本能

劇場公開日:

解説

「悪党」で脚本・監督の新藤兼人が今回も脚本・監督した人間ドラマ。撮影はコンビの黒田清巳。

1966年製作/103分/日本
原題:Instinct/Lost Sex
配給:松竹
劇場公開日:1966年8月27日

ストーリー

四季の変り目ごとに蓼科高原にある山小屋にやってくる一人の男がいた。四〇歳くらいで、人びとからは先生と呼ばれていた。一人住いの先生のところへ、下の集落から食事の世話をするため、戦争未亡人で大学生の息子をもつおばさんが出入りしていた。雪どけが始まった春のある日、先生はおばさんに告白した。先生は広島の連隊にいた時、被爆し、性的機能を喪失した。しかし三カ月目に恢復した時の感動は、彼に人間の素晴しさを教えた。復員後結婚したが、ビキニの第五福竜丸事件の衝撃で再び不能となり、離婚したのであった。先生は高原に発散される若い男女の青春のいぶきを羨望の眼で見ていた。先生の心は凍った湖の氷面のように全く閉ざされていた。やがて高原は緑が萌える夏となった。何とか性を恢復しようと思う先生にとって、若い男女の営みはますます、先生を圧倒するのだった。ある日先生はおばさんから、村に夜ばいのあることを聞かされた。その夜先生は先生の不能を何とかなおしてやろうと思うおばさんに誘われて、夜ばい見物をした。それ以来、先生はおばさんの家へ夜ばいに通い始めおばさんを抱くのだった。珍らしく先生の顔は血色がよく生き生きしてきた。先生は夜ごと「八兵衛またきたのか」といっては先生を抱くおばさんに、激しい嫉妬の焔を燃やした。それは先生に恢復してもらいたい一心のおばさんの芝居だった。蓼科山が紅葉に染まる頃、また東京からやってきた先生は、権八から一週間前おばさんが死んだことを知らされ愕然とした。焦燥と悔恨で取乱した先生は丁度会った夜ばいの三人組の青年に詰め寄り、おばさんの潔白を聞いた。おばさんの死因は子宮外妊娠であった。先生を訪ねてきたおばさんの息子がさし出した遺書には「先生、フノウがなおってよかった。わたしもたのしかった」とあった。先生の号泣する声が空しく秋の空に反響した。

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映画レビュー

3.5性の問題を控えめに少しコミカルに描いている。

2022年6月11日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

1966年製作の新藤監督の映画。このころとなると乙羽信子はぶっきらぼうなおばさん役での登場が多くなってくる。主人公は観世栄夫でシテ方観世流能楽師である。テレビドラマや映画にも出演している。この主人公役が自信なさげで、パットしない朴訥な中年男なのである。別荘で家事のアルバイトをしてくれているのが、乙羽信子。
主人公は周りの別荘にやってくる若いカップルの女性の性的な部分に興味を示すが、それを恥じている。乙羽信子に自分の過去のことと、不能であることを勝手に告白することから話が新たな展開に入っていく。
監督が広島出身ということもあり、原爆が不能にさせたことにしている。原爆症で苦しんでいる人がいまだにいるということを感じてもらいたかったかもしれない。
この乙羽信子はあっさりしたもので、主人公の深刻さを笑い飛ばし励ます。ここからが起承転結の「転」。コミカルにその後の二人の関係を描いている。
映画.comには詳しいあらすじが掲載されているので、それを参照してほしい(ネタバレあり)。
ただ、観世栄夫の能の演技がところどころ出てくるが、その効果・狙いがあまりはっきりしなかった。ちょっと素人ポイ演技も演出なのだろうか。ナヨナヨしているが、それが現実の普通の男の姿かもしれない。どの男性も若い女性の体を見ているものであると。
映画のテーマであるこの男性が抱える性の問題をコミカルにさらっと描き、最後の結末もあっけなく終わっている。この後も監督は性をよく取り上げている。

広島市映像文化ライブラリー

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M.Joe
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