もっぱらその症状も描かれるため(妙にラジオの天気予報に興味を持つなど。ストーリーの4割近くはラジオで天気予報を聞いてる)、こういう精神疾患の方もいる、という点を理解しないと、何がなんだかわからず、最後まで理解不能ではないか…と思います。
もっとも、多少なりとも前日に予習しましたレベルでも、やはり統合失調症の患者さんを扱う映画ですので、「結果的に」ストーリーが支離滅裂である点は仕方がなく(逆に、その主人公なのに思考がクリアで、何の問題もないがいきなり不穏当な発言を「突如」始めるほうが混乱する)、この点は問題視しませんでした。
※ そもそも、この映画、現在ではシネマート新宿/心斎橋でしかやっていないそうです。
ただ、下記の点が明確に気になりました。最悪、映画館とのトラブルを引き起こしかねないので、いくら「こういう内容を扱う問題提起型の映画」といっても、トラブルを引き起こしかねない内容は事前に断りを入れるべきだろう…と思います。
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(減点0.3) 先にも述べた通り、統合失調症の患者さんがテーマの映画です。そしてこの疾患は(この映画の中では、ストーリーの最後まで)治りません。
これが実はエンディングにまで入り込んでいて、エンディングクレジットのいろいろな箇所(場所は移動する)が意図的に隠れたりする「放送事故」的な描写があります。
私は眼鏡持ちなので、眼鏡が壊れたのか…と思ってふいたり、別の角度から見たくらいです。
そのあと「ご視聴ありがとうございました」みたいな(シネマートの)画像が1枚でますが、そちらはいたって普通なので、反対解釈すればその部分(エンディングのクレジット部分)だけがそういう描写になっていたことになります。
さすがにこれは混乱するというか、シネマート新宿/心斎橋さんはどちらもミニシアターで、ミニシアターならではの苦労(維持の大変さ)もあるので、観客側は放送トラブルか?と思い込んでも仕方がなく(大手の映画館だとまずないですが…)、もちろんこのシネマート系は映画館とお客さんの距離感が近い映画館スタイルなので、実際にトラブルになることはないと思いますが、大手の映画館でやると苦情が来るんじゃないか…と思います。
この点に関しては、最初に「エンディングの描写は意図的なものです」くらい、最初に入れておくべきだったのでは…(トラブル防止。日本で放映される映画で統合失調症を扱った映画はいくつかあるが、その疾患のため「ストーリーが支離滅裂」、という類型は多くても「エンディングロールまでおかしい」という映画はなかったはず)というところです。
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正直かなりキツイ
目を背けたくなるようなエグい描写もさることながら、通奏低音のように鳴り続けるノイズや恐らく主人公ピーターにしか聞こえていないであろう声など、精神が持っていかれそうになる演出がかなりキツい映画だった。ストーリーもあってないようなもので、脇筋の殺人事件など、展開の都合上入れましたみたいな感じが否めない。
けれどもじゃあ観ないほうが良かったかというとそうでもなく、割と切ないお話ではあるのよねー。一見そうは見えないけど。
良い?映画
統合失調症を患っている男が主人公の物語。
物語は、男が病院?療養所?…まるで刑務所か収容所のような施設を退所する場面から始まる。
退所?しても、なお幻聴や妄想に悩まされており、症状が収まってもいなければ、治療のための投薬を受けている様子もない…つまり、彼にとって十分生きづらくなってしまった社会へと再び、そのまま放り出されてしまうのだ。
症状に悩まされる彼が、自分自身の気持ちを安定させようとするその行動は、周囲には異様かつ過剰に映ってしまう…繰り返される痛々しい"自傷行為"には、その疾患ゆえの彼なりの理由があることがわかる…その描写はかなりホラーチックですが。
彼は、養子に出され生き別れ状態になっている実の娘に会いに行こうとしますが、時同じくして少女殺害事件を追う刑事のストーリーとリンクして、物語は進行・展開していきます…。
正直、サスペンスやスリラーとしては、それほど面白くはない、またラスト・シーンも特に衝撃的でも何でもない(笑)
犯人探し的な目で鑑賞すると、たぶん面白くとも何ともない(笑)…でも、演出はそういうところも狙っているような気がせんでもなかった…笑(英語版ウィキペディアには、ちょっと詳しいプロットの説明があり「あぁ、なるほど」とはなりましたが、映画では分かりにくかったですね笑)。
個人的には、主人公"ピーター"を演じたピーター・グリーンの狂気な演技ぶりと、それを上手く捉えた監督の手腕に発見のある作品でした。
*なんか統合失調症患者=犯罪者予備軍的な表現もあるため、ちょっとそこんところ、気になりました…。コンプライアンスの厳しい時代、地上波にのることは多分無いでしょう…笑
25年ぶりの衝撃
主人公、ピーターの頭から常に発せられるラジオのノイズや声に惑わされながらもいつしか見る側は彼と同じ目線で世界を不安視する様に麻痺し壊れていく、25年の時を経て対峙する混沌と混線の先に待ち受ける衝撃!凄かった。重く痛々しく苦しくも、切なくラストのエンドロールのノイズが只々響き渡り…印象的で感慨深い作品だった。
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