劇場公開日 2025年3月15日

「アリ・アスターに影響を与えたとされる疑似サイレント映画(実は1988年の実験映画)。」ギムリ・ホスピタル じゃいさんの映画レビュー(感想・評価)

2.5アリ・アスターに影響を与えたとされる疑似サイレント映画(実は1988年の実験映画)。

2025年3月21日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

ええと、なんか思ったより、面白くなかったかも(笑)。
事前の告知ポスターや予告編を観るかぎりじゃ、めちゃくちゃ面白そうに思えたんだけど、なんとなく僕の好きな勘所から外れてて、残念だった。

明らかに1920年代のドイツ表現主義やシュルレアリスムのサイレント映画を模した作りで、趣味性の強いゴチック・テイストの舞台立て。
やっていることは、間違いなく僕にとってドストライクなんだけど、じゃあ何が物足りなかったかといわれるとうまく説明ができない。

別に意味がわからなくても、パトリック・ボカノウスキー監督の『天使』とか、ケネス・アンガー監督の「マジック・ランタン・サイクル」とかはふつうに楽しめたし、元ネタになっているドイツ表現主義映画も嫌いじゃない。マン・レイやルイス・ブニュエルあたりのシュルレアリスム系のサイレント映画も一応観ているし、ガイ・マドンが影響を受けたというデイヴィッド・リンチだって抵抗なく受け入れている。
でも、今回のガイ・マドンは楽しめなかった。

結局のところ、「それなりに筋があるのに、その筋が絶妙に意味不明で、しかも面白くもなんともない」という、ストーリーテラーとしてのハンパさ加減と、それを補うだけの視覚的衝撃性や説得力のある幻視力の描出に欠くという、ヴィジョナリストとしてのハンパさ加減が相まって、僕にはピンとこなかったんだろうと思う。
あとは、期待しすぎだった、って要素も大きいんだろうけど(笑)。

少なくとも日本では、ブラザーズ・クェイとかボカノウスキーのように、「カルト」として再三上映されるほど「定着していない」という事実自体が、世間的にもそこまでインパクトを与え得なかったことの証左かもしれない。

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前宣伝の雰囲気から勝手に、テイストは「デイヴィッド・リンチ meets ジョン・ウォーターズ」で、外観は『カリガリ博士』や『ドクトル・マブゼ』を模しているような得体の知れない代物を予期していたのだが(すなわち、サイレント映画版のラース・フォン・トリアー『キングダム』みたいなのを想像していた)、実際はそこまでダークな作りじゃないんだよね。

基本は、田舎を舞台にした「メロドラマ」っぽい内容だし、展開の遅さや、茫洋とした感じや、若干とっぽくて全体に緩い感じまで、20年代のサイレント映画を模倣しているというか。
話の焦点が常に合っていないので、今なんの話をしていて、どうなってるのかが、観ているこっちもよくわからない。よくわからないまま、映像の迫力で観られちゃうのならそれでもいいのだが、そこまで衝撃的なショットが出てくるかというと、そうでもない。
で、ゴチック・テイストとか怪奇味とか幻想美が強いかというと、それもない。

メインの登場人物は、天然痘にかかって入院した主人公の男と、横のベッドに入院しているモテ男のふたり。延々どうでもいいような横恋慕と男の嫉妬の話が展開され、女の看護師3人組にモテるモテないとかいってるうちに、だんだんホモセクシャルな「ライバルどうしのぶつかり合い」に発展していく。さらには「ハサミ」を介して回想される、過去の曖昧な「妻の死とネクロフィリア」の因縁話が出てくるのだが、これもただ観ているだけでは到底理解の及ばないような内容で、僕の場合は家に帰ってからネットであらすじを読んで、初めて「へえ、そういう話だったんだw」みたいな……。理解が足りなくてすいません。
全体に、「実際に入院して高熱にうなされている患者が観ている悪夢」をそのまま映画におこしたような内容で、70分しかないわりには、体感時間のびっくりするくらい長い、僕にとっては本当に退屈な映画だった。
(もちろん、みなさん好き嫌いがあると思うので、気になる向きは僕の意見なんか気にせず、ぜひ劇場に足を運んでくださいね!)

ラストで唐突に鳴り響くワーグナーの調べ。エレベーターのようにカメラが上昇していくと、そこに厳かなる天界の「アークエンジェル」が待ち構えている……。次作予告を兼ねたラストショットこそが、本作のなかで一番虚をつかれた面白い瞬間だったかも(笑)。

じゃい