劇場公開日 1954年1月15日

「川端康成の原作のテーマを換骨奪胎し、小津作品へのアンチテーゼというべき作品テーマになっています」山の音 あき240さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0川端康成の原作のテーマを換骨奪胎し、小津作品へのアンチテーゼというべき作品テーマになっています

2020年5月11日
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鑑賞方法:DVD/BD

よく川端康成からクレームが入らなかったものだと思います
決定的に違うのではないかと思います

例えば能面をなぜ菊子が被らずに、秘書の谷崎女史が被ってしまうのか?
信吾が能面に接吻するシーンもありません
能面の持つ意味が無意味になってしまいます
それなら能面のエピソードは丸ごとカットした方がまだましです

だいたい題名の山の音はどこにいったのでしょう?
それはもちろん台風の夜となっているのでしょう
でもそれでは意味合いがこれまた決定的に違います
菊子の鼻血シーンの前の早朝の鐘の音でももちろんありません
ただ川端康成の原作であることだけを示しているだけで消え去っているのです

成瀬監督ほどの実力と手練れならば、原作小説の映画化を高い水準で実現できるはずです

これは狙ってやったことです
そうとしか思えません

原節子と上原謙の夫婦の映画
それは本作の3年前1951年の成瀬監督のめしでもそのコンビでした
その作品では夫婦愛を高らかに歌い上げた作品でした

一方本作では真逆です
そしてその鎌倉を舞台にした原作小説にかこつけて、松竹の小津作品の体裁で撮っているのです

タイトルバックの雰囲気
鎌倉の屋敷のセット
横須賀線の車内シーン
小津作品のオマージュだらけです
明らかに狙ってやっています
確信犯です

原節子は小津作品には本作撮影までの時点で、
1949年の晩春、1951年麦秋、1953年の東京物語の3本に主演しています

3本とも父と娘の愛情がテーマです
そして本作は義父と嫁の隠された愛情がテーマに据えられいます

つまり川端康成の原作の信吾中心のテーマはうっちゃられていて換骨奪胎した、小津作品へのアンチテーゼというべき作品テーマになっています

それが目的の映画であったような気がしてなりません

何故に秘書の谷崎女史にあれほど出番があり、存在感が与えられているのか?

谷崎女史は自立した女性です
外見からも笑顔のない小さく胸の薄い女性として配役されています
それも孤独でいつもどことなく不機嫌な女性として設定されています
終盤の後任秘書と比べるとハッキリします

谷崎女史は、修一の浮気相手でシングルマザーを選択した絹子と同じ種類の女性です
見た目まで似せてあります

しかし彼女は、あくまでと秘書として一人の女性として、信吾からも修一からも扱われていません
なのにこの二人からプライベートに深く関与させられているのです

能面まで被らされています
つまり菊子の代用品という意味なのです

彼女は二人から菊子の代用品としてあつかわれているのです
信吾は彼女を通して菊子を見ています
修一は彼女に菊子への不満をぶつけて連れまわしています
その上、彼女と容貌の似た絹子と性的関係を持ちそれを彼女に見せつけているのです
菊子に出来ないことを谷崎女史にしているのです

しかし両名からは、あくまで会社の備品と見なされて性的には一切女性としてあつかわれないのです

だから彼女は不機嫌で最終的にはやり切れずに会社を辞めてしまうのです
そうしてそんな人間扱いされない立場から、自由になろうと自ら行動する女性なのです
見方をかえれば、家庭における菊子と同じ立場なのです
つまり菊子と谷崎女史は鏡の両面だったのです

のびのびするね
ビスタに苦心してあって、奥行きが深く見えるんですって
ビスタって何だ?
見通し線というんですって

ラストシーンのこの会話に、成瀬監督が原作小説のテーマとは別に本作のテーマに据え直したものが何か凝縮されていると思います

人間がのびのびと生きる新しい時代であるべきだ
女性も社会と未来を見通して自立を果たして欲しい
そう成瀬監督が言っているように聞こえます

誰に?
小津作品の中の原節子が演じる窮屈そうな女性へのメッセージなのだと思います

本作の菊子のように自由に生きなさい
女性も自由に生きてよいのだ
戦後とはそういう時代なのだ

そういう成瀬監督の言葉なのです

本作は川端康成の原作にかこつけて、テーマを換骨奪胎した作品だったのだと思うのです

あき240
あき240さんのコメント
2020年6月25日

アスニンさん

コメントありがとうございます

はるか昔に読んだきりで記憶に混乱がありました

読み直してみました
能面を買って試しに被らせたのは確かに谷崎英子女史でした
ここは映画は原作に沿っていました

原作で菊子が能面を被ったのは、後半に入ってお茶のお師匠さまをしている戦争未亡人の友人から帰った時でした

その時に、信吾は能面を買って来て日に能面に接吻しかけたことを思い出したのです

そして菊子は能面の下で涙を流していたのです

映画ではこの決定的に重要なシーンが、信吾自身が被ってしまうことになっていました

どうも気味が悪いという保子に、可愛いだろと脳天気に応えてまでいるのです

原作の大きな要素である信吾の菊子への秘められた恋慕がスッポリと消え失せているということです

ご指摘ありがとうございました

あき240
アスニンさんのコメント
2020年6月18日

ごめんなさい、まだこの映画は見ていないのですが、原作でも能面を被ったのは菊子ではなく谷崎英子ではなかったでしょうか?

アスニン