「昔の吹き替えTV放映版での己の理解の至らなさに気付かされ…」奇跡の人(1962) KENZO一級建築士事務所さんの映画レビュー(感想・評価)
昔の吹き替えTV放映版での己の理解の至らなさに気付かされ…
かつての吹き替えのTV放映版の鑑賞で
何が印象に残っているかと言えば、
ラストの井戸のシーンでの
“water”を“水”とする吹き替えでは
ヘレン・ケラーの口の動きとが
余りにも違い過ぎるところ、
“お水”として違和感を無くするという、
吹き替えスタッフの機転に感心したこと
だった。
そんな影響もあって今回の放映は、
“water”をどう字幕スーパー化するのかとの
つまらないことにこだわっての再鑑賞に。
しかし、そんな思いなどは吹き飛ぶような、
しつけのシーンを中心とする
凄絶な二人の葛藤の世界に
引き込まれ圧倒された。
多分に、昔観た吹き替え版は短縮版だった
ように感じさせられるばかりであると共に、
幾つかのミスリードもあってか、
当時の己の理解レベルの低さを
思い知らされるばかりの再鑑賞ともなった。
その一つが、原題が“The Miracle Worker”とは
私は認識していなく、
冒頭のタイトルバックに驚かされた。
えっ、Worker?
聞き及んでいたヘレン・ケラーの人生から、
私は、“奇跡の人=ヘレン・ケラー”のことと
思っていたので、今回の鑑賞で原題を見て
ビックリしてしまうとのお粗末さ。
また、問題の井戸での“水”のシーン。
今回の字幕スーパー版では
何の表記もされなかった。
それはそうだろう、
そもそもが“water”と発音出来ていない
のだから。
かつてのTV放映版では、
劇的性を強調したいがためか、
あえて“お水”と吹き替えして、
あたかも、その瞬間にヘレン・ケラーの
全ての目覚めがあったかのように、
私は錯覚させられていた。
サリヴァン先生の指文字は、
“物を区別する単なる記号”ではなく、
“物には名前があるという
重要なメッセージ”で、
それに向かっての進展が
決して劇的ではなく、
今回の字幕スーパー版での再鑑賞では、
二人の葛藤の末に培われた
サリヴァンとヘレンの信頼関係こそが、
ラストの奇跡のシーンを生む土壌であった
ことを知ることが出来た。
そんな演出の上手さにも気付いていなかった
以前の鑑賞であったことを
痛感させられると共に、
その後のヘレン・ケラーの
並外れた努力があって偉人のレベルに達した
彼女の人生への理解にも今回は繋がった。
そして、この作品は、
そんなヘレン・ケラーを高みに導いた
正に、“Miracle Worker”サリヴァンの物語
であることが腑に落ちると同時に、
この作品がいかに名作であったかを
認識出来る、
私にとっての貴重な映画の時間となった。