「人間は「自我」を得た瞬間、世界を失う」アポロンの地獄 neonrgさんの映画レビュー(感想・評価)
人間は「自我」を得た瞬間、世界を失う
パゾリーニの『アポロンの地獄(Edipo Re)』は、古代神話の再現ではなく、人間が「自我」を獲得し、理性によって世界と分断されていく過程を描いた哲学的寓話だと思います。モロッコの荒野で撮影された序盤では、民族も時代も混ざり合い、日本的な笛や太鼓の音、アフリカやアジアの旋律が響き、まだ人間が「世界と一体だった頃」の意識が再現されています。
物語の核にあるのは、予言に抗おうとするオイディプスが結局その通りに父を殺し、母と交わるという悲劇です。しかしパゾリーニが描きたかったのは、運命ではなく「知ること」の悲劇でした。人間は理性を手に入れることで自由を得たが、同時に世界との一体性を失い、孤独を抱える存在になった。オイディプスが「罪人を探していたら自分自身だった」と気づく瞬間、それは自己認識が生まれる瞬間=自我の誕生です。彼が自らの目を潰すのは、もはや“見える”という行為そのものが罰になったからです。見ること=知ること=理性が、自分を破壊する。闇に戻ることでしか、人間は贖われない。
終盤、盲目となったオイディプスが現代の都市をさまようシーン――教会(信仰の象徴)と工場(理性と唯物の象徴)が並ぶ光景――は、古代と現代をつなぐ鏡像です。教会は「神がいた時代」、工場は「神なき時代」。この二つの対比に、パゾリーニ自身の内的矛盾――マルクス主義と神秘主義、精神と物質、聖と俗――が重なっています。彼はこの二項を対立としてではなく、共存の裂け目として描きました。工場の労働には祈りのリズムがあり、欲望や肉体の中にも神的な痕跡が残っている。神を失った現代においても、人間の営みそのものが聖なるものの最後の居場所である――パゾリーニの“信仰”とは、神そのものではなく「失われた聖性」への信仰だったのです。
この映画が突きつけるのは、理性によって自由を得たはずの人間が、その理性によって再び囚われているという皮肉です。すべてがメタファーで構築されたこの作品は、理解よりも“感じ取る”ことを要求してきます。哲学や宗教への素養がなくても、観る者はおぼろげに“何か”を感じ取るはずです。その感覚こそ、パゾリーニが到達した領域――知ることの罪と、見えなくなることの救い――の核心なのだと思います。
鑑賞方法: BSの録画 (イマジカBS)
評価: 94点
