劇場公開日 1977年8月6日

「ルイ・マル30才の作家の映画」鬼火(1963) Gustavさんの映画レビュー(感想・評価)

4.5ルイ・マル30才の作家の映画

2022年3月11日
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鑑賞方法:映画館

この映画は、「死刑台のエレベーター」で華々しく本格デビューしたルイ・マル監督の傑作として当然のように1964年頃日本公開するはずだったが、内容のあまりの暗さでお蔵入りになった曰く付きの作品だった。それが漸く10年以上の年を隔てて本邦初公開された。確かに内容は、ひとりの男が自死を決意し、それを実行するだけの暗鬱とした二日間の短い時間を描いた地味な映画であり、主人公を演じるモーリス・ロネの渋い演技も興行的に難しいと思われても仕方ない。
この映画は、単にストーリーを知るだけに観ていては、誰にだってつまらないに違いない。わざわざ劇場に駆け付け、ブルジョアらしきアルコール依存症の男が生きる望みを失っているだけなのをじっくり観たところで何が楽しい。凡そ映画本来の楽しみ方を無視して、この映画は作られている。マル監督は、デビューしてから「死刑台のエレベーター」「恋人たち」「地下鉄のザジ」「私生活」と順調に一年に一作と発表して来て、この時30歳を迎えていた。人生において、もっとも意欲的な姿勢を構える年代である。生きている実証が欲しい時に、マル監督が創作したこの絶望の内容から言えることは、それまでの自分を一度リセットして、純粋に自分の為の映画を作りたかったのではないかと想像する。それはそれまでの自分を殺すこと。

ルイ・マル監督は、「死刑台のエレベーター」「恋人たち」を見て解る通り、最新の流行を取り入れ贅沢な生活を送るブルジョアを登場人物にしてきた。その彼自身も企業経営者の子に生まれた富豪であったが、映画を学んで僅か23歳で記録映画「沈黙の世界」で成功を収め、25歳で処女作「死刑台のエレベーター」で俊才を証明する。あまりにも順調過ぎる経歴と評価だ。贅沢な生活を知る点ではルキノ・ヴィスコンティ監督に準ずるし、25歳にして代表作を手掛けたところはオーソン・ウェルズの早熟さに似ている。才能があることは明白だが、この恵まれた環境に対して、このままではいつか創作活動が枯渇する恐怖心があったのではないだろうか。
フランソワ・トリュフォー監督とは真逆の出自を持つルイ・マル監督は、ヌーベルバーグではないと私は思っている。ドキュメンタリー映画を出発点にしたマル演出の特徴は意外とオーソドックスなもので、モンタージュに特に斬新さは無く、題材の異色さにマル監督の特徴がある。それに、音楽の趣味が良いことも挙げられるだろう。この映画は、モノクロ映像の美しさと、死を覚悟した男の最期の私生活を見詰めた演出タッチ、それに合った静かで物憂いエリック・サティの音楽が奏でられた世界観を観る映画である。

マル監督についても、この映画の主人公についても、全てが満たされた人生程つまらないものはない。人間は何か一つ満たされないものがあって生きて行く目的が出来るのではないか。この映画を創ることで、マル監督は自殺することなく再び映画を創っていく。その意味で、これはマル監督の人生観を反映した作家の映画と言えるだろう。マル信者を自認する私には、とても興味深い傑作であった。マル監督のある意味分身と思われる主人公を演じたモーリス・ロネの名演と共に。

  1978年 4月27日  名画座ミラノ

尊敬する監督はと聴かれたら、チャップリン、フォード、ルノワール、ヴィスコンティ、フェリーニ、デ・シーカ、ヒッチコック、レネ、ブレッソン、ドライヤー、ベルイマン、クレール、ラング、クルーゾー、トリュフォーと挙げられるが、好きな監督なら、マル、キャプラ、ルビッチとなる。何よりユーモアが大好きだし、マル監督については、どんな作品でもすんなり映画の世界観に入っていける演出タッチが一番自分に合っている。観ていて安心できるのだが、このような暗い題材でも何故かそれは当て嵌まる。

Gustav