劇場公開日 1985年11月2日

「映画を見返す事の意義」田舎の日曜日 シューテツさんの映画レビュー(感想・評価)

4.5映画を見返す事の意義

2025年4月28日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

ベルトラン・タヴェルニエ監督、1985年度キネ旬ベスト8位
一応再見であり、86年に大毎地下劇場(大阪)という名画座で「ピクニック at ハンギング・ロック」との二本立て見ているのだが、全くどんな作品だったのか憶えていない。当時はまだ映画の感想も書いていなかったので、当時どのような気持ちで見たのかも今となっては全く分からない。
でも今回見て非常に優れた作品だと感じ、何故こんなにも忘れてしまっていたのか?不思議でなりません。なので、今回はその原因を探りたいと思います。

というか既に大体の答えは出ているのですが、これこそ「歳を重ね理解する」典型の様な作品に思えました。
本作を見たのが私が31歳の時であり、再見した今回は後二ヵ月程度で古希を迎える年齢となり、本作の主人公の年齢に近くなってしまったのが一番大きな原因なのだと思います。
二番目の原因として、この主人公は画家なのですが、当時の私はまだ絵画に関しての興味が薄く、後半のこの老人が娘に語る意味を殆ど理解(イメージ)出来なかったというのも大きな理由だと思えました。

この物語の概要は、妻に先立たれた老画家とメイドの二人住まいの田舎の屋敷に、週末の日曜日に定期的に来る息子家族や不規則にやって来る娘の、ある日曜日の朝から夕暮れまでを記録(というよりスケッチ)した作品で、台詞にはドラマはあるが物語はない普通の日常風景を捉えた作品構造になっていて、娯楽映画を見たい人には不向きというか退屈と思える作風ですが、小津作品などを好む人や美術に興味のある人には(ある程度の知識があれば)刺さる台詞も多い作品でした。
当時でもアート系の作品も興味はあったのですが、知識がまだ全く追いついていない状態で鑑賞した敷居の高い作品だったのでしょうね。

今だと絵画史的にも映画史的にも少しは理解できるので、凄く興味深く楽しめました。
本作の凄さって、たった半日のある一家の風景を見せるだけで、その裏(奥)にはまるで般若心経の様な人間・芸術・哲学それら全てを表現しているのだと、この歳になってやっと気づけましたよ(苦笑)
人間・芸術どんなものにも、誕生→成長→熟成→老成→往生の過程があり役割があるってことを難しくも深刻でもなく、更に全く押し付けがましくもなく表現しているのが凄かったです。

映像はひたすら美しく、彼が憧れ刺激を受けたがなれなかった印象派絵画を寄せ集めた様なシーンで彩られ、生き方(性質・個性)は家族でも全く違う独立したモノでありそれを侵すことは無意味であること、しかし人生は美しいことをたった91分の中に凝縮した作品で、映画を見返す事の意義を感じた作品でした。

追記.
これはあくまでも私の推測ですが、上記のラスト近くの老父が娘に語る台詞ですが、恐らく監督の思いがかなり入った台詞の様に感じられた。
彼は絵画における革命的な印象派の時代を生きて来て、自分も同じような波に乗るか迷ったが、波に乗ったところでどうせ“真似”にしかならないし、自分のスタイルではない。
ならば自分のスタイルで通すと決め、勲章まで貰えることが出来た。改革して新たなスタイルが認められても、古いスタイルを無くすことに意味は無い。無くしてしまい新しいものだけになれば多様性は滅びてしまう。
各々が自分のスタイルで通せば良いだけなんだという意味合いが含まれているのだと思うが、この監督も当時のヌーヴェルヴァーグの監督たちの作品を見ながら、尊敬し刺激を受けながらも自分とは違うと、きっと同じ様なことを伝えたかったのだと思いますよ。

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シューテツ
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