あゝ予科練のレビュー・感想・評価
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逆説的に本作は反戦映画になっていると言えるのかも知れません
あゝ予科練
1968年6月1日公開
東映の60年代戦記映画三部作の第3作です
第1作が大ヒットしたので第2作が製作され半年後に公開されたのですが配給成績は第1作の9割程度に終わりました
第1作の公開は年間で一番客入りの低調な6月の始めにたいして、第2作は正月第二弾であったのにこの成績では見劣りがします
とは言えそこそこの成績ですからもう1作と言うことかと思います
第2作は人間魚雷回天というちょっと地味な題材だったとの反省があったのか、第1作の戦闘機による特攻隊の映画に回帰します
また、第2作には、第1作の主題歌「同期の桜」のようなものが無かったので、ここも改善点として主題歌「若鷲の歌」を冒頭から入れています
この歌は、もともとは戦時中の戦意高揚映画「決戦の大空へ」の主題歌として作られたもので、戦時中に大ヒットしたものを、西郷輝彦の歌唱で新たにしたものです
予科練とは、映画の冒頭で説明されるとおり、海軍飛行予科練習生のことです
海軍の航空機搭乗員養成のため、設置された教育機関を指します
入隊年齢は、ほぼ今の高校生と同じくらい
選抜試験は非常に厳しく、合格倍率は70倍を超えることもあったそうですから、今の超難関進学校以上だったでしょう
しかも、体力も目も良くないとなりません
日本全国各地の最優秀な青年が集まったものと思われます
しかし、戦争は激烈で大変な消耗戦となり、いくらパイロットを養成しても足らない状況でした
そのような将来の日本を背負って立つような最優秀な青年達を次から次に失い、大戦末期の本作が描く1944年の秋頃には、折角養成した搭乗員を特攻隊にして、たった一度の出撃で死なせてすり潰すしか無くなってしまいます
そのことの異常さは鶴田浩二の演じる桂分隊長自身が一番分かっていて、部下を特攻にだすことを拒否するほどです
しかし上層部に押し切られてしまうのです
鶴田浩二は昭和20年代最大のアイドルで任侠映画のスターとなるのは、そのもっとあとのこと
彼は戦時中、学徒出陣で海軍飛行予備学生となった人で、まかり間違えば特攻隊員となっていた人でしただけに説得力のあるシーンとなっています
前半は予科練の度を越した激しいスパルタ教育がこれでもかと描かれます
遂に自殺者も出すほどです
今の世の中では絶対に許されないことです
厳しく指導することが戦場で生き残る為にしてやれる最上のことなのかも知れません
それでも行き過ぎです
戦う前に自殺させてしまうなんて本末転倒です
今の時代ならば一人どころか何十人も自殺者をだすことでしょう
特攻隊以前にすでに、この段階で異常なのです
これを異常と思えない時点で日本は戦争に負けていたのだと思います
本作には第1作の「ああ同期の桜」にあった戦後生まれの子供達に、戦争中の同じ年代の青年達はこの様に苦しんだのだと伝えようとした反戦のメッセージは本作からは少しも感じられません
ひたすら、気持ち悪いアナクロさに耐えなければならないのです
鶴田浩二が演じる桂大尉と
藤純子の演じる藤井の姉美恵子との淡いロマンス、薬師寺の月光菩薩ととても似ているというエピソードだけが救いです
それだからこそ、逆に本作を観てこんな時代を二度と繰り返してはならないと強く感じることでしょう
果たして、団塊世代の人達にその思いは強く刷り込まれたと思います
その意味では逆説的に本作は反戦映画になっていると言えるのかも知れません
その反面、戦争を考えることすら嫌だという風潮が団塊世代に強く成りすぎて、60年も経過して21世紀になり、日本をめぐる安全保障環境が様変わりしているのに、いまだに、日本が戦争できない国でいるだけで、それだけで戦争は無いという底の浅い考えに凝り固まらせた原因になったのかもしれません
私達はウクライナ戦争で、勝手に戦争をふっかけられることもあることを知ってしまったにも関わらず
蛇足
2025年の夏の高校野球
本作の予科練の生徒達と同じ年齢の高校生が甲子園で熱戦を繰り広げました
ある強豪校が一回戦を勝ったにもかかわらず二回戦以降を出場辞退するという異常事態が起こりました
まさに、本作のような暴力事件が野球部寮で起きたことが世の中に波紋を広げたことによるものだそうです
自分は、この予科練の異常を異常と思わない体質が戦後80年を経っても未だに残っていたとおもいました
こういう体質が戦争への道を作るのだとも思いました
予科練の〜
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