劇場公開日 1951年8月3日

「シネマヴェーラでのサミュエル・フラー特集上映。表題作ほか、6本分の感想です。」鬼軍曹ザック じゃいさんの映画レビュー(感想・評価)

3.5シネマヴェーラでのサミュエル・フラー特集上映。表題作ほか、6本分の感想です。

2025年3月16日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

ここ最近、時間が合えばシネマヴェーラのサミュエル・フラー特集「映画は戦場だ! サミュエル・フラーの映画魂」に通っている。
めちゃくちゃ面白くて、ビビっている。

もともとはゴダール映画を通じて存在は知っていたけれど、ちゃんと観たことはなく、数年前に『裸のキッス』(64)を同じ劇場で観たくらい。今回、まとめてやってくれたおかげで、ようやく真価の一端に触れられた気がする。

何が面白いかというと、
●設定が面白い。
●ストーリーが面白い。
●キャラクターが面白い。
●小ネタが面白い。
なんだそれ? 当たり前じゃん、と思われるかもしれないが、要するに、そういう「娯楽の基本」がちゃんと押さえられているのだ。「どう撮るか」とか「何を語るか」といった映画論はさておいて、とにかく「観客にとって目新しい内容」を「先読みできない展開で見せる」という「本道」をきちんと貫いている。

あと、今回の特集上映で感じるのは、サミュエル・フラー本人が監督した作品ではない、原案協力や原作提供の作品でも、すげえ面白い快作が混じっていること。これは、フラー周辺の映画環境自体が充実していた証ともいえるし、このラインナップを組んだ映画館主の慧眼が評価されるべきでもあるだろう。

ただ、映画.com には感想の書き込める作品があまりに少なく(運営に報告すれば書き込めるようになるというのは、親切な方にコメント欄で教えていただいて存じ上げているのだが、なにぶんビビりで、人生で店にクレームをつけたことすら一回もない弱キャラなので……)ここで何本かずつ、寸評を備忘録としてつけておきたい。

『報道前線』(41) アーチー・L・メイヨ監督(フリッツ・ラングを引きつぐ)
掘り出し物、その1。74分の短い映画ではあるが、控えめにいって最高。
サミュエル・フラーは原案で参加。
独軍空襲中のロンドンで、爆撃にあった通信社をホテルの地下に移して存続させようとするデスクのドン・アメチーの奮闘ぶりを描く。
主人公の激烈なマシンガン・トークと、躁的な通信社の演出に胸が高まる。これぞ憧れに満ちた「ブンヤ」の世界! 常にテンパってて突っ走ってて、一瞬毎に危機に対処し、それをかいくぐって活字にしてゆく、息つく間もない仕事ぶりに、こちらは息をのむ。
コーヒーや紅茶を注いで回るのが仕事の少年が常駐していたり、屋上で伝書鳩小屋が実働していたり、当時の通信社の「小ネタ」が目新しい。戦時下で空襲警報がなるとみんなで地下鉄に雪崩れ込むのだが、そこは曲芸師が芸を披露し、音楽が奏でられ、客たちは雑魚寝しながら交流を広げる若干陽気な別世界。あと、戦争のただなかにホテル客がダンス・パーティに興じるふてぶてしさにも、ロンドンっ子の不屈の魂を感じる。
その他、暗号文書のやりとりとか、情報士官の常駐(記事を出していいかを審査する)、盲目の電信技士の存在(異様に耳が良いのが伏線)など、当時の通信社の様子が活写されていて、観ていて胸が躍る。
で、爆撃を受けた通信社が移転するにあたって、少年が一人残って鳩小屋の管理を請け負い、一方でドン・アメチーは通信網の確保と独軍の情報獲得、そして夜闇のなか出逢ったテレタイピストとの恋に邁進していくが……。コメディ調で展開するなかで、複数の犠牲が出るシビアな展開。ラストでは、「国防かスクープか」の二者択一で、文字通りのつかみ合いの戦いが展開される。あっという間の74分。★★★★

『折れた銃剣』(51)サミュエル・フラー監督
朝鮮戦争を舞台に、中国軍と戦う米兵の部隊の一日を描く。本体の移動に合わせて、後発して時間稼ぎをするよう言い渡された「捨て駒」たちが、洞窟に立てこもってゲリラ戦を展開する。
戦争映画だが、構図としては「良いコーカソイド」対「悪いモンゴロイド」という「西部劇」のフォーマットを、ほぼそのまま移入した作りとなっている。
角笛を吹きまくる中国軍とか(足元の箱には漢字で「爆弾」)、凍傷対策にみんな裸足になって足裏をこすりつけあうホモソーシャルな儀式とか(痛覚がなくなったら危険信号なので、足を叩きまくって血行を良くする)、相変わらず満載の小ネタが抜群に面白い。
銃を撃てない士官の苦悩とか、職業軍人の気概とか、なんでも知ったかするインテリの兵卒とか、人物模様も魅力的。昔、『エリア88』を夢中になって読んでいたころを思い出した。
どんなに自分はマネジメント業務や方向性の決断の責務には向いていないと思っていても、上司がいなくなれば、別の誰か(すなわち自分)が上司の役を務めなければならないという、「会社あるある」を、そのまま軍に移し替えた物語でもある。
多少ナラティヴに説明的すぎる部分や、逆に説明の足りない部分などもあって、必ずしもバランスのとれた映画ではないかもしれないが、十分に楽しめた。
主演のリチャード・ベイスハートって、原潜シービュー号のネルソン提督とか、刑事コロンボの「ロンドンの傘」の犯人やってた人なのね。そういや面影あるな。★★★1/2

『ショックプルーフ』(49)ダグラス・サーク監督
サミュエル・フラーは脚本で参加。
愛人のために人を殺して刑務所に入っていた美女と、出所後の面倒を見ることになった保護観察官との恋を描く。前半は魅力的な女性に堅実な稼業の男が入れこんでいく過程を描き、後半は身を持ち崩した男と女の逃避行を描く、典型的なノワール・プロットを採る。
ヒロインの踏ん切りの悪さと、保護観察官のチャイルディッシュな言動に若干いらいらするし、テンポ感においても少しとっぽい仕上がりだが、先の読めない展開で最後まで引っ張って見せる。「保護観察官」というちょっと特殊な職業について、小ネタを含めて紹介してゆくやり方や、盲目のお母さんを巻き込んでいくつくりが、いかにもフラーらしい。
ラストは唐突な感じで比較的穏当な結末に落ち着くが、フラーのオリジナル脚本はアンハッピーエンドだったのをスタジオが嫌って、ヘレン・ドイッチュに新たに書かせて撮り直させたものらしい。あと、主演の二人は当時、本当の夫婦で、その後、51年に離婚したそうな(笑)。この映画がきっかけだったりして。★★★

『スキャンダルシート』(52)フィル・カールソン監督
掘り出し物、その2。
こちらは、原作小説がサミュエル・フラー。
すっげえ面白かった!!
低迷する古参の新聞を、センセーショナルな煽情記事主体に切り替えることで、部数を大幅に上げた名物編集長。
彼は、新聞社が主催の独身者パーティで、出席していた元妻(20年前に彼女を捨てて今の名前にひそかに改名している)と偶然再会し、成り行きで死なせてしまう。うまく処理したつもりが、今度は事件の真相を某人物にかぎつけられて……。
倒叙ミステリーなのだが、殺人者が新聞社の編集長で、自分で発行している新聞の事件記事によってどんどん追い詰められてゆく流れが抜群に面白い。
自分が手塩にかけて育てた優秀な若手記者が、「目撃者を見つけました!」「犯人の昔の写真を見つけました!」「犯人の正体がわかりました!」と、肝の冷えるような爆弾発言といっしょに証人や証拠をがんがん持ち込んでくる。身バレの危機にさらされながらも、衆人の手前、「編集長」として「でかした!」「よくやった!」「見せてみろ」と反応するしかない殺人者(笑)。
事件を報道するたびに、新聞の売り上げは爆上がりし、編集長としての名声もうなぎ上りになっていく。だが、その記事によって、殺人者はにっちもさっちもいかない状況に追い込まれることに……。
とにかくアイディアと設定の勝利だよね。究極のダブルバインド。
可愛い部下がスクープをぶち上げるたびに、冷や汗を流しながら対応しつつ、後で死にそうな顔で汗を拭いたり顔を洗ったりしている殺人者が最高におかしい。
あれだけ重要な証拠品を、間違って老記者に与えるようなバカはいないとか、「なぜ老記者が証拠を持っていることを犯人が知り得たのか」(基本は通報を受けた新聞社の人間しか知らないはず)を追及する流れにならないとか、この映画には致命的な弱点が散見される。だが、そういったキズを補って余りあるくらいにシチュエーションと犯人の反応が楽しすぎる。ラストで犯人が弟子の記者に向かって放つ一言も忘れがたい。
犯人役のブロデリック・クロフォード、最高。ドナ・リード&ジョン・デレクの新聞記者コンビは美男美女だし、アル中の老記者役のヘンリー・オニールも味わい深かった。★★★★

『演説の夜』(43)オットー・プレミンジャー監督
第二次大戦前夜。アメリカにあるドイツ領事館の警護に、妙ににやけ顔で人懐っこい警官が配属になる。ここの領事はギャンブル狂のろくでなしで、自分の罪を男性秘書に押し付けて帳簿ごと隠ぺいしようと画策している。奥さんは領事に嫌気がさして離婚を懇願しているが、収容所に捕らえられた父親を人質に取られて身動きがとれない。男性秘書は祖母がユダヤ人であることがわかって窮地に立たされている。
そんななか、ヒットラーの演説がある夜、それを聴くために集まったディナーの席上で、領事が殺されて……容疑者は、秘書、奥さん、総監、精神科医。果たして犯人は?
外はドイツ系アメリカ人による激烈な反ナチデモ、内はヒットラーの大演説が響き渡るなか、殺意と陰謀を秘めた人々が卓を囲む。異様な状況下で、思いがけない本格ミステリー風の推理が展開される。
なんといっても見どころは、オットー・プレミンジャー自身が演じる領事。似た顔だなと思ったら本人だったのか(笑)。台詞の半分は領事がしゃべっているので、ほぼ主役です。
というか、もともとは彼の演出と主演でブロードウェイで200回以上上演された劇の映画化で、同じ役で出演が決まった際、監督もやらせてほしいと申し出てゲットしたらしい。プレミンジャーとしては、リリー・ヘイワードの脚本を「ひどい」と考え、新人のサミュエル・フラーを呼び込んで書き直させたとのこと。
禿げた悪人顔と凄い訛りの怪演ぶり、俳優と監督を兼ねる亡命演劇人という意味では、エリッヒ・フォン・シュトロハイムを思い出させるが(完璧主義者で暴君、サディストという人間性もそっくり)、なんか誰かに似てるなと思ったらバスケのトム・ホーバス監督か(笑)。
若干陳腐な内容だし、あまりにプロパガンダ映画ぶりを隠していないので辟易する部分もあるが、舞台劇らしい先の読めない展開はそれなりに楽しい。何より、オーストリアから亡命してきたユダヤ人のプレミンジャーがこの反ナチ映画を撮っていること自体に大きな意味がある。 ★★★

『鬼軍曹ザック』(51)サミュエル・フラー監督
『折れた銃剣』と同じ年に撮られた、朝鮮戦争ものの戦争映画の佳品。韓国人の孤児に助けられた軍曹が、黒人医師の衛生兵や出来の悪い兵隊一派(『折れた銃剣』の捨て駒部隊を思わせる)と合流したりした末、パゴダ風の寺院にたどり着き、そこに監視拠点を構築するのだが……。
冒頭の、ヘルメットの下から顔が出てくるヤドカリみたいなショットや、近づいてくる謎の裸足、突きつけられる銃、振り下ろされる短剣、といった一連の演出が冴える。
そのあとの森での樹上のスナイパーとの銃撃戦や、パゴダでの先に隠れていた敵兵との息詰まる化かし合い、その後の多勢に無勢の総力戦(やはり東洋人はインディアンのような扱い)など、一連の戦闘描写はいずれも見ごたえ十分。
差別用語の軽口がバンバン飛び交うなかで、日系人による422部隊の話や黒人公民権運動といった人種差別問題が、1951年公開のB級娯楽映画のなかで真剣に扱われていることに驚愕する。『折れた銃剣』同様、組織論やリーダー論、職業軍人論が展開されるあたりも、いかにもフラーらしい感じ。
小頭症のような奇矯な形状の丈六仏や、謎の多い韓国人の慣習など、今の日本人には得体の知れない東洋的要素が多出するが、どこまでが「韓国だと本当にある話」でどこからが「ハリウッドの適当な東洋理解に由来するガセ」なのかは、正直よくわからない。
少年とのバディ・ムービー的要素が強い分、終盤の展開はつらい。★★★1/2

じゃい