劇場公開日 1958年12月25日

「主演がグレゴリーペックでなければならない理由」大いなる西部 あき240さんの映画レビュー(感想・評価)

5.0主演がグレゴリーペックでなければならない理由

2018年9月13日
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鑑賞方法:DVD/BD

西部劇の記号として、世界中の人が思い浮かべる風景はモニュメントバレーなら、音楽は本作のテーマ曲だろう
それほど有名な曲だ、素晴らしい名曲
本作ではモニュメントバレーは映らない
しかし本作で写る風景の岩山の雄大さ。平原の広大さは、ジョンフォード監督の捜索者を上回る雄大さをみせる
序盤の猛スピードの馬の背中でやる曲乗りはジョンフォード監督の駅馬車を思わせるぐらいの迫力

本作を観たならば最初に浮かぶ疑問はこうだろう
主役が西部劇にグレゴリーペックなのはなぜか?
彼はおよそ西部劇に似合わない俳優だ
ジョンウェインやクリントイーストウッドのようなヒーローでは決してない

彼の演じる主人公はガンベルトを腰に下げないし、テンガロンハットも被らない、争いを好まない東部から来た紳士だ

彼以外のテキサスの人間は教育のある一人を除いて男も女も全員、力しか信じない、もめ事は力で解決するものと考えている、正に西部劇そのままの世界だ

しかし、それこそはアメリカの地金、一皮剥いた本当の姿なのだ
テキサスや西部だけではない

それ故にグレゴリーペックの主役がやったみせたような在りたい社会へ変わって行かなければならない、そう向かって努力して行くことが大切のだ
それが本作のテーマだ

つまりグレゴリーペックはアラバマ物語、紳士協定でみせたように、変わるべき在りたいアメリカの姿を体現する記号なのだ
だから主演は彼で無ければならなかったのだ

あき240