「人の心を天秤に架ける都市伝説(キャンディマン)」キャンディマン(1992) 近大さんの映画レビュー(感想・評価)
人の心を天秤に架ける都市伝説(キャンディマン)
リブート続編を見たので、オリジナル前作も併せて鑑賞。有難い事にU-NEXTで配信されていたし。
都市伝説の恐怖。
題材は同じでも、アプローチは全く違うと感じた。
2021年版は殺人鬼×スプラッター・ホラーを現代に蘇らせつつ、より人種差別や社会問題(と“アート映画”)などのテーマを強調。
こちらもキャンディマン誕生秘話にはそれらがありつつ、あくまでバックボーンに留め、より低予算ホラーとしての趣向、醍醐味。
アーティストのインスピレーションとしてキャンディマンを調べていくという変わり切り口だったのに対し、ヒロインである大学院生ヘレンが卒論のテーマとしてキャンディマンを調べていく本作の方がシンプル。
インパクトやパンチ力は2021年版の方が勝っていたが、都市伝説の恐怖、不気味さなどはやはりオリジナルの方が上手。
人それぞれ好み分かれるだろうが、リブート版も悪くなかったが、ストレートにホラー映画として面白味あったのはこちらであった。
話もなかなか作り込まれ、捻られている。
都市伝説調査。それに纏わる歴史、悲劇…。この手のホラーの十八番で、興味そそる。
調べていけば調べていくほど、奇怪な場面、出来事に直面する。
遂に姿を現した“伝説”。それは現実か、妄想か。悪夢迷宮に迷い込んだようなその狭間。
正気を失っていくヘレン。赤子誘拐や殺人の濡れ衣まで。
誰も信じてくれない。こういう主人公が周囲からキチ○イ扱いされる設定は個人的にヘヴィで少々苦手意識があるのだが、ヒロインの憔悴、孤立、悲しみ苦しみ、追い詰められ感は充分。
キャンディマンがヘレンを狙う理由。単に足を踏み入れ過ぎてしまったから…ではない。キャンディマンの過去…。
ラストは衝撃的であり後味悪く。“キャンディマン伝説”を継承。
2021年版で忌まわしき伝説化されていた本作の“ヘレン事件”。その真相…。
本作を先に見てれば2021年版のリンクネタを楽しめただろうが、逆でも面白味あった。
キャンディマン伝説や社会派テーマなどのオマージュ、ヘレン事件、アン=マリーとアンソニー…。元ネタ発見の面白さ。
また、ヘレンが写真を撮った際のサブリミナル効果も恐怖感倍増。一瞬、私の視覚がおかしくなったかとさえ錯覚した。
2021年版は新進気鋭の才が集ったが、こちらだって。
原案はホラーの大家、クライヴ・バーカー。
監督は文芸映画も手掛けるバーナード・ローズ。(『サムライマラソン』はビミョーだったけど…)
音楽はフィリップ・グラス。哀切漂う旋律が印象的。
ヘレン役のヴァージニア・マドセンが魅力的。ホラーに美人ヒロインは付き物のまさにドストレート! 熱演も見せる。
しかし、やはり何と言っても圧倒的存在感示すは、キャンディマン役のトニー・トッド。
当時画期的だった黒人のホラー・キャラ。黒人を悪役キャラに当てるのに批判の声も上がったという。
何事も“初めて”には批判的な声が上がる。それが今はどうだろう。
正直言うと、『キャンディマン』をしかと認識したのはこの2作一気見が初めて。うっすらと名前は聞いていたが。
それでもインパクトはしっかり私の脳に植え付けられた。ブギーマン、レザーフェイス、フレディ、ジェイソン、チャッキー…彼らと共に、ホラー映画の名キャラと言えよう。
その立役者であるトッド。単なるキワモノ的なキャラに陥らず、知的でスマートなのは、トッド本人の佇まいからだろう。
意外性を付いたキャラ設定だが、他のホラー・キャラとは一味違う魅力。だって他の皆さん、知性より“殺せ!殺せ!殺せ!”の力押しなんだもん。
キャンディマンを信じる低所得の住人たち。“信じる側”は時に失笑され、ヘンな目で見られ、バカにされる。
が、恐怖であろうと伝説であろうとそれを教訓とし、ある意味我が身を守り守られ、理性を失ったりしない。
キャンディマンを信じない中流~上流層の者たち。“信じない側”は時に自分の意見/考えこそ正しいと固執し、視野も狭い。
それが覆った時…。見るも無様で、哀しい取り乱し。
正気を失っていくヘレンの姿は、独断的な者たちの姿、末路と言えよう。
信じるか、信じないか。
キャンディマンは、人の心の闇を天秤に架けた具現なのかもしれない…。