アメリカン・グラフィティのレビュー・感想・評価
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ウルフマン・ジャックの粋
「江戸っ子の粋」なんてよく聞くけど、この言い回しは江戸っ子にのみ与えられた特別な表現方法なのだろうか?辞書で「粋」と調べてみたらその意味の一つに「人情の機微」とあった。
それなら何も江戸っ子だけに向けられたものでもなさそうだ。
映画アメリカングラフティを彩るのは1960年代のフッションや車などの当時の若者文化。中でも一際心惹かれるのはカーラジオから流れるオールディーズの数々。そしてそれらと切り離す事が出来ないのは名ディスクジョッキー、ウルフマンジャックの語り口である。
リチャードドレイファス演じる主人公カートは街で目線を交わしただけの名も知らぬ美女に一瞬で心奪われる。彼女を探し求め夜の街を彷徨い歩いた末に辿り着いたのは地元のラジオ局。もしかして人気DJウルフマンジャックとご対面か?とカートは心躍せるがそこにいたのはウルフマンの助手を名乗るオヤジが1人。アイスキャンディ片手に侘しく録音テープを再生しているだけ。そのオヤジ曰く「ウルフマンはスタジオを飛び出し広い世界を見ている。つまり彼は狭い世界になんか留まっちゃいないのさ」と言う事らしい。これぞ自由人ウルフマンジャック!まさに若者の憧れ像である。
しかし本題はここからである。なんとそのオヤジさんこそがウルフマンジャック本人なのだ。カートが帰り際振り返ると、そのオヤジはマイクに向かい意気揚々とDJをしているではないか。カートも「おや?あなたがウルフマンでしたか」と思わずニンマリしてしまう。
自分が人気DJだと明かさないウルフマン。狭いスタジオに籠りアイスなぞ食べている姿はファンが望む姿ではないと慮っての事だろう。でも私にはそんな振る舞いがなんだかとてもカッコよく見えた。憧れや夢を壊さぬよう自己顕示欲を消し去り若者の気持ちを思いやるオヤジ、いやウルフマンジャック。人情の機微。江戸っ子の粋ならぬ古き良きアメリカ人の粋、私にはそんな言い回しがしっくりくるように思えてならないのである。
不思議だ。ちゃんと映画になっている。
などと、偉そうなこと云うほど映画を知っている訳じゃ無いけれど。1960年代初頭のアメリカが舞台の青春群像、ということで、様々な男女の青春恋愛映画なのですが、ゴチャゴチャでさっぱり把握しきれませんw
最初、誰が誰なのか覚えきれないままに映画が進行してしまいました。いや、頭が良い人なら把握しきれるのかな。私には、せいぜい頭に残っていたのは車を借りて有頂天のメガネ君ぐらいでした。まあでも、特徴有る出来事が増えて行くにつれ、その流れを徐々に追うことが出来ました。
その中、起承転結を合わせているのでしょう。乱暴のように見えて実は優しい、いい加減でふざけているように見えて、思いやりがあって人間味のあるところが見え隠れして、ウソをついて身を飾り付け、それが露呈してしまい飾り気のない自分をさらけ出せば、真実の愛のようなものが得られた、みたいな? 意外な真実が明かされたり? 多重にまったく別の話を重ね合わせ、それぞれのパーツを重ね合わせると、一枚の絵が完成している、そんな感じなのでしょうか。最後にはあらゆるエピソードが一点に集まり、朝日をバックのエンディング。なんか素晴らしい。やっぱり生意気云うようだけど、ちゃんと映画の流れになっている。不思議だ。素晴らしい。
そして、登場人物が実在の人ってことは、ある程度は実際に起こった話なのかな。それらをまとめ上げたのは、若きジョージ・ルーカス。成る程、納得です。
加えて、若きハリソン・フォードの出演も光ってますね。数々の名曲も美しく、楽しい映画でした。
人生を変えた映画!
小学生の頃、名画座の三鷹オスカーで、たまたま観たアメリカングラフィティ。Fコッポラにチャンスをもらった若きジョージルーカスの、自伝的な青春群像劇。
この映画にガツンとやられて以来、オールディーズ、ロックンロール、アメ車、ナイトクルーズ、ドラッグレースなどなど、当時のアメリカ文化に憧れて、どっぷりのめり込む人生に(笑)
もう何回観たか覚えてないけど、なんと午前十時の映画祭で、4Kデジタルリマスター版をスクリーンで観れる日が来るなんて!鮮明になった映像で、今まで気づかなかった発見がたくさん。
演者たちの繊細な表情で、心情がよりくっきり。無名時代のリチャード・ドレイファスやハリソン・フォードが上手いし、今やオスカー監督のロン・ハワードもいい。
ジョンミルナーのセリフ「バディ・ホリーが死んで、ロックンロールは終わったんだ」何度聞いてもカッコいい。ベガスのショーでもらった、ヒロインのキャンディ・クラークさん直筆サインは宝物だよ。
人生の分岐点に立つ時、人は1番大切なことを叶えるために道を選ぶ。そんな普遍的なテーマを、一夜の出来事で表現するルーカスの脚本も改めて凄いな。
62年という時代から、ラストのスーパーは何回観ても泣いちゃう。こんな素敵な時間、TOHOシネマズさん企画してくれてありがとう😭
忘れがたい夜
今やレンタルビデオ屋もほぼ壊滅状態。サブスク配信も観たいと思ったタイミングでラインナップから消えていたり、元々無かったりで、どうでもいい物を軽く観る分には良いけど、本当に観たかった映画にたどり着くには一昔前よりも不便になってんじゃねぇの?と思える昨今。
レンタル全盛の時に「いつか観ておきたいけど今じゃなくてもいいな」と後回しにして、観れなくなってしまった映画達ごめんなさい。そして、再び観れる機会を与えてくれてありがとう。午前十時の映画祭。
さて、前置きが長くなったがアメリカン・グラフティ。
高校卒業後、故郷からの旅立ちを翌日に控えた若者達のワンナイトの群像劇。いわゆる『古き良きアメリカ』描写。50sのアイコンとして見かけるアイテム、ファッションがふんだんに出てきて「ああ、ここが元ネタだったんだな」知れた。なるほど、確かに格好良く思える物がたくさんあり、懐古主義と言われようと50s趣味を続けたり、若い世代で新たにハマる人が出るのも頷ける。
しかし劇中は60年代初頭に差し掛かっており、風景はバリバリの50sなのに登場人物が既に「あの頃は良かった」と50年代を懐かしんでいるのが面白い。時代はベトナム戦争にアメリカが本格参戦する直前。アメリカ史に影が指し始めた『古き良きアメリカ』最後の瞬間だったのだろう。
まぁ、そんなのは映画を観ている我々観客の神の視点であって、登場人物の殆どがそんな事は考えず、ナンパに励んだり一目惚れをしたり、車で通りを流したり、出会ったり別れたりして各々の『今』を自然に生きているのがいい。
劇中、共感出来そうな登場人物は冴えないメガネの彼くらいだったけど、あいつにしたって結局はいい思いをしていて「コンチクショー!」とは思ったが、あれは彼にとって、人生で一度はやってくる「生きてて良かった」と想える夜だったのかもしれない。
各々の登場人物が災難続きで『今』は「こんな夜、もうまっぴらごめんだ」と考える瞬間もあっただろうが、後に振り返れば忘れがたい思い出の一夜だろう。
そう考えれば、私が鬱屈としながらレンタルビデオ屋に通っていた十代も、手当たり次第に映画を観れる環境としては大変豊かな時代で、恋愛はなくとも「生きてて良かった」と想える夜も無くはなかった。あの頃が私にとっての懐かしい『アメリカン・グラフティ』だったのかもしれない。
……と、長かった前置きがまるでフリだったかのように思える文をでっち上げて、このレビューを締めよう。
オールディーズが物語の進展と綺麗にシンクロしている
序盤、つまんないな、と思っていたけれど、中盤から段々と面白くなっていった。
複線で展開していた物語がきちんと収束して、やっぱり名作だと思いました。
1962年のカルフォルニア州の町が舞台。
ずっとオールディーズが劇中曲かBGMとして流れていて、物語の進展とも綺麗にシンクロしている。
私は、ビーチ・ボーイズの曲が好きなので、観て聴いて楽しかった。
エンドロールのBGMもビーチ・ボーイズの「カルフォルニア・ガールズ」。
ハリソン・フォードが出演しているのだけれど、どの役か分からなかった。
古き良きアメリカ
old days but good days
公開当初は見ていないのですが、今回約40年ぶりの再鑑賞となります。
前回はこの映画の雰囲気と同時進行型ストーリーに心酔し神格化していたのですが、今回見直してみて、いささか牧歌的というか微笑ましいワンナイト青春譚として見ました。まあ自分も歳を取ったということでしょうね。
1962年が舞台ですので公民権運動やベトナム戦争への米国介入前だし、昨今の「国家的分断」や「ネットによる誹謗中傷」などなく、ラジオのDJを通じて想いを伝えるような古き良き時代だったのでしょう。
ローリー役のシンディ・ウィリアムズさん 残念ながら2年前に病気で亡くなっています。他の出演は「カンバセーション...盗聴...」ぐらいしか知りませんが、本作の初々しい演技は心に残っています。
本作の2はなかなか掛からないのですが、是非観てみたいです。
「夢のアメリカ」はこんなでした。意外と地味。
1974年の作品だが物語設定は1962年。劇中、恋人が入隊してうつになった女の子がバスにひかれて死んだという話も出てはくるが、まだ、ベトナム戦争はそこまで影を落としていなかった。
この2年後、トンキン湾事件が起こってリンドン・ジョンソン(民主党選出の大統領です)が大規模な軍事介入を行うことによりアメリカは泥沼のベトナム戦争に踏み込んでいく。
グラフィティとは走り書きとか素描とかいう意味になると思うが、アメリカ人は古き良き時代を回顧するのが大好きで「ビッグウェンズデー」も「ディア・ハンター」も要するに同じような趣向となる。ただこの両作品と違うのは本作品はベトナム直前の時期をうまく捉えているところで本当にアメリカ人にとって良い時代だったのだろう。
ちなみにドナルド・トランプは1946年生まれなのでこの映画の時は16歳ということになる。だからこの映画の主役たちとほぼ同じような高校生活をおくったのだと思う。フィフティーズが鳴り響く中、アメリカンスタイルの男の子、女の子が踊りまくって、という印象が残っていたが、今回改めて観てみたところ意外と地味なんですね。
もちろんオールディーズは終始流れてはいるもののファッションは地味。ロン・ハワードが演ずるカートなんて腹が出たガニ股のただのおっさんです。もちろんアメ車は一杯登場するがシトロエン2cvも出てくるしね。
ドラッグなし、同性愛もない、そもそも黒人が一人も出てこない(スパニッシュ系はチラリと登場する)多分、これがトランプのグレイトアメリカというものだろうなと思います。つまり、白人文化以外は存在しないわけではないけど視野に入らない構造になっているのです。
ウルフマンジャックについても当時から黒人であるとか、国境の向こうから放送しているとの噂はあったけど、実際はブルックリン生まれの白人のおじさんが全国のラジオ局に録音テープを送りつけて放送していたっていうことを種明かししています。
だから今の感覚で見れば幅が狭くてあまり面白くはない。どうしても白人文化が一番という趣味趣向の人以外には。
最近の味付け濃い目のアメリカ青春映画と比較すると薄口に感じるが、後のスタンダードになる原点としての価値はある
ジョージ・ルーカス監督の長編2作目にあたる作品で、前後の『THX 1138』と『スター・ウォーズ』との類似点も多い作品で、育った世界から自由や使命を求めて旅立つ事が根底にあるのが分かる。(『ウィロー』や『スター・ウォーズEP1』も)
オーソドックスな演出の手法は、兄貴分のコッポラと似てる部分もあり、コッポラとの違いは役者への演出が弱い部分だと思う。
ちなみに『ゴッドファーザー』を編集中だったコッポラは、気晴らしに当時話題になっていた『フレンチ・コネクション』を見てその斬新な出来にショックを受け自分の作品が古臭いと感じたそうです。
今回劇場で本作を見直してみると、やはり非常オーソドックスな作品で、一つ一つのエピソードも大人しく、最近の青春映画にある過激な下ネタなども抑え目に感じるが、一晩の群像劇としては上手くまとまっており、当時ほとんどなかった高校生達の青春映画としての先駆的な価値は十分にあると感じた。
特に撮影は夜のロケ撮影主体で、夜間の移動する車内での芝居を撮るなど挑戦的で、低予算な面も相まってドキュメンタリータッチにも取れる。
撮影は35mmのハーフサイズ(約16mm相当)で行われて現在のスタッフ記録には名撮影監督のハスケル・ウェクスラーもあるが、アドバイザー的役割の様子で記録されている感じで、多くの場面はその後に映画には名前が見当たらないロン・イヴスレイジとジャン・ダルクインの二人とにおそらく監督のルーカスもカメラを回していたのだろうと想像できる。(ルーカスはゴッドファーザーでも一部撮影ロケと演出してる。詳細はソフトのコメンタリーにある)
フィルム面積の小さいハーフサイズ撮影だと、画質などのデメリットはあるが、低予算で照明もあまり使えないが、奥行きのある人物配置カットなどでフォーカスなどのピント位置が前後広めに合いやすくなるメリットがありそれを生かして車内の描写が多い。
懐かしい60年代あたりのヒット曲をふんだんに聴けるのも本作の特徴で、音響も当時としては最新になるドルビーステレオを導入しており、細かい環境音(例えばパトカーにワイヤーを仕掛ける場面では映像には出てこない鉄道の音がする)なども足されて、後のスターウォーズなどでの音響へのこだわりも垣間見えると思う。
ラストの空港での場面と主要人物達のその後を説明する写真とクレジットは、2年前に『フレンチ・コネクション』などでも使われた手法だが、こちらの方は62年という青春の終わりと後のベトナム戦争の泥沼を深く連想させて作品のハイライトでもある
後にアニマルハウスなどの映画でもパロディにされている点やオールディーズナンバーの曲の取り合わせは、1958年のイスラエルが舞台なった青春映画『グローイング・アップ』(1978年)シリーズにも引き継がれている(下ネタ多めだが)
出演者で印象に残るのは、やはりジョン役のポール・ル・マットで、学校を卒業してからクルマいじりと街道レースに、のめり込み夜な夜な愛車を飛ばしてナンパしている不良だが、友人のピンチには駆けつける頼もしい男を粋に演じている。
彼がTシャツの袖に煙草のキャメル入れている姿も昔マネしてたな。
「バディ・ホリーが死んでロックンロールは終わった」
「ザ・ビーチ・ボーイズ?あんなのロックじゃない」
などのセリフも印象で、どこか生き急ぎ陰りのある姿が数年後の悲劇を予感させる。
演じたポール・ル・マットは、1975年の青春映画の佳作『雨のロスアンゼルス 』(日本版のソフト化望む)でも似たような役柄で、悲劇的な結末を迎えるが、確かこの作品だと「ザ・ビーチ・ボーイズ」のファンの役だったと思う。
ポール・ル・マットは、その後は日本未公開だが傑作といわれる1980年のジョナサン・デミ監督(『羊たちの沈黙』など)の映画『メルビンとハワード』でも1968年に起きた大富豪ハワード・ヒューズとの出会いから始まる実話を題材にしたコメディや1950年代から地球に来訪していた宇宙人を題材にしたノスタルジー感のある侵略SF 『ストレンジ・インベーダーズ 』(1983年)などに出演していて、1950年から60年代の時代を引きずる役柄が多い印象
ちなみにジョンがリスペクトしてる1959年に事故により早逝したメガネをかけたロックンローラーことバディ・ホリー は1978年に伝記映画『バディー・ホリー・ストーリー』公開されてバディ役ゲイリー・ビジーは、アカデミー主演男優賞にノミネートされている程の熱演をしているが何故か日本未公開で、1987年のバディー・ホリーと一緒(ビッグ・ボッパーも)に飛行機事故により17歳で死んだ伝説のロックンローラー、リッチー・ヴァレンスの伝記映画佳作『ラ★バンバ』にもマーシャル・クレンショウ(この作品意外に名前を聞かない方)演じるバディー・ホリーが登場して一曲披露してる。
テリー役チャールズ・マーティン・スミスの青瓢箪ぶりも忘れ難い。
ちなみに彼はスティーブ役のロン・ハワードと共に74年に公開された巨匠リチャード・フライシャー監督の古き良き西部の神話破壊劇でもある佳作『スパイクス・ギャング』でも西部のアウトローに憧れる田舎の若者を悲劇を体現していて本作と連続してみると更に感慨深い。(リチャード・フライシャー監督は、その翌年の『マンディンゴ』でも『風と共に去りぬ』などの古き良き南部幻想を破壊してくる)
本作は1962年が舞台なので、メインの人物にアフリカ系アメリカ人などはほとんど当時せず、高校のパーティ場面に数人の男女が確認される程度なのだが、不良グループなどでヒスパニック系の面子が登場する件などもあり時代が伺える。
今回4K化された映像は、カリと硬い面が目立つが元がハーフサイズ撮影の画質だったので見やすくはなっているのと全編に流れる懐メロと全盛期のアメ車が心地よく、最近の味付け濃い目のアメリカ青春映画と比較すると薄口に感じるが、後のスタンダードになる原点としての見る価値はあると思う。
余談
余談
確かパニック映画の『エアポート'75』(又は77)の劇中の機内で本作が上映されていていてトラブルにより上映が中断され残念がる乗客の反応が印象的でしたが、当時は実在する作品とは知らず、後年名画座でみて「この作品だったのか!」と知った次第(製作会社が同じユニバーサル映画なので使い回されたのかと)
たった一夜で大きく成長するティーンエイジャーたちの愉快で、切なくて、眩しい群像劇
午前十時の映画祭14にて。
夢の国、アメリカ万歳🙌
舞台はカリフォルニアの小都市。ジョージ・ルーカスの出身地であるモデストという街で郡庁所在地らしい。
時は1962年、ルーカスが18歳の頃が背景だ。
ちょうど私が生まれた年でもある。
日本公開は1974年で、私は中学1年生。一人で映画館に行き始めた頃だ。
当然、私にはハイ・ティーンのアメリカ人たちが大人に見えた。
男も女も車を持っていて、たまり場であるレストラン(看板にはドライブ・インと書かれている)は、駐車スペースでインターフォンから注文するとローラースケートのお姉さんが料理を車まで運んでくれ、運転席の窓の外にテーブルを掛けてくれる。そのまま車で食すのだ。
この風景、いつか自分も彼女を助手席に乗せて、車でこういう店に行けるようになるだろうかと、夢のようにキラキラ輝いて見えた。
これが当時でも10年以上も前の地方都市の姿だとは全く知らなかった。
この街では、奨学金を得て東部の大学に進学する子たちは街にとっても誇りなのだろう。
この年は2人の若者カート(リチャード・ドレイファス)とスティーブ (ロン・ハワード)が奨学金を得て明日この街を発つ。
カートの妹ローリー(シンディ・ウィリアムズ)はスティーブと交際している。
地元には短大しかないらしく、短大生のジョン(ポール・ル・マット)はいかにも不良の雰囲気を漂わせている。彼は車の腕に定評があり、街の車乗りたちから英雄視されている。
現役高校生のテリー(チャールズ・マーティン・スミス)は車を持っておらず、ブレーキの効きが甘いスクーター(ヴェスパ)に乗っている。こちらはいかにも冴えない体だ。
彼ら、4人の男たちと1人の女の子の一夜の体験が、カーラジオから流れるオールディーズ・サウンド(時代設定当時の流行曲)に乗って、並行して描かれる。
このBGMの使い方は、一時期の青春映画で定番となった。
物語の始まり時点で、悩みを抱えているのはカートだけだった。この期に及んで進学を迷っている。この年頃は大抵は夢と希望が勝るのだが、漠然とした不安にかられる者もいるだろう。踏ん切りがつかない様子だ。
悩めるカートは、白いスティングレーの金髪美人から唇の動きで「I love you.」と告げられて夢中になる。探し回った挙げ句、ニアミスの連続で結局逢えない。
だが、この日高校で行われていたプロムナードには行けず終いでも、カートは貴重な経験をする。
スティーブは、地元でも女の子にモテている。ローリーに、離れている間の交際は自由にしようと言ったために関係が気まずくなる。そりゃ、都会に出れば洗練された女の子たちと付き合えると期待するだろう。だからといって、ローリーと別れたいわけではないから、離れている間だけと言った。そんな都合のいい話はない。
スティーブとローリーはプロムでペアでダンスを披露することになっていた。気まずい状態でダンスする2人のシーンが傑作だ。
3回目のデートでもキスをしないスティーブのことをローリーは父親に相談したという。「頭のいいやつだ、そのうちキスのことを思いつくさ」
この2人、一晩で2度別れて2度よりを戻す(笑)
テリーは、スティーブから留守中は愛車を貸すと言われ、有頂天になる。車が手に入ったのだから、あとは女の子だ。
スティーブの車で女の子を求めて夜の街を徘徊すると、思わぬことで美人のお姉さん(キャンディ・クラーク)を助手席に乗せることになる。このちょっとアバズレ風な美人が、意外と優しくテリーをかまってくれる。こんないい話があるだろうか、うらやましい。
だが事件が起きてジョンに救われると、虚勢を張って嘘をついていたことを彼女に白状することになる。彼女は強いジョンになびくのかと思えば、優しくテリーを慰めるのだ、うらやましい。
やはり、不良っぽいジョンがカッコいい。
半袖Tシャツの袖をまくってタバコの箱を挟んでいる。これを真似してキャラメルの箱で試してみたが、腕がTシャツの袖いっぱいに太くないと無理だった…。
ジョンはテリーとは逆に中学生の女の子(マッケンジー・フィリップス)の相手をさせられることになる。女の子はお姉さんたちの真似をして背伸びをしている。面倒を押し付けられて辟易のジョンだが、彼はいいヤツだった。
しつこくジョンに車の勝負を煽ってくるボブがハリソン・フォードだ。
クライマックスはドラッグレース。
ボブの助手席にはローリーが乗っている。
ここで1台車を横転させて燃やすのだから、低予算映画といえども大変な撮影だっただろう。
ジョンの男気が示されて、女の子を上手く家に送り届けると、今度はテリーを助けるという、よく見るとジョンは大活躍なのだ。
劇中流れ続けるラジオのDJウルフマン・ジャックは当時実在したらしく、終盤でカートが会うのは当のご本人だという。
冷蔵庫が壊れたと言ってアイスキャンディーを食べまくっている。何度も勧めるがカートがいちいち断るのが可笑しい。
波乱万丈な彼らの夜が明ける。
残る者も旅立つ者もそれぞれが何かを感じ取った一夜だっただろう。
カートとスティーブが真逆の決断をしているのが良い。
若者にとって何が正解かなど誰にも分からない。自分にとって何が大切かを自分で見つけて歩むしかないのだ。
この映画は架空の物語なのに、4人のその後が文字で表示される。必ずしも幸せな人生を送ったわけではないというのも、ルーカスの友人たちの思い出が含まれているのだろうか。
後に『アメリカン・グラフィティ2』で彼らのその後が描かれているが、アメリカはケネディ暗殺、ヴェトナム戦争を経ていて、映画の作風も面変りしている。ハリソン・フォードのボブは白バイ警官になっていた(笑)
さて、カートが追いかけていたスティングレーの美女は、実在したのか。
一説に富豪の有閑マダム、一説に高級娼婦、顔は最初に映っただけで後は車しか見えない。
カートが飛行機からあのスティングレーを見つけてニヤリとするのは、一夜の夢から覚めたことを示唆しているのかもしれない。
アメリカがアメリカだったころ(知らんけど)
確か自分のお金で買った始めてのレコードがこの映画のサントラだった。...
トロトロ
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