「広島/長崎。あの日から今日、これから先も、忘れてはならない」ひろしま 近大さんの映画レビュー(感想・評価)
広島/長崎。あの日から今日、これから先も、忘れてはならない
広島への原爆投下を描いた1953年の作品。
僅か8年後に製作された意欲作ながらも、そのリアルな描写や痛烈なメッセージで長年お蔵入りされた伝説の名作。
この作品の存在は知っていたものの、そういった経緯からなかなか見る事が出来なかったが、この度Eテレで放送。
ばっちり録画し、身を引き締めて鑑賞。
まず見て衝撃だったのは、戦後74年経った今なら未だしも、1953年の時点であの悲劇が早くも風化されつつある事。
平穏な日常を取り戻し、アメリカと交流を深める。それは悪い事ではない。が、あの悲劇の事が忘れ去られるのではないかと危惧する声…。
東日本大震災と通じる。
しかし、決して忘れ得ぬ人たちが居た。
被曝者、身体に一生消えぬ火傷を負った人たち、後遺症に苦しむ人たち…。
広島のとある高校で一人の女子高生が、原爆投下時のラジオを聞く授業中に突然、鼻血を出して倒れる。当時の事を思い出したショックを受けてと思いきや、原爆の後遺症で白血病を発症し…。
先に“僅か8年”と書いたが、今度は8年を経て。
突然今また我が身を襲う。何故、今また、今尚、苦しみ続けならねばならないのか。
人々の脳裏に蘇る、“あの日”…。
1945年8月6日。
暑いいつもと変わらぬ日…の筈だった。
何処からともなくB29の音が聞こえ…
それは一瞬だった。
彼らの日常が、彼らの知る町が、一瞬にして消え去った。
火の海、焦土と化し…。
服はボロボロ、痛ましい火傷や傷、呆然と放心状態でさ迷う人たち…。
もし、本当に地獄という世界があるのなら、この惨状の事を言うのだろう。
現在の技術を駆使すれば、溶けた肌、生々しい火傷跡や流血など、もっと目を背けたくなる描写になるだろう。
が、規制の厳しかった当時としては、よくぞここまで! 寧ろ、充分。恐ろしさが伝わってくる。
生徒たちを連れて彷徨する先生。
子を探す父。
家の下敷きになり、火が迫る妻を見捨てなければならない夫…。
特に胸が苦しかったのは、子供たち。
泣き叫びながら親を探す火傷を負った幼い子供。
息絶えた親の亡骸に泣きつく子供。
小学校で校舎の下敷きになった生徒たち…。
この子供たちが、何か悪い事でもしたのだろうか!
胸苦しいと共に、憤りすら感じた。
原爆体験者の手記『原爆の子』を基に、1952年の新藤兼人監督作とは別に製作。
関川秀雄による本作は、ドキュメンタリータッチ。戦争や原爆を知らない今の我々に、その恐ろしさを衝撃なまでに焼き付ける。
それをさらに説得力強くしたのが、実際の被曝者や体験者も参加したという、約8万人以上にも及ぶ広島県民によるエキストラ。
あの迫真さは演技ではない。真実なのだ。
その他印象的に感じたのは、伊福部昭の音楽。
本作の音楽が、この翌年に氏が手掛け代表作となる『ゴジラ』で、破壊し尽くされた東京の惨状シーンに掛かる音楽と酷似。
これは単なる使い回しや引用ではない。
本作でも『ゴジラ』でも、悲劇に見舞われた人々の悲しみや哀悼を、音楽で一貫した訴え。
重厚で、格調高く。
いつぞやジェームズ・キャメロンが原爆投下の映画を作る企画があったが、結局中止に。
結果的に良かったかもしれない。
原爆投下は戦争早期終結の為の必要悪。二重被曝者を嘲笑。破壊する/潰すを比喩した“ナガサキする”発言…。
軽視するアメリカに、作って欲しくない。
日本人でなければ絶対に作れない。
日本人でなければ絶対に伝えられない。
日本人でなければ絶対に訴える事は出来ない。
草木も生えないとまで言われた被曝地。
が、種が芽生え、復興を遂げ、人々や子孫が生き暮らし続けている。
愚かな原爆などで、死に絶えるものか。
反戦・反核、平和への祈りの中心地。
絶対に忘れてはならない、風化させてはいけない。この悲劇を、この苦しみを、この声を、この訴えを。
広島そして長崎から、世界へ。当時も、今も、この先も永遠に。