劇場公開日 1950年8月8日

「男支配の夫婦観から脱却できていない」宗方姉妹 あんちゃんさんの映画レビュー(感想・評価)

3.0男支配の夫婦観から脱却できていない

2024年6月21日
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鑑賞方法:映画館

戦後5年が過ぎた昭和25年の作品である。焼け跡は残っていたはずだがフィルムに表れない。東京、京都、神戸の美しい風景が映る。
原作は大佛次郎の朝日新聞掲載小説。原作にはあたっていないのだが映画化で大きくは改編されていないと思われる。英仏文学に造詣の深かった大佛が、女性の解放とまではいかないものの、戦後の女性の意識の変化を描こうとしたものだろうし、新しい家庭映画を創ろうとしていた小津安二郎と野田高梧が共鳴して脚本化したのだろうから恐らくは大きくは変えないと思うからである。
さて、映画では節子と、まり子の宗方姉妹の選択が描かれる。このニ人は年が離れており、戦争を挟んで、戦前の人間と戦後の人間を代表させているのだと思う。(節子は常に和服、まり子は洋服でありこれは徹底している)
映画が言いたかったことは、戦後派のまり子はもちろん、戦前派の節子も、女性が自主的に人生の選択をするようになりましたよ、新しい時代ですよ、ということなのだろうが、そこには異議がある。
まず、まり子は何も選択をしていない。人間関係のなかをふわふわと流されながらその時々に迎合した言動をしているだけである。姉の節子に指摘されているように服や爪の色と同じでモードを追い求めているだけ。
節子はというと、一度は三村と別れて、田代と一緒になることを決意する。だが三村が憤死することにより、「暗い影に囚われ」田代の元には行けないと言い出す。三村は死んでも、いや死んだからこそ、妻を支配し続け、節子は「自主的に」支配され続けるのである。
この構造は、小津映画に頻出する「家に残った未亡人」の位置づけと実は同じである。死んだ夫は死んでもなお、いや死んでいるからこそ永遠に妻をイエに縛り付けるのである。
これが当時、新しい女性像として華々しく打ち出されたであろう小説と映画の実態であることは覚えておく必要があると思う。そして、その精神的構造は多分に現代まで継承されている。
最後に、節子の経営するバー「アカシア」(だっけ?)のカウンターの後ろの壁の英文だけど、「わたしは機会があれば飲む、時には機会がなくても飲む」。ドンキホーテの原作者セルバンテスの警句です。多分、英文学者である三村がアイデアを出した設定なのでしょう。三村は大佛次郎が自身を投影した登場人物なんでしょうね。

あんちゃん
あんちゃんさんのコメント
2024年7月4日

追記:
大佛次郎の原作本を読みました。面白かったが映画はかなりの脚色が加えられていることがわかった。原作は戦後すぐが舞台でありながらブルジョアというかある種ディレッタントな人々の姿が描かれていて、新聞小説ならまだ良いが大衆娯楽の雄たる映画にそのままするのは無理があったろう。そのあたりはやはり小津という映画人は大衆が受け入れるラインについて熟知していたのかなと思う。
三村は建築技師でした。そして原作には三村が節子を殴る箇所はない。

あんちゃん
talismanさんのコメント
2024年6月21日

コメントありがとうございます。小津安二郎が女優にあんな風な演技をさせるんだー!と結構びっくりしました。俳優は小津にとって小道具の一つ位なもんかなあ、と思っていたから。そんな監督の言うこと聞かないくらいの利かん気と強さが子どもの時から映画の世界にいた高峰秀子の身についていて、小津もオロオロして任せた!にしたんでしょうかね?

talisman