怒りの葡萄のレビュー・感想・評価
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前向きになれる映画だった
個人主義のいまだからこそ観て良かったと思えた。
お母さんの言葉がひとつひとつ胸にきてボロボロ泣いてしまった。理不尽で惨めな生活に追い詰められとても切ないが、前向きになれる終わり方でとても良かった。
家族とは、人間とは
映画史に残る素晴らしいシーンがある作品だった。
カフェのシーンである。
慈悲から人を救い、そして慈悲によって救われる
そんな人間の姿を決して感動的にではなく、
あり得る現実として切り取るその手法は偉大だ。
ジョン・フォード監督の傑作
初見は、学生時代(1979年7月27日)、新宿アートビレッジで鑑賞。(『市民ケーン』との2本立て)
本日(2022年10月23日)、43年ぶりに鑑賞。
学生時代は「酷な労働環境」を見てツラい気持ちが残っただけに思えていたが、改めて見直すと「人間愛に溢れた傑作」であった。
ある男が歩いている。彼はトム・ジョード(ヘンリー・フォンダ)、トラック運転手に頼んで便乗させてもらう。運転手はトムの素性に探りを入れると、トムは「俺は刑務所にいたんだ。人殺しで…」と実家近くでトラックを降りる。
トムは元牧師だったケーシー(ジョン・キャラダイン)と会い、仮出所だと話す。そして、ケーシーと一緒に実家に辿り着くが、実家はもぬけの殻。家族は先祖代々の土地を捨てて、凶作で土地会社に土地を奪われ、叔父の家に行っていた。そこで、トムは母親(ジェーン・ダーウェル)と再会。トムを含めてジョード一家は「仕事のあるカリフォルニア」を目指して、オクラホマからカリフォルニアへのオンボロトラックでの旅を始める。
希望を抱きながら、カリフォルニアを目指す家族だが、途中でじい様が亡くなり家族で葬り、実際にカリフォルニアで辛い目にあった男から厳しい現実を話されて不安になる家族だが、やはりカリフォルニアを目指してトラックを走らせるのだが……。
記載したいエピソードは多数あるが、書ききれないので、印象的なところだけ…。
旅の途中、カフェでパンを買いたい父親が「10セントでパンが欲しいのだが…」と言うと、彼らの様子を見た店主は「じゃあ、出してやれ」と店員(妻?)に言うのだが、その女性は「15セントよ!」と厳しい。それでも店主が「10セントでいいから渡してやれ」と言ってパンを渡す。子供2人にキャンデーを買ってやりたくなった父親が「これはいくら?」と女性に確認すると「2つで1セント」と言って、父親は買っていくのだが、彼らが出て行った後、実はもっと高かったことを話す客。
愛情あふれる場面で、感動で心震えた。
いろいろとツラい事がトムを含めたジョード一家に降りかかるが、力強く生きていこうとする彼ら、特にトムの母親を演じたジェーン・ダーウェルの「以前だったらダメだったけど、いろんな事の後だから前向きになれるのが女性なのよ」的な言葉が素晴らしい!
本作で、アカデミー助演女優賞を獲るだけある見事な存在。
全編を通じて、アチコチで感動させられるジョン・フォード監督による傑作!
とても面白かった
お母さんがとにかく素晴らしかった。全てのシーンで強い印象を残し、完全に主役として見ていた。ムショ暮らしでヤサグレてる筈のヘンリー・フォンダも何かとお母さんっ子なのがまた面白い。
そのお母さん、セリフも良きものが多かったのだが「男は生き方を転機とか節目に沿って考える。女はそうではなく、川の流れの様にとどまらないものとして捉える」と言うフレーズがやけに腑に落ちた。
ボロトラックでの道行きが「恐怖の報酬」並にスリリングだったのだが、見終わってからグーグルマップでルート66を調べたら、オクラホマからカリフォルニアまで気が遠くなる位の距離で改めて戦慄した。
描かれている問題は現代と地続きで、今こそ見られるべき映画かと。
葡萄は嘲笑?聖なる血?コンコード?
内容は1930年の大不況を舞台とした貧乏な家族が希望を求めてルート66を南下する話。リンドバーグが大西洋横断しベイブルースが本塁打王に輝いた少し後の南部アメリカと北部アメリカの見えない壁を感じた作品。見えない壁が移住先でも顕著に見え人間の言葉に出来ない性質を分かりやすくしてくれた作品でした。印象に残った言葉は、主人公のいつもそこに自分が居るという言葉で一種の宗教色も感じました。ひとつ言うならば主人公は、自分が刺されたから相手を顔を潰れるまで叩き殺したら、いけないよなぁ。自業自得だけど自衛国家アメリカぽさが現れて面白かったいい作品でした。
【1930年代のニューディール政策による強制労働地移行を、2011年以降の現代日本に置き換えて考える。何時の世でも、犠牲になるのは第一次産業に従事する民であるが、それでも民は生き続けるのである。】
ー ジョン・スタインベックの「怒りの葡萄」や、幾つかの短編集は5年位に一度、読み返す。主に、政権に変革が起こった際である・・。ー
◆感想
・ジョン・スタインベックの「怒りの葡萄」を、複数回読んでいる者にとっては、正直今作はヤヤ物足りない。
だが、物語はほぼ原作通りに進む。
・牢に繋がれていたトム(ヘンリー・フォード)が、久し振りに故郷を訪れると、誰もいない廃屋が・・。
ー そして、政府の小役人が”政府の指示で”砂嵐が続くオクラホマから、カリフォルニアに移農を強引に進める姿が、フラッシュバックのように描かれる。ー
◇スタインベックが、当時強烈に放ったメッセージ。
”この地で生まれ、農作物をキチンと作り、この地で死んでいく・・。”
・彼らが政府に指示されてオンボロトラックで、移住したカリフォルニアは、真に豊かで、彼らにとって住みやすい土地であったのか・・。
<2011年以降、今作の原作を読むと、自らの意向は無視され、福島県から他県に移住させられた第一次産業に従事していた方々の姿を思い出すようになった。
福島県庁で働く学友二人の言葉や、一昨年まで足を運んでいた福島、宮城の地の状況。
人災(含む、ニューディール政策)により、生まれ故郷を追われた人たちの無念の想いは到底、計り知れない。
自由を重んじる国であれば、その地に住む民の意向をきちんと鑑み、生き続ける選択肢(厳しいのは、福島に行った時のガイガーカウンター値から、分かっている積りである。)を残しつつ、何がベストな選択肢なのかを時間を掛けてでも、模索して欲しい。
先週公開された素晴らしき問題提起映画「護られなかった者たちへ」を観て、今作を鑑賞し、再度思った次第である。>
ジョンケイシー
何度読んでも何度劇になったのを見ても、何度映画で見ても、いつもどこか引っかかる作品である。今回は、ジョン ケイシーが気になった。
この映画はジョンケイシー(ジョン・キャラダイン)が、もう説教師ではないとトム(ヘンリーフォンダ)に言うシーンから会話が始まる。女性との関係を持ったことで仕事は失ったが、人生への捉え方が前向きになったのではないかと思えた。トムの家族に歓迎され、ダストボールを抜け出て、カルフォルニアに向かうが、途中トムの祖父がなくなり、もう説教師ではないが人のためにこの役割を果たす。
カルフォルニアに着いたが広告にあった思ったような労働条件でなく搾取が行われる中、一時保釈のトムの代わりになり牢獄へ。ここでも人のための自分を犠牲にする。ケイシーはイエスキリストの化身のような存在だ。ケイシーは説教師としての宗教を既に捨てたが、宗教観は捨てていない。これは彼の政治観になって現れている。
その後労働争議の中心的人物になり、人々のために殺されてしまう。彼の哲学は労働者、季節移民が一丸となって精神的な助け合いだけでなく、人として住めるような場所や賃金のために闘うことだ。
ケイシーの生きかたやスピリットがトムに乗り移ったようになり、トムもなぜ、どうして不条理なことが起きているのか見極めるため、家族の元を去る。季節労働者が人間としての存在を勝ち取るために。
スタインベックはこの映画で作家として脚光を浴びたらしい。カルフォルニア州のサリナスのスタインベック美術館に立ち寄るのもいいねえ。
葡萄は出てこなかった
搾取される側である労働者の奮闘の話。
最後、トム・ジョードが家族達のいる場所から外に出ていくが、
その後何をなしていくのかが興味をもたせたままで物語は終わりとなる。
視聴者にその後のトム・ジョードを演じて欲しいのかもしれない。
印象に残った言葉は、最初にトム・ジョードと母が会った時の、「人間いびられる
と性根も曲がってくる」という言葉と、最後、ジョードと母が分かれる時の、「人間の
魂はつながっている。俺の魂はどこにでも現れる」というような言葉。
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