「私は行かねばならん。行かねばならんのだよ!」聖職の碑 kazzさんの映画レビュー(感想・評価)
私は行かねばならん。行かねばならんのだよ!
WOWOWの放送にて。
前年に公開された『八甲田山』が空前の大ヒットを記録したことを受け、同じ森谷司郎監督で浅田次郎の原作を映画化した二匹目のドジョウ的な作品である。
当時は宣伝にも相当力が入っていたと記憶する。
鶴田浩二の「この子達は私の命だ!」というセリフが、そのままキャッチフレーズだった。
しかし、『八甲田山』に匹敵する成績は得られなかった。
大正時代の信州長野が舞台。
映画の序盤に校外授業のシーンがある。
校長(鶴田浩二)が子供たちに、松本城主小笠原氏のために僅か1,500の兵で武田信玄の2万の軍勢を迎えうった箕輪軍の逸話を語ってきかせる。
小笠原からの援軍がないまま箕輪城は陥落したが、信玄は箕輪勢の信義と剛勇を惜しんで城は焼いたが兵は解放し、解放された箕輪軍の兵に信玄についた者はいても、小笠原についた者は一人もいなかったという。ずるい人間は必ず滅びるという教訓である。
これに補足はないかと校長から振られた若い教師清水(三浦友和)は、お前たちの先祖が信玄に滅ぼされた歴史の影に、信玄が敵といえども個人の考えを尊重して自由な生き方を許した裏話があることを忘れるな、と子供たちに語る。
物語が進み、北大路欣也を筆頭に、三浦友和、中井貴惠、田中健の若手教師たちが、白樺派に影響を受けた自由思想の教育を模索していることがわかる。
若い教師の理想と情熱は尊重しつつも、確固たるゴールのない理想主義は子供をミスリードすると校長は懸念を抱いていて、校長と白樺派に僅かな亀裂が生じる。
村の役人や郡の教育機関も、国定教科書に沿わない授業を行う白樺派教師たちに強い違和感を示して対立しつつあった。
さて、この白樺派教師たちと、実践主義・鍛錬主義を貫く校長以下の教師たちとの対立が、この映画の主題にどう関わってくるのか…
樋口(田中健)は実家の奉公人の娘(大竹しのぶ)と身分が異なる恋をする。
大竹しのぶが働く製糸工場の場面で『あゝ野麦峠』を思い出してしまうが、大竹しのぶが主演したその映画が大ヒットしたのは本作公開の翌年だ…。
二人の結婚を許すよう父親の説得を樋口に頼み込まれた校長は、渋々請け負う。
校長夫妻が樋口の父親を訪ねて説得し、近く父親の弟がヨーロッパから帰国するのを待って親族会議を開くこととなった。
校長夫婦が樋口家を出ると、一歩後を歩く妻(岩下志麻)が、ひとまず大役を果たした満足感をにじませる夫をチラリと見やると微かな笑を口もとに表す。この何気ない岩下志麻の表情の演技が素晴らしい。
樋口が最も理解を示してくれる人物だと信頼していた叔父は、意外にも身分の差を重視して反対に回り、樋口と校長夫妻の期待はもろくも崩れ去った。
この、ヨーロッパ帰りの先進的な(はずの)叔父を米倉斉加年が演じていて、出番は少なく目立った演技もないのだが、配役の妙を感じた。
校長を尊敬しつつも、教育理念で衝突する白樺派教師たちが苦心惨憺する様などが描写され、いよいよ八ケ岳登山訓練の是非を議論する職員会議を向かえる。
鍛錬主義をめぐって、校長や征矢(地井武男)らと意見対立する有賀(北大路欣也)や清水だったが、登山訓練は決行されることになる。
公開時の鑑賞では登山開始から遭難に至るシーンのインパクトが強く、これほど前置きが長い印象はなかった。さらに、碑を建てるまでの事故後も意外に長いと改めて感じた。
前置きが長い割に、『八甲田山』と違って登山準備の様子があまり描かれない。直前まで気象台に天気を確認する校長の姿はあったが、先の職員会議での校長は昨年の登山経験を強調していた印象が強いため、はたして綿密な計画が立てられていたのか、安全策がとられていたのか、疑問が残る。
校長が熱心な教育者であり、人望か厚いことは長い前置きで示されていたが、何者かに焼き払われた山小屋で激しい嵐にみまわれ、登山隊に参加した青年団員たちから校長批判の声が上がり、彼らはパニックに陥る。
このパニック状態から遭難に至る様子がリアルに描かれていて、森谷監督の演出力が示されている。
校長と清水がそれぞれ命に変えても子供たちを救おうとする姿に加えて、救助を求めて単独で下山する征矢の必死の行動も胸を打つものがある。
正直言って、登山と遭難事故にもっと時間をかけたほうが良かったのではないか。『八甲田山』との違いを出したかったのかもしれないが。
留守を任されていた有賀(北大路欣也)は、事故後、校長の名誉回復と、悲劇の教訓を残すための記念碑建立に尽力する。病をおして命がけで教育関係者を説得して回るのだ。
たが、ここに鍛錬主義と白樺派の確執は見当たらない。
校長の聖職者としてのあり方に、教育理念の違いは関係ないということかもしれないが、長尺を割いて描写した教師たちの主張と議論は物語として活かされていないように感じた。
残念だ。