「節子の信念の「新しさ」」宗方姉妹 talkieさんの映画レビュー(感想・評価)
節子の信念の「新しさ」
<映画のことば>
新しいものって、いつまでたっても古くならないもののことをいうのよ。
本当は田代への思いを胸に秘めながらも、節子はどういう成り行きで三村に嫁ぐことになったのかは、本作の描くところではなかったと思いますけれども。
たぶん、話の成り行きからすると、父親・忠親の押しがあったのかとも思います。
(三村を見込んで節子を嫁がせたものの、今となっては彼の言動に、病を得て死期が見えている忠親の自分自身も胸を痛めているように見受けられますけれども。)
そんな節子を見ているためか、妹の満里子は、姉の生き様に対する、いわば「反発」として、あえて自由な生き方を模索しているかのようにも見受けられました。
評論子には。
そう高級そうにも見えなかった「ふだん通い」のようなショットバーのような店に出ている時を含めて、常にいつも和服をきっちりと着こなしている節子と、いつも(自由な)洋装の満里子。
死期か予告されていた忠親よりも先に三村が不慮の病死というのも運命の悪戯(いたずら)というほかないのかとも思いますけれども。
それでも、三村が亡くなっても、安直に(?)田代に走らなかった節子の信念の固さには、感銘も受けました。
「三村亡くなったから、今度は、もともと思いを寄せていた田代の下へ」というのでは、自分で自分が許せもしないし、本当に気持ちを許している田代に対しても失礼な話ー。
節子の心中は、たぶんそんなところだったのではないでしょうか。
田代に別れを告げたときの節子の表情からは、そんな彼女の思い…いつまで経っても古くならない彼女の信念の常の「新しさ」が、ありありと読み取れたように思われます。
評論子には。
そういう点では、佳作の部類に入る作品だったとも思います。