「性の問題を控えめに少しコミカルに描いている。」本能 M.Joeさんの映画レビュー(感想・評価)
性の問題を控えめに少しコミカルに描いている。
1966年製作の新藤監督の映画。このころとなると乙羽信子はぶっきらぼうなおばさん役での登場が多くなってくる。主人公は観世栄夫でシテ方観世流能楽師である。テレビドラマや映画にも出演している。この主人公役が自信なさげで、パットしない朴訥な中年男なのである。別荘で家事のアルバイトをしてくれているのが、乙羽信子。
主人公は周りの別荘にやってくる若いカップルの女性の性的な部分に興味を示すが、それを恥じている。乙羽信子に自分の過去のことと、不能であることを勝手に告白することから話が新たな展開に入っていく。
監督が広島出身ということもあり、原爆が不能にさせたことにしている。原爆症で苦しんでいる人がいまだにいるということを感じてもらいたかったかもしれない。
この乙羽信子はあっさりしたもので、主人公の深刻さを笑い飛ばし励ます。ここからが起承転結の「転」。コミカルにその後の二人の関係を描いている。
映画.comには詳しいあらすじが掲載されているので、それを参照してほしい(ネタバレあり)。
ただ、観世栄夫の能の演技がところどころ出てくるが、その効果・狙いがあまりはっきりしなかった。ちょっと素人ポイ演技も演出なのだろうか。ナヨナヨしているが、それが現実の普通の男の姿かもしれない。どの男性も若い女性の体を見ているものであると。
映画のテーマであるこの男性が抱える性の問題をコミカルにさらっと描き、最後の結末もあっけなく終わっている。この後も監督は性をよく取り上げている。
広島市映像文化ライブラリー
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