オール・アバウト・マイ・マザーのレビュー・感想・評価
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女であることを謳歌する
観ていた時、「なんでこんなに知ってるの!」と驚いたし、女に生まれてきた幸せを感じた。
不思議なものだ。マヌエラもロサもウマも、アグラードもロラも、ニナもロサのお母さんも、みんな苦しみと寄り添って生きているのに。
冒頭、エステバンがウマのサインを貰おうとする。雨の中で。「イヴの総て」でイヴがマーゴを待っていた、あの映画の始まりを意識したオープニングだった。
「イヴの総て」が女に生まれた悲劇を描いているとするなら、「オール・アバウト・マイ・マザー」は女に生まれた歓びを描く映画なのだという。
それもまた不思議で、一見すると野心を糧にスターダムへと駆け上がったイヴの方が幸せに近い気がする。
息子を亡くしたマヌエラや、病と出産への不安を抱えたロサなど、この映画の女たちは深刻な問題の中で生きているのに。
なのに何だか楽しそうで、幸せそうなのだ。
辛くても、苦しくても、悲しくても、持って生まれた共感力と連帯感が、人生を一歩前に進める力をくれる。
「辛いわね」の一言と温かいハグが、哀しみの塊を溶かしてくれるように感じる。
男に逃げられたり、騙されたり、殴られたり、散々な目にあっているというのに、何も問題は解決していないのに、ケーキとワインと気心の知れた女友達に囲まれてはしゃぐ事が出来るのは、女に生まれた特権だ。
「何それ、酷い!」「わかるー、私も私も!」の繰り返しで、何故だか元気になれる。こればっかりは性分だから理由はわからない。
女って結構タフだ。
何だかよく分からない理由で元気になり、目の前の困難に挑めるようになる。何だかよく分からないけど、悲しみが癒えていく。何だかよく分からないまま、勇気を振り絞れる。
理由なんて分からなくてもいい。君たちはそれで良いんだよ。そんな君たちは最高だ!
監督の愛をモロに受けて、最高に自分の事が好きになれる映画。それが「オール・アバウト・マイ・マザー」だ。
監督の愛は、映画にも向けられている。「イヴの総て」や「欲望という名の電車」など、過去の名作も含めて、自分を形作った総てを「マザー」と呼んでいる気がした。
「イヴの総て(オール・アバウト・イヴ)」がイヴを通して女という存在を描いた作品なら、「オール・アバウト・マイ・マザー」は様々な女たちを描くことで、自分の「母」と呼べる存在を浮き彫りにする映画なのだろう。
そしてそこには「母への愛」が溢れている。
多分、この映画を観て「最高!」と感じたことを順序だてて論理的に説明しろ、と言われても無理だ。だって「何故だかよく分からない」から。
「何故だかよく分からない」ままでも、感じることは出来る。受けとることは出来る。
愚かかもしれないけれど、嫌いになれないこの人生を、とても愛しているということを。
女は孤独を避けるためなら何でもするよ
作家志望の一人息子が17歳の誕生日に不慮の事故で亡くなってしまう。
母親が息子に、母子家庭となった複雑な背景を説明しよとしていた矢先だった。
やや難解だが秀逸な映画。
主題は「女は何でできているか」だと、僕は思いました。
表層のストーリーをなぞるだけでは、リアリティに欠いたり、唐突過ぎたりで、
分かりづらい。
このテーマを際立たせるために、その周辺にある際っぽい要素、
例えば、長男を事故で失った主人公を筆頭に、ゲイで売女になった男、
修道女、レズビアンの女優、HIV感染と妊娠、
周囲の評判ばかりを気にする母親、年齢と身長だけを尋ねるボケ老人、
など、個性的すぎる面々が次々と登場するが、
それらは全てこの「女は何でできているか」に帰結する。
手塚治虫は、限りある命を表現するために、絶対に死なない「火の鳥」や、
医療の意味を問うために医師免許のない「ブラック・ジャック」など、
主題となるテーマの真逆を扱うことで、その本質と格闘してきたが、
本作でも、近似する監督の思惑が伝わってきた。
女は何でできているのか。
「女は寛大」と話す妊娠修道女に対して、
「女は孤独を避けるためなら何でもするよ」と言う主人公。
僕はこの科白の共通項に、主題に対する制作者の回答を見た気がしました。
オール・アバウト・マイ・マザー
「たとえ嫌いでもあなたには母親がいるのよ」
「ママがいることを忘れたの?」
ロサに向かってマヌエラが言った言葉だ。
いいなぁ。
この映画を観ることにしたのは理由があって、この映画のポスターの「顔の絵」を自分のアイコンにしていた友人がいたので。
・・おそらく友人はこの映画を特別に大切にしているんだろうと僕はずっと想像していて、「いつか観るべき映画リスト」に入れてあった本作なのです。
で、
女芝居の虜になってしまう。
女たちの生き様に嫉妬してしまうほどだ。
立場や倫理観や社会的階層が違っても、何人もの女たちがゆきつ戻りつして言葉を交わし、視線を交わし、お互い訪ね合い、そうして関わりを紡いでいく。
僕も女になりたいと思うほどに(笑)、僕は女優たちのあの嘘のない演技力に目を見張り、のめり込んでしまった
スペインの女優たち、すごいです。
・・・・・・・・・・・・・
僕の母は画家を目指していた。
油彩の筆とは→ 画布にこねくり回していじり回しているうちにだんだん完成に近づけるのでばなく、
「この場所にこの一点」、
「この色を絵筆から真っ直ぐにキャンバスの一点に置く」、
「一点ずつ完成させる」。
というそのタッチなのだと言っていた
貧乏生活で絵筆を折り、作品のすべてを焼いてしまった一本気な彼女だが、
そんな母の遺言は3つ
・延命措置はしない
・献体の手続きの実行
・死に顔を誰にも見せないでほしい。
ああ、わかるよお母さん。
気丈に生きた母に、バレエのプリマドンナ マイヤ・プリセツカヤの「白鳥」の動画を見せた、古いほうの動画だ。
そうだ。これ分かる、と言っていた。
「瀕死の白鳥」は、解説が必要ないほど有名で、サン・サーンスの甘美なチェロに乗せて可憐に白鳥が舞う。
あれは小さな女の子たちが「いつかは私も踊りたい♡」と憧れるロマンチックな演目だ。
けれどプリセツカヤの白鳥は違う。まったく違う。
自分の老いた姿を他人の目に晒したくない、孤高の白鳥の「プライド」と壮絶な「絶命の瞬間」を踊る。
空から墜落して、ひとり深い森の奥、小さな池のほとりでもがく白鳥の悲しい姿は、それを目撃してしまった者(観客)を絶句させ、口外を許さない迫力がある。
油っ気が抜けてもはや まばらに荒れてしまった羽根を地べたにバサバサと擦りつけて、かつて自分のものであった大空を見上げるが、もう立ち上がることも飛び上がることも叶わず、膝も折れて、
とうとう小さな痙攣を経て事切れる彼女の有り様は、厳粛だ。
母は動画に共感したようだ。
母には「棺おけの蓋は開けないから心配するな」と約束した。
そんな僕の母を、陸の孤島だった田舎町の実家から、その間垣から解き放って、外の世界へと逃したのがその母親=僕の祖母だった。
「オール・アバウト・マイ・マザー」。
母は僕を育てたし、僕も母を語る。
事故死したエステバンの小さなメモ帳のように息子たち、娘たちは母親の人生を書き留めておきたいと思う。
“息子”アルモドバル監督が女存在に集中して、女への眼差しとリスペクトを尽くして成した、これは傑作だ。
死んだ息子、認知症の老夫、LGBTの恋人たち、生まれたばかりの孫・・、すべての出演者が白鳥をリスペクトしてその周りを囲んで踊る。
僕もそこで一緒に踊りたい。
人間の内面を探索したペドロ・アルモドバルの傑作
【”命の継承、そして母親の深い愛”ペドロ・アルモドバル監督の深い人間愛が全面的に表現されたヒューマニズム溢れる物語。】
ー 今作のラストに流れるテロップが、ペドロ・アルモドバル監督の想いの全てを表現していると思う。ー
◆感想<Caution 内容に触れています。>
・今作に登場する人物は、皆、他者に対する何らかの善性を持っている。
その代表が、愛する息子エステバンを事故で失ったマヌエラだと思う。
臓器移植コーディネーターだった彼女が、自分の息子の心臓を見知らぬ男性に移植する判断をし、その男性が健康そうに、病院から出て来るシーン。
柱の陰に隠れて、涙を流すマヌエラの姿。
・息子を失った傷が癒えないマヌエラが、その死を、昔別れた元夫で性転換したロラに伝えるために、マドリードからバルセロナへ旅立つ。
そこで、出会った且つての仲間で、男性器は残しながらも、性転換したアグラード。
息子の死のきっかけになってしまった女優、ウマ・ロッホ。(彼女に責は全くない。)
HIVである、ロラの子を宿した同じくHIVに感染したロサ。
ー ペドロ・アルモドバル監督は、誰も真の悪者としては描いていない。
様々な生き方を、自己責任も含めて、優しい視線で描いている。ー
・ロサは元気な男の子を生むが、自らは死してしまう。
その彼女が臨月の際に、マヌエラに言った言葉。
”名前は、エステバン。母親は私達・・。”
・そして、ロサの葬儀で久しぶりに会った、HIVのためやつれたロラに対し、息子の遺したノートを見せ(ロラは、自分の前から姿を消した若きマヌエラが妊娠していた事を知らなかった・・)、息子の自分に対する想いを知り涙するとともに、自らの血を引いた赤子に愛おしそうに口づけをするのである。
<ロサの子を抱いて、列車に乗り込むマヌエラの表情が印象的である。
それは、今作で劇中劇として度々描かれる”欲望という名の列車”の登場人物たちのようにはならずに、自らの手でキチンと再び授かった新しい命を”母”として育てるという決意を秘めた表情に見えたからである。>
夫の性が変わった妻の人生
夫が単身赴任している間に女性として生きるようになったため、妊娠していたがそのことは告げずに離婚した女性のその後の物語が、テネシー・ウィリアムズの「欲望という名の電車」の舞台を交えながら描かれる。
生きがいだった息子の突然の死、偶然知り合った若いシスターの死と元夫との間の子の誕生、エイズを病む夫への赦し、エイズへの偏見から赤ん坊を守るための新たな旅立ち。
守るべきものの存在が主人公を強くする。そんな母性を謳いあげた作品だと思った。
主演の方が靭くて美しく、魅力的だった。
余談だが、元夫の名前がロランスだったので、グザヴィエ・ドラン監督の「わたしはロランス」を思い浮かべた。オマージュだったりするのかな…。
先に「欲望という名の電車」観といてよかった、、
率直な感想はタイトルの通りです(笑)
この映画も公開当時、一部(いや、もっと広範か)で激賞されてた気がしたので、気になってました。
「欲望という名の電車」、また(まだ観てないんだけど)「イヴの総て」等、実在の映画の要素と絡めた内容が良いですね。
日本もマザコンが多いけど、ラテンもなぁ、、ママン、大好きでしょ多分。
内容は少し聞きかじってたから、まぁたぶん母性礼讚みたいのが強い映画なんだろうなぁどうせ、という気はしてました。
しかしすごいよね、女とおネエだらけで、男子禁制感がすごい(笑) たまに出てきても、ニューハーフにおシゴトをお願いする役者さんぐらい。
昔、アマチュア劇団で「欲望という名の電車」のステラ(妹)を演じた主人公が、再びバルセロナに戻ったときにブランチ(姉)役の女優の付き人になるというのが、発想として面白いなと思った。
しかも、主人公の元旦那はかつてコワルスキー(ステラの旦那)を演じた人。そして、実人生でもこの芝居のように、子供を抱いた主人公は旦那の元から出奔している。
DV、母、未婚の母、死別、パートナーの性別転換等々、我が事でもないのに我が事のように頭の痛くなってくる要素に満ちているのに、芝居のキャラとのリンク付けというかメタファーだったり、おネエのコミカルなキャラクターだったり(名前忘れたんだけど、すごく光ってますよね)のおかげなのか、それらがそんなに苦ではなく、スッと入ってくる(最後の方、ちょっと眠かったけど)。
ただ、私自身は今のところ「母になりたい人」でもなければ「女になりたい人」でもないので(←っていうかこっちは元々そうなんだからそもそも縁がないけど)、ちょっと持て余してしまったのかな、っていう、そんな感じですわ。
ブランチ―ウマ―ベティ・ディビス=女優、ステラ―アメリア―ニナ=母
①エンドロールの最初に出てくるアルモドバルのメッセージの中で「女優を演じた全ての女優に」とある中に、ベティ・ディビス、ジーナ・ローランズと並んでロミー・シュナイダーの名前が出てくる。前述の二人が女優を演じた映画の名前はすぐ思い付いたが、さてロミー・シュナイダーが女優を演じた映画ってなんだっけかな、と思った。②この映画に出てくる主要なキャラの中で普通の男なのはマヌエラの息子のエステバンだけ。それも映画の初めの方でいなくなってしまうから(ただ彼の存在は映画を通して影を落としている)、この映画の主要キャラは全て女(と女になりたい男)である。といっても女性讃歌みたいなのとはちょっと違う。③題名から勝手に母ものみたいに思っていたけれど、映画が始まってすぐ「All About Eve」をもじった題名なのだと気付く。マヌエラとエステバンとがエステバンの誕生日に観に行った舞台で且つ映画の中で重要な役割を果たしているのも「欲望という名の電車」である。どちらも母ものではない。④それにこの映画の主要キャラの中に所謂普通の母親はいない。マヌエラは確かに母親だが直ぐに子供を失った母親となる。ロサは母親になる前に死んでしまう。ロサの母は確かに母親だが子供から拒絶された母親である。ニナは最後母親になったらしいが話の中で語られるだけで画面には登場しない。⑤一方、この映画の中で「All About Eve」のマーゴ役に当たるのが名声のある女優でレズビアンのウーマである。彼女が演じるのは勿論ブランチでなくてはならない。考えてみたらブランチは女優であれば一度は演じてみたい役であろう。しかし母的なものとは程遠い役柄である。若い頃演劇をかじりでも母親になったマヌエラが演じていたのはブランチではステラでなくてはならず、ステラを演じたニナは映画の最後で母親となる。⑥アルモドバルの演出は悲劇と喜劇との塩梅がとても良く、かといって人間ドラマというのとはちょっと違うと思う。⑦マグラードが『「百万長者と結婚する方法」みたい!』といったマヌエラのアパートメントでの、マヌエラ、ロサ、ウーマ、マグラードの女子会シーンが印象的。⑧キャストの中では息子を失った悲しみを抱えつつ周囲の人々を慈しむマヌエラ役のセシリア・ロスの滋味溢れる表情と演技かわ宜しい。
母は強し、女は強し、的な作品が苦手。母(女)=強くなきゃいけないみ...
母のすべて
…へぇ〜…という感想のみ
久しぶりのスペイン映画。
主演のマヌエラは 、すべてを「許して」生きている。自分を捨てた男、その男の子を身ごもった女、高慢な女優などに対し、不愉快なことをされても、傷つけられても、許すのだ。どんな人間でも包みこむ、その大きな愛は、母の子どもへの愛情そのものだ。 …そうです。
見終わって何が言いたいのかわからなくて説明文を引用。(自分メモとして)
私の母について
また見たい
申し訳ないが、分からない。 けして、難しい内容ではない。登場人物は...
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