劇場公開日 2021年6月4日

「「それがどうした?すべては神の思し召しだ」」田舎司祭の日記 因果さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0「それがどうした?すべては神の思し召しだ」

2023年6月6日
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田舎に赴任してきたインテリ気質の若い司祭。彼は熱心な宗教活動に励むが、村の人々は彼のことをあまり快く思っていない。教会のミサにはほとんど誰もやってこないし、宗教問答の授業に来る子供たちはその狡猾な性格で青年を困らせる。なぜ人々は司祭を、そして神を信用しないのか。終盤、街を出ていく司祭をバイクで旅館まで送迎した青年がその理由を教えてくれた。「あなたは世間知らずだ」と。青年の知人にも司祭がおり、彼は戦争で死んだ。今際の際に彼が吐きつけたのは神を呪う言葉だったという。

神は存在するのか?そして信仰はいかにして可能なのか?この素朴だが重大な疑念は映画全体を通じて若い司祭を苦しめ続ける。赴任中、彼は宗教的不安に取り憑かれた中年女性に説教を聞かせ、半ば荒療治的に信仰を取り戻させる。しかしその直後、彼女は自殺してしまう。司祭は自分の説教によって他者の人生を大きく左右できてしまうことに戦慄すると同時に、ある種の快感を覚えている自分自身を発見する。あれだけ村の人々に「自我を捨てよ」と説教している自分自身が、誰よりも自我に執着しているという滑稽な矛盾。思えば「日記を残す」という彼のルーティンもまた自意識の確認作業だといえる。

宗教的不安は司祭の精神のみならず身体にも表れはじめる。慢性的に胃の悪い彼はパンとワインだけという質素な食生活を送っている(言わずもがなキリスト教のアレゴリーだ)が、これによってむしろ彼の病状は悪化していく。そして終盤、医師から告げられる胃癌の宣告。これほど信心深く宗教活動に励んでいた自分がなぜこのような目に遭わなければいけないのか。自分は本当に神に見捨てられてしまったのではないか。

心身共にやつれ果て、神学校の旧友のもとで最期の刻を迎える司祭。絶えざる宗教的不安の果てに彼は一つの結論へ辿り着く。彼はロザリオを胸に掲げながら呟いた。「それがどうした?すべては彼の思し召しだ」。

世俗と信仰の狭間で揺れ動き続けた彼は、死の目前でようやく神を発見する。ろくに信心も持たない私からすれば、彼の最後の言葉は美しいというよりむしろ気味が悪い。しかしそれがどうした?誰に嫌われようと世間知らずと言われようと、彼は自分の存在の一切合切を委ねることのできる対象を、神を発見したのだ。

世俗と信仰の断絶はもはや埋まらないという時代の気配を、その中間者である司祭の懊悩を通じて描いた秀作だったように思う。

因果