「ラストシーンで再会を避けた主人公、彼女に会うべきとアドバイスしたくもなって…」エイジ・オブ・イノセンス 汚れなき情事 KENZO一級建築士事務所さんの映画レビュー(感想・評価)
ラストシーンで再会を避けた主人公、彼女に会うべきとアドバイスしたくもなって…
アメリカ文学と映画に関する本が
この作品にも触れており、
TV放映を機に再鑑賞。
話の骨子が、上流階級の社交界(この計算
尽くされたような緻密な室内シーンは見事!)
と言う特殊な社会での話ではあるが、
伝統・保守と自由・進歩の葛藤の物語を
映画化した作品のように思えた。
しかし、
そもそもが2人の女優が私には逆のイメージ。
ミシェル・ファイファーが保守的、
ウィノナ・ライダーが進歩的なイメージが
私にはあり、そんな違和感の中での
鑑賞となってしまった。
さて、男性主人公のニューランド、
作品自体は慣習に縛られた上流階級世界を
批判的に描きたいのだとは思うが、
婚約者がありながら未練を残す女性に、
「真実の愛をちらつかせながら、
偽りの愛に生きろと言った」と責めたり、
「妻が死ねば自由になれる」との心の声など、
なんとも主体性を感じない人物像で、
怒り半ばでの鑑賞が続いたが、
しかし、その後、彼はどうする、
との興味で観続けた。
一方、主人公に想いを寄せるエレンも、
彼女の夫の使いの者の、
「夫人の“貞節”な結婚観…」の台詞とか、
また、ニューランド以外にも
まだ別の男性がいるようで、
自由の観点での人生論を標榜したいので
あっても、身勝手過ぎて違和感があり過ぎた。
更には、エレンのそのパトロンへの資金提供
による経済的な窮地を聞いた段階においても、
彼女を擁護するニューランドは、
正に“盲目の愛”を実践するだけの人物にしか
見えない。
しかし、そんな中でも、ラストシーンでの
ニューランドの迷いには理解も出来たし、
感動も覚えた。
ただ、私の拙い経験談で恐縮だが、
昨今、昔想いを寄せた女性に
何十年ぶりかで会うことがあり、
さすがに老けたなぁとの印象では
あったものの、
初めて知ることになった彼女の豊富な人生譚
と共に、そんな積み重ねでの
味のある人間性を感じられたこともあり、
このニューランドにも
エレンに会って欲しかったなぁとの想いも。
それにしても、当初は婚約者(後に夫)に
従うだけで、察しの鋭い女性とは
思えない描かれて方のメイだが、
しかし、実は全てを読み解き、
夫やその愛人もコントロールしていた、
としたいのだろうが、メイが妊娠したことを
エレンに伝えた場面以外には、
彼女の奥深さが上手く表現されてこなかった
印象で、唐突感が拭えなかった。
昨日、
「タクシードライバー」のTV放映があった。
この映画の18年前の
マーティン・スコセッシ監督作品で、
もう何度目の鑑賞になるのか
分からない位だが、
こちらはキネマ旬報ベストテンで
第1位に輝いた作品。今度は
どんな発見があるか楽しみになってきた。
KENZO一級建築士事務所さん
何十年ぶりかに想いを寄せた方との再会。まるで映画みたいですね。
ニューランドがあの場を立ち去ったのは、エレンを受け止め、護ってあげようとしなかった自身に、逢う資格はないとの思いからかも知れません。