祭りの準備のレビュー・感想・評価
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悶々
そりゃこんな環境にいてたらそうなるだろう。陰陽の境目なく性が日常に混じる。セクハラが成立しえない世界。あのおばさんが、この爺がと歯止めがかからない。この母と一緒にいたらと恐れ慄くのも当然。
既視感があって、浜村純が覆いかぶさってきた時に確信したのだが、見たならテレビな訳でよくこれを放送できたなと思う。そのシーンもそうだが、主人公の話よりも群像劇として残る。これぞ兄弟と兄嫁を共有する原田芳雄と受け入れる杉本美樹、兄に身体を洗われ街を徘徊する桂木梨江、インテリ風に誘われ盛りがついて夜這いを始める竹下景子、親父を預かる真山知子の髪洗う色香、馬渕晴子に三行半を突きつけられて、親父を引きとるよう頼まれた絵沢萠子の悪くなさ加減。
女優陣の妖艶さが際立つ。竹下景子の清純さと色気の両面性はその後の彼女のイメージにも共通している。
映画愛と性に対する真摯さに衒いがなく正直に描かれた日本映画らしい佳作で、脚本がいい。
日本映画では珍しく楽しい映画。中島丈博の脚本が見事。作者の性に対する真摯さと映画愛に衒いが無く正直な青春映画に仕上がっている。とても好感の持てる日本映画で、日本的なユーモアがあるのがいい。黒木和雄の演出は大胆にして粘着力があるが、これは好みに左右されそう。この演出タッチを主演の江藤潤の無色の個性が良いバランスで中和している。共演の竹下景子の純粋さと色気がまた内容に合っている。脚本、キャスティング、演出の妙。若者の厳しい将来を暗示するラストシーンがいい。主人公の祖父の自殺がエピソードとして作り過ぎとも思うが、作品のテーマからはズレていない。面白かったので再度見学。
1976年 6月9日,14日 飯田橋佳作座
辺鄙と青春と性愛と
MeTooは世の潮流だが、若い対等な男女間には、セクハラが成立しない。
発端となったワインスタインしかり。
いま(2020)フランスで拡がるポランスキーの件もそうだ。
その行為を首謀するのは権勢や年長である。
監督と女優。上司と部下、首長と市民、警察官と被害者、教師と生徒、コーチと選手。親と子。主従の立場を利用し、女性を貶めるパターンがほとんどだ。
ところで、2065年の日本では、約2.6人に1人が65歳以上、約4人に1人が75歳以上となるらしい。
すでに経験したことのない少子高齢化社会だが、それは今後も加速していくようだ。
私の子供の頃は、たとえばバスや列車内で騒ぐ子供や若者を本気で叱る老人がいた。その怒りは、なんて言うか大正教養主義的であって、核心を突いていて、理不尽がなかった。
たしかに昔、老人は老師だった。人生の先輩だった。
そんな老人が、この世からことごとく消えた。
セクハラ報道に、なんとなく「祭りの準備」のおじいを、思い浮かべる。
脚本家中島丈博の半自伝映画だが、熱い物語性があった。わたしが嫌う「日本映画」も、叙情に流れてしまわなければ、これほど魅力的なのである。
(以下部分的ネタバレあり)
海辺の小さな村、主人公タテオは信用金庫に勤めながら、シナリオ作家を夢見ている。母と祖父(おじい)の三人暮らし。父親はよそに女をつくっている。村の同輩らは、猥雑で自堕落に生きている。タテオは家族や村人と葛藤し、性に悶々としながらも、直向きに生きている。
都会へ出てキャバレーで働いていたタマミが、ヒロポン中毒になって村へ帰ってくる。恍惚としていて、誰にでもヤらせる。我もと、タテオもいどむが、横合いからおじいに寝取られ、あきらめる。
タマミはおじいの子を宿し、二人で仲むつまじく暮らし始めるのだが、出産すると、どうした塩梅か、正気を取り戻してしまう。正気に戻ったタマミには、おじいが誰か解らない。誰とも解らない老人は嫌悪の対象でしかない。悲嘆に暮れたおじいは首を吊って死ぬ。
映画の本筋はそこではないが「祭りの準備」が忘れられないのはその件である。
年齢とともに減退すると見なされている欲求が、じつはそうではない。
街や商業施設や公共交通機関で、騒ぎに何ごとかと見れば、渦中にいるのはたいてい年配者である。
とうぜん欲求には性欲も含まれる。
「祭りの準備」のこの件が、哀しいのは、まともに見える老いた男でさえ、じつは若い女と愛し合って暮らしたいと願望している──という、おそろしくプリミティブな核心をついてしまっているからだ。
MeTooの初期の頃、カトリーヌドヌーヴが反迎合する発言をした。
「男が言い寄るのは性犯罪ではない。膝を触ったり、軽くキスしようとしたりしただけで男性は制裁され、失職を迫られている」と嘆き、セクハラ告発の行き過ぎは「女性を保護が必要な子供におとしめる」と警告した。
この発言は、軽くとらえすぎとして、すぐに追いやられた。
わが国では「言い寄る」男の三人に一人が65歳以上である。
観終わった時、ずしりとした感動が残っていました
登場人物と舞台の説明で終始する前半はかなりの辛抱が必要でした
ところが後半のタマミが帰ってくる辺りから、急激に物語が走り始め面白くなります
前半の長い、息の詰まるような退屈なそれぞれの人物の背景説明が、まるで自分がその村に生きていたかのように効いてくるのです
冒頭の籠の鳥は主人公の暗喩であり、終盤に主人公自ら逃がします
浜の棒杭に巻き付いた赤い布は何でしょうか?
駅のある町と村を結ぶバスは赤いラインがあります
そして主人公がある決意をするきっかけは火事です
赤い布は棒杭に巻き付けられていて飛ばされはしません
長い間巻きつけられて赤い布はボロになりつつあるのです
広い大海原から強い風が吹いています
この村の浜の先の水平線の向こうから吹き寄せています
祭りのシーンはありません
祭りは村にも町にもありません
祭りは水平線の向こうの東京にあるのです
窒息しそうな田舎の村のこの日々は祭りの準備だったのです
走りさる列車を走りながら万歳をして見送る地元の原田芳雄が演じる悪友のシーンに祭りに向かう高揚があります
赤い旗は夏の間海水浴客に遊泳禁止を告げていた旗でしょうか?
もちろん、共産党の赤旗のつもりだったのでしょう
そんなことはこれっぽっちも匂わせていません
でも残り香があるのです
そんなことはさておき、観終わった時、ずしりとした感動が残っていました
バンザーイっ!
2024.07.16再見。前回観たのは九年前だったようで。それでもラストシーンは強烈でよく覚えていた。
今以上に土着文化が根付いていた地方のどん詰まり感はひしひしと感じる。ただ、だからこそ生きていける、居場所を得られる人々もいたのだよな、と切に思う。どうしようもない人間でも、おらが村の住人として包摂する度量は凄いな、と思う。
フィクションだから、現実そのものではないけれど、人間の欲が今ほど抑制されておらず、剥き出しなのがとても好感持てる。動物としての人間、我々現代人は押さえ込みすぎてるんじゃないかな。
竹下景子さん、お綺麗。こんな魅力的な子を振り切って都会へと一歩踏み出す、その若さ、エネルギーに乾杯。
芹明香の存在感
引き絵が多く、オフビートな演出や構成に眠くなっていたのだが、狂った女の登場する後半は俄然面白くなった。芹明香がわずかな出番ながらもすごい存在感を発揮していた。原田芳雄の役もとてもよかった。
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