アマデウスのレビュー・感想・評価
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生涯ベスト5のうちの1本
午前十時の映画祭15 4Kレストア版で観賞
何度も劇場で公開されていますが個人的にはディレクターズ・カット版が一番
より映画「アマデウス」の世界が理解できます
今回は中学生の娘と観賞しましたが名作を
劇場で子供と観る喜びを味わえました
モーツァルトやサリエリ、音楽、映画に興味が出たら嬉しいですね
サリエリ視点のモーツァルトの半生
私は40年程前に、中学校の音楽の授業で本作を
先生から鑑賞させてもらった記憶があり、
いまだに思い出として残っているため、
今回の劇場公開を機に、あらためて鑑賞した。
内容はほとんど覚えていなかったが、
サリエリ視点でのモーツァルト像はイメージ通りだった。
サリエリがモーツァルトの才能を目の当たりにし、
衝撃を受けるのもよくわかるし、
嫉妬を通り越して憎悪に変化していくのも理解できる。
本作でのハイライトは、
モーツァルトの曲想をサリエリが楽譜に書き起こす
共同作業だろう。
このシーンのサリエリは、モーツァルトの才能に直接
触れることからか、どこか楽しげなのだ。
彼にとって至高の時間だったに違いない。
楽しさの中にもこいつは別格だという引導を渡された
シーンでもあったろうと思う。
モーツァルトの才能をサリエリは羨んでいたが、
放蕩生活であるがゆえ、生活は困窮を極めており、
これが幸せな人生かというと、そうではないと思う。
サリエリは神を否定しているが、パーフェクトなんて
この世にないのではないか。
どこかしら誰でも悩みや欠点はあるものだ。
生き物だから。
そんなことを考えながら鑑賞を終えた。
伝記物として今でも色褪せない名作だと思う。
天才と狂気の演技
心が震える傑作です。学生時にビデオで観た以来、劇場では初鑑賞。やは...
2人の天才
苦しみを癒すもの
【100.1】アマデウス 映画レビュー
ミロス・フォアマン監督による1984年の映画『アマデウス』は、単なる伝記映画の枠を超え、芸術家が抱える「才能」と「凡庸」という根源的なテーマを、壮麗なオペラ的演出と深い心理描写によって高次元で融合させた、映画史における稀代の傑作である。
本作の完成度の高さは、まずその二重構造にある。一方は、神童ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの驚異的な才能と、彼を取り巻く享楽的な宮廷生活の華やかさ。もう一方は、その才能を理解しながらも自らにそれがないことに苦しみ、モーツァルトへの嫉妬と憎悪に身を焦がす宮廷音楽家アントニオ・サリエリの内面の暗いドラマである。この対比構造は、芸術における神の恩寵と人間の苦悩という普遍的な問いを観客に突きつける。
さらに、フォアマン監督は、18世紀末のウィーンを舞台に、史実とフィクションを巧みに織り交ぜる大胆な脚本と、豪華絢爛たる美術・衣装、そして何よりもモーツァルトの生きた音楽を劇中に一体化させた。音楽は単なる背景ではなく、登場人物の感情や物語の進展そのものを駆動させる。サリエリの告白という回想形式を用いることで、過去の栄光と現在の老いぼれた姿が交互に描かれ、物語に重層的な深みと説得力が生まれている。この構造的完成度、主題の普遍性、そして技術的な洗練は、本作を単なる「面白い映画」から「観るべき芸術作品」へと昇華させている。第57回アカデミー賞において、作品賞を含む8部門を制覇した事実は、この揺るぎない完成度を証明するものである。
🎬監督・演出・編集
ミロス・フォアマンの演出は、抑制と爆発の絶妙なバランスの上に成り立っている。サリエリの静かなる嫉妬と、モーツァルトの奔放で時には下品な才能の表現は、常に緊張感を孕んでいる。特に、モーツァルトがサリエリの拙い歓迎曲を一瞥で完璧な形に修正するシーンや、「フィガロの結婚」の初演に至る過程、そして「レクイエム」の作曲風景などは、芸術創造の神聖な瞬間を、劇的な演出によって描出している。
フォアマンは、18世紀ウィーンの退廃的な美しさと、モーツァルトの子供っぽい無邪気さを対照的に見せながら、観客を物語の深部へと誘う。オペラシーンの撮影においては、舞台上の壮大さと、舞台裏で進行するサリエリの陰謀という二つのドラマを同時に進行させ、映画的なダイナミズムを生み出している。
編集は、本質的に回想形式である物語を淀みなく繋ぎ合わせることに成功している。過去と現在、音楽とドラマがシームレスに交錯し、特に「レクイエム」の作曲シーンにおけるモーツァルトの苦悩とサリエリの狂気が、緻密なカットの連続によって表現されるクライマックスは圧巻である。これは、フォアマンの演出意図が、編集によって最大限に引き出された証左であると言えよう。
🎭キャスティング・役者の演技
本作のキャスティングは、主要な役柄において完璧な化学反応を生み出したと言える。特に主演の二人は、その後のキャリアを決定づけるほどの熱演を見せている。
• F・マーリー・エイブラハム(アントニオ・サリエリ)
サリエリを演じたエイブラハムは、嫉妬と敬愛という相反する感情に引き裂かれる、凡庸な芸術家の悲劇を深く、そして抑制された演技で表現した。老いたサリエリの後悔に満ちた告白と、若き日の権謀術数を巡らす宮廷音楽家の冷酷さを、同一人物の内に見事に同居させている。彼の演技は、才能あるモーツァルトに隠された凡人の苦悩と、神に抗う人間の傲慢さという、物語の哲学的な核心を具現化しており、その卓越した内面描写により、彼は第57回アカデミー賞で主演男優賞を受賞した。彼の、モーツァルトの楽譜を読む時の歓喜と絶望が入り混じった表情は、この映画の象徴的な瞬間の一つである。
• トム・ハルス(ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト)
モーツァルト役のトム・ハルスは、その特異な笑い声と、天才ゆえの傲慢さ、そして子供のような無邪気さを驚異的な説得力で演じきった。彼のモーツァルトは、世俗的な常識から逸脱した神童であり、その下品さや軽薄さの裏に、底知れぬ音楽的才能が脈打っていることを感じさせる。ハルスの身体的な表現、特に舞台上での躍動感と、晩年の精神的な衰弱の対比は、観客に深い印象を残す。エイブラハムとの二重受賞は逃したが、彼もまた主演男優賞にノミネートされるという高い評価を得た。
• エリザベス・ベリッジ(コンスタンツェ・ウェーバー)
モーツァルトの妻コンスタンツェを演じたベリッジは、夫の才能に振り回されながらも献身的な愛を注ぐ女性の姿を、時に現実的で強かに、時に脆く傷つきやすい側面をもって表現した。宮廷での振る舞いと、モーツァルトを支える妻としての複雑な心情が巧みに描き出されている。
• サイモン・キャロウ(エマニュエル・シカネーダー)
モーツァルトのオペラ「魔笛」の台本作家であり興行主でもあるシカネーダーを演じたキャロウは、陽気で俗っぽい舞台人のキャラクターを見事に体現している。モーツァルトの才能を利用しつつも、彼に惜しみない賞賛を送る興行師の姿は、劇中の明るい狂言回しとしての役割を効果的に果たしている。
• ジェフリー・ジョーンズ(皇帝ヨーゼフ2世)
オーストリア=ハンガリー帝国の皇帝ヨーゼフ2世を演じたジョーンズは、音楽を愛するが故に凡庸な判断を下す権力者の姿を、威厳と同時に滑稽さをもって演じきった。彼の微妙な表情の変化は、サリエリの陰謀が宮廷内でいかに機能していたかを静かに示唆している。
📜脚本・ストーリー
ピーター・シェーファーによる脚本は、彼自身の戯曲を基に、史実の隙間を縫う鮮やかなフィクションを構築している。サリエリを狂言回し兼語り手とすることで、モーツァルトという光の天才を、サリエリという影の凡人の視点から捉え直すという手法が、ストーリーに深遠な哲学性を与えた。
物語は、サリエリが神に対して行った「才能の横領」という告白を中心に展開する。これは、モーツァルトへの純粋な嫉妬ではなく、「なぜ神は、私ではなくあの下品な若者に天賦の才を与えたのか?」という、神の摂理に対する信仰の破壊と怨嗟のドラマである。ストーリーテリングはテンポが良く、モーツァルトの傑作の誕生と、サリエリによる陰湿な策略がパラレルで進行し、観客を緊張の渦に引き込む。特に、モーツァルトの死後、サリエリが芸術の凡庸さを許す「凡庸の守護聖人」として振る舞うラストシーンは、皮肉と哀愁に満ちており、物語のテーマを完璧に締めくくっている。この脚本は、その独創的な視点と劇的な構成により、第57回アカデミー賞で脚色賞を受賞している。
🖼️映像・美術衣装
『アマデウス』の美術と衣装は、18世紀末のウィーン宮廷の壮麗な空気感を見事に再現している。色彩は豊かで、宮廷のボールルームやオペラハウスの豪華なセットは、当時の貴族文化の華やかさと、その裏にある退廃的なムードを同時に表現している。ロケ地として使用されたプラハの古い建物群は、ウィーンの街並みを再現する上で絶大なリアリティをもたらした。
衣装デザイナー、セオドア・ピステクによる衣装は、モーツァルトの時代にそぐわない派手な装いと、サリエリや皇帝の格式ばった宮廷服との対比が印象的である。特にモーツァルトの奇抜なかつらやフロックコートは、彼の型破りな個性を視覚的に強調し、コンスタンツェのドレスは、彼女の社会的地位の変化を反映している。これら美術と衣装は、単なる背景装飾に留まらず、登場人物の心理状態や社会的地位を雄弁に物語る役割を果たし、本作の視覚的な没入感を決定づけており、第57回アカデミー賞で美術賞と衣装デザイン賞のW受賞を達成している。
🎼音楽
本作の音楽は、主題であるヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの原曲そのものが使用されており、物語の魂となっている。フォアマン監督は、モーツァルトの音楽を単なるBGMとしてではなく、登場人物たちの言葉や感情を代弁するものとして扱った。特に、サリエリがモーツァルトの楽曲を聴き、その完璧な美しさに打ちのめされるシーンは、音楽の持つ超越的な力を最大限に引き出している。
劇中では、「フィガロの結婚」「ドン・ジョヴァンニ」「魔笛」といった主要なオペラのアリアや合唱、そして「レクイエム」などの宗教曲が、物語の転換点で効果的に挿入される。特に、サリエリが「レクイエム」の作曲を口述筆記するクライマックスは、モーツァルトの病的な才能の輝きと、サリエリの最後の協力者としての苦悩を、音楽を通じて表現する映画史上屈指の名場面である。
本作は、主題歌は存在しないが、サウンドトラックはモーツァルトの偉大な楽曲群で構成されており、時代を超越した芸術の力を観客に再認識させる。モーツァルトの音楽を劇的に用いる手法は、第57回アカデミー賞における音響賞の受賞へと繋がった。モーツァルトの音楽は、この映画の真の主役であり、その不滅の美しさが映画全体に荘厳なオーラを与えている。
ありがとうございます。
客観的な分析に納得いただけたようで良かったです。撮影・映像はS10で確定し、最終スコアは100.1となります。
作品[Amadeus]
主演
評価対象: F・マーリー・エイブラハム、トム・ハルス
適用評価点: S10
助演
評価対象: エリザベス・ベリッジ、サイモン・キャロウ、ジェフリー・ジョーンズ
適用評価点: S10
脚本・ストーリー
評価対象: ピーター・シェーファー
適用評価点: S10
撮影・映像
評価対象: ミロスラフ・オンドリチェク
適用評価点: S10
美術・衣装
評価対象: セオドア・ピステク
適用評価点: S10
音楽
評価対象: ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
適用評価点: S10
編集(減点)
評価対象: マイケル・チャンドラー、ネナ・ダルコヴィッチ
適用評価点: -0
監督(最終評価)
評価対象: ミロス・フォアマン
総合スコア:[100.1]
映画館で見なければいけないよね…
映画は映画館で観なくてはダメなことを心底思わせてくれる作品。
画面、音楽、すべてにおいて…。
凡人たちのチャンピオン、サリエリ。
彼に心を奪われ、彼に、己の煩悩が救われた。
大谷の活躍に心が躍らない。
野茂やイチロー、松井の一投一打にはあんなにこころがざわついたのに…。
凡人のあるあるだろう。(モチロン野茂、イチロー、松井が凡庸というのではないよ)
どことなく冷めた目で見てしまう。次元が違いすぎると…。
だからいまは、チャンピオン、サリエリに感謝しかない。
追伸
ネットで調べると、この映画の内容は、でたらめらしい。
サリエリは結婚して、8人子供がいて、
そして、ベートーベン、シューベルト、リスト等のそうそうたる弟子がいるとのこと。
追伸
メディアはだいたい、眉唾ものと、しっかり心に刻んでおく必要があるね。
特に、オールドメディアのよくできた話には…。
天才と苦悩
「午前十時の映画祭」でTOHOにて鑑賞。
以前、映画館で上映してくれないかなーと書いた事があるのでとても嬉しい。
過去に見たのはテレビ放送だったため(吹替だしCMが途中で入ってブツ切り)中途半端に鑑賞した感じ。
改めて見ると…
サリエリの妬み一色の話と思っていたが、(映画上では)彼が仕掛けたとは言え最後はレクイエムを書きあげるのを手伝っていたし、モーツァルトに憧れていたことも冒頭で触れていた。
神は与えてくれないと葛藤を抱き、最期まで苦しんだサリエリの生涯を描いた作品でもあった。
そして、モーツァルトには父の存在も大きかったんだなと知った。下品な振る舞い、特徴的な高笑いと父の死後、衰弱していく姿が印象的だった。
諸説あろうが、この映画を見てその人物像を更に知りたくなった。
宮廷に集う人々は女性も皆カツラをかぶり煌びやかなせいかコスプレ集団に見えてしまったw
素晴らしい音楽が聞けるわけなので、是非劇場で見てほしい。
*****
公開の同時代、ファルコの「ロック・ミー・アマデウス」がヒットしており、この映画と直接関係なくてもアマデウスと聞くとセットで浮かんできます。
サリエリが最大の理解者
劇場初公開時の高校生の時にはあまり分からなかったけど、今ならすごく分かるサリエリの気持ち
午前十時の映画祭15で鑑賞
とにかく映像が豪華絢爛で素晴らしい、今では絶対にCGやVFXに頼ってしまいそうな画ですが、“本物でしか出せない”息を呑むゴージャスな映像美に格の違いを感じさせます、さすが第57回アカデミー賞の作品賞をはじめ8部門受賞した作品です
そして映像もさることながら、主演男優賞を受賞したF・マーリー・エイブラムスさんの主人公サリエリの演技にも圧倒されます
サリエリは宮廷音楽家として高貴なプライドを持っていたものの、品が無いけど天才作曲家のモーツァルトが現れ立場を脅かされ始めると共にその才能と存在に嫉妬・妬みを抱き始め・・・という人の本性に迫る役を見事に演じきっています
サリエリ自身、宮廷音楽家に選ばれるぐらいの人物で世間的にはすごい人、なのに大衆の前で彼の音楽を凡庸で退屈と言わんばかりに笑いものにしてしまうモーツァルトの天才的能力を目の当たりにしプライドをズタズタに切り裂かれる苦悩は観ていてもの凄く苦しかったし、それを表現するエイブラムスさんにはとてつもない凄みを感じました
そして全編に流れモーツァルトの名曲の数々、やっぱりこの作本も劇場の大画面と迫力の音響で観て感じるべき格調の高い名作、今回もこの機会をくれた午前十時の映画祭に大感謝です
ドリンクを飲むのを忘れて物語に集中
一方的に神を信用した男の話
公開当時は、映画館で見る機会がなく、ソフトで見ていました。大画面で見て改めて気づくことも。
以前の感想は、単にモーツァルトに嫉妬した男の話という認識でしたが、一方的ではあるものの神を信じたのに裏切られたと思っている男が、神父にその神への不満の話をするという話だと気づきました。神父に話すことで、溜飲を下げているような。そして結果的にモーツァルトも自分同様、神に見捨てられたと思っている感じ。
オペラのシーンは、演じている人と歌っている人が違っていたんですね。エンディングロールでリストが出てきます。
墓地での埋葬シーンで誰も家族が立ち会わなかったのは事実のようで、墓地のどこに埋葬されたか不明なんだとか。生家は観光地になっていますけどね。
精神病院に神父がやってくるシーンで小太りの全裸男がいますが、ボカシがなかったですね。まあアップになる訳じゃないですけど。
神の遣いではなく、神そのもの
ロック・ミー・アマデウス
F・マーレイ・エイブラムス。
ドラマ「HOMELAND」で暗躍するダール・アダル役を演じる彼を見た時、この映画での印象が強く脳裏に焼き付けられていて納得感というか感嘆と共に没入の手助けをしてくれた。
「午前十時の映画祭」で久しぶりに鑑賞し、知っていたはずの顔が老け顔で、件のドラマで上書きされていたことに気付かされた。
年老いたメイクでする演技が実際の年齢での演技に勝てる訳もなく、それはキャリアの積み重ねで醸し出されることなので仕方ないが、譜面を見て悶絶の表情をするところとか心の底にあるものを観客に感じさせる演技はとても上手いと感じた。
神父への告白とは裏腹に信奉から嫉妬、最後には共同作業で同じ領域に達した錯覚(?)を体験できたことで恨み言を言い続けた神に自分自身がなれたというような思い上がりの演技は若いうちじゃないと出来ないなと。
いい歳の取り方をしてるのに目立った活躍が無いのは非常に残念。もっと見たい俳優の1人です。
極上の映画体験で有りました
サリエリの嫉妬と夢
鳥肌総立ち
トム・ハルスの演技がとんでもない。まさにアマデウスを演じるに相応しい人選だと痛感した。オスカー獲ってないのが不思議で仕方ない。
サリエリとアマデウスが共同作業でレクイエムの楽譜を完成させる終盤のシーンで鳥肌が止まらなかった。サリエリはアマデウスの有り余る才能に嫉妬し、あまつさえ憎んですらいたのに、2人で譜面を完成させていく様子はものすごく楽しそうに見えた。
もうラストのサリエリの去り際のシーンとかやばすぎた。
嫉妬と心酔
老いたサリエリが、モーツァルトを殺したのは自分だと言って自殺を図る。サリエリは宮廷作曲家として、皇帝ヨーゼフ2世に仕えていた。そこに神童モーツァルトがやってくる。サリエリは、彼の才能を高く評価する一方、低俗な人間性は許せなかった。
「下劣」「好色」「幼稚」と、どうしょうもない人格のモーツァルトを嫌悪するのは分からないでもない。さらにサリエリは、音楽を評価する才能に長けていたのも不幸と言えます。そんな二人に対し、音楽を聞くのも演奏も全くだめな皇帝の対比が笑えます。
会社のミーティングで7つの習慣を勉強しています。最近「才能を認められたかったら、人格を高めること」とあり、モーツァルトの馬鹿笑いが聞こえてきそう。
「ボヘミアンラプソディ」で、フレディが仰向けに寝ながらピアノを弾くシーンがあります。今作のオマージュだったかも。
映画の責任はいかに?
歴史学習が好きではない人には、映画は例えフィクションだと分かっていても洗脳道具となりうる
勝者や時の権力者、はたまた所謂:歴史家等によって、歴史の真実は明らかにされるとともに都合良く歪められていく
この映画の前提でもある「サリエリがアマデウス(モーツァルト)を殺した」というのさえ噂の域を出ない
世界三大悪妻と言われたコンスタンツェも後世の誰かが勝手に作り上げた虚像なのかも知れない
特に、コンスタンツェがアマデウスの葬式も出さずに共同墓地?に遺体を捨てさせるシーンは監督の悪意さえ感じる
この部分は真実なの?創作なの?と踏まえた上で映画は鑑賞しないと、とんでもない誤解を自身の中に生み出すことになる
モーツァルトの天才ぶりと変人ぶりが際立つこの映画も、教科書等にはほとんど出てこない彼の人となりを炙り出したと言えるけど、どこまでを信じたらいいのだろうか
彼が若くして亡くなったことや、人類の遺産ともいうべき素晴らしい曲を沢山残したのは事実なのだろう
短すぎた彼の人生、それは勿体ないとも言えるし、自業自得では?とも言える
伝記等によれば、天才の周りには振り回されて人生を棒に振る輩がいるのが常である
それはある時は兄弟、ある時は妻、ある時は友人、ある時は子供達、ある時は弟子達etc
周りの人達がそんな天才に仕えることに満足しているなら問題もないけれど、実際はどうなのだろう
そう考えるとこの映画の評価も???だらけとなるが、当時の衣装や音楽・オペラの舞台や内容はレベルが高く、特にファンにとっては存分に楽しめたのではないだろうか
でも長かったーーぁ
全80件中、21~40件目を表示











