居酒屋(1956)のレビュー・感想・評価
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破滅的な結末
フランスの自然主義文学で有名なエミール・ゾラの代表的な小説『居酒屋』の映画化。監督は『禁じられた遊び』のルネ・クレマン。
主人公のジェルヴェーズ、最初の男ランティエ(結婚はしていなかったようだ)は、女たらしの中身のない人間。結局、友人の姉にランティエを取られジェルヴェーズのところを去ります。その後、屋根職人のクポーと再婚し、念願の「自分の店」(洗濯屋)を持てることになり幸せなはずでしたが、クポーが屋根から落ちてしまったため、生活は狂っていきます。とにかく、ジェルヴェーズは男と人生に恵まれていない! いつも一生懸命なのに、うまく事が進まない。エミール・ゾラだから、貧しさや性格や境遇や運命など、いろいろな要因で人は不幸になっていくというパターンでしょう。このパターンを知らなければ、「なんだこの映画は!救いのないただの破滅悲劇ではないか」と思うかもしれません。
ランティエがクポーの家に居候しはじめた時はびっくり。クポーがランティエを家に置くように話を進めたのですが、何を考えているのやら。鈍感なのか、Mなのか。ええかっこしいなのか。それにしても、ランティエとクポーの顔立ちが似ていて、最初、見分けがつかなかったりしました。グジェはいい男の象徴として描かれていましたが、ジェルヴェーズの心の支えだったのでしょう。彼女の店を出すために、ぽんとお金を出して「君たちが幸せになることがうれしい」とは、、、。そんないい人がいていいのでしょうか?!
結末はかなり悲惨ですが、ジェルエーズは笑顔の可愛い働き者でとてもパワフル。洗濯場の水場でヴィルジニーとやり合うシーンが印象的。ヴィルジニーのパンスト?を破って、お尻をむち打つところは迫力ありました。日本の女性で言えば若い時の大竹しのぶのイメージがぴったりでした。
配信で見たのですが、序盤をもう一度見ると、クポーは二度も救急車に乗りました。屋根から落ちた時、終盤、暴れて血だらけになり家から運ばれる時。クポーも恵まれない人生でしたね。
ラストの娘ナナは、『ナナ』の主人公なんでしょう。
洗濯女、ジェルヴェーズ、三人の男、一人の悪女と物語を紡ぐ。
物語を通じて、日常的な幸せが訪れるたびに結局はひもに金をむしられ困窮し苦しむ洗濯女ジェルヴェーズのお話。
彼女はクズな男(女癖のランティエ、のんだくれの夫クーポー)に毎回涙することになり、涙しているアップ描写が多い。最初は感情移入していたのだが、周りの男にいいように使われることを拒否できないところを見ていくうちに共感は失われていく。彼女は自分の財産や信頼できる家族を守り、それを犯すものを許しては行けない、一線を引く必要があるという義務を放棄している。そこに女を道具としてみる男たちのエゴが噛合い、彼女の周りに負の連鎖を約束している。
ラストに近づくにつれ、もういいよという思いが強くなった。ジェルヴェーズに嫌がらせをするポワソンという悪女も見ていて嫌になる。唯一、グジェだけは周囲の悪徳に染まらず、物語から退場していく。彼だけは良い物語を紡いでいて欲しいと願う作品だった。
日常的な一時の幸せは描写されはするが、最後までバッド。そんな作品として他に思い起こすのはミスティック・リバーくらいだ。しかしリバーの方は悲しい結末だがこの作品ほど嫌な思いは無かったような記憶があいまいだがある。この作品はどういう人に進められるかは悩む。恋愛ものが好きな人や鬱気質が全く無い人、女性向けだろうか。
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