鉄道員(ぽっぽや)のレビュー・感想・評価
全52件中、1~20件目を表示
偉大なる映画人たちが遺した功績に思いを馳せる
東映時代の高倉健さんを全盛期とする人もいるだろうが、それ以上に「君よ憤怒の河を渉れ」「八甲田山」「幸福の黄色いハンカチ」以降の、任侠映画のスターからイメージを脱却してからの健さんに、最近は更なる魅力を感じる。「夜叉」も最高に痺れますが、今作も何度だって観てしまう引力が溢れています。今は亡き健さん、降旗康男監督、坂上直プロデューサー、そして今年鬼籍に入られた志村けんさんの姿も確認することができる。ある意味、とても静かな作品だが夢のようなひと時を味わわせてくれる。
泣いてしまいました
むか~し見たなぁ。
鉄道=映画のアナロジー
御涙頂戴映画と敬遠してたけど、どうしてなかなかのものだった。
廃線になる鉄道が、廃れゆく映画業界のアナロジーになっていて、映画全盛期のスター高倉健が時代遅れのやがて去り行く男を演じるという多層性。さらに映画に生きた高倉健の人生も重なる。
対比する若い人たちの使い方もうまい。吉岡秀隆に「あなた(=高倉健=映画)」をみることでずっと励まされてきました」と言わせ、安藤忠信には「鉄道員」という名のイタリア料理屋を開く。業種は違っても映画の意志を継ぐ人はいると言わんばかりに。「鉄道(=映画)一筋で俺の人生なんだったのかな」という高倉健に広末涼子は「楽しい思い出が残るじゃない」という。
東映のスター高倉健と、名もなき役をコツコツ演じてきた小林稔侍が酒を酌み交わすのも感慨深い。
また、お汁粉を用意したり、温かい牛乳やコーヒーをあげたり、定年後の心配をしたり、古き良き男同士の気遣い、ケアが描かれていてこちらも感動。
鉄道の撮影も素晴らしい。北海道の鉄道がどんどん廃線になる中で2000年にこの映像を残してくれたのだ。
志村けんもふざけすぎず絶妙に味のある役をやっていて、いい脇役だった。奈良岡朋子もよかった。
セリフにしすぎかなと思うところもあったけど、多くの観客に見てもらうにはこのくらいは必要だったのかなとも思う。
細部までよく手をかけられていて、有能なベテランスタッフが全力で仕事したんだろうなと思わせる。日本の映画界を支えてきた人たち。
この映画を丸の内TOEIの大スクリーンで最終日に見られてよかった。
娘の奇跡の描き方が…
見るタイミングによって
走馬灯 雪子。しずえ。 そしてどうして高倉健の元妻の江利チエミの歌が・・🤔?
定年間際の高倉健(乙松)さん ―
鉄道員一筋の人生を送ってきました。
早まった幌舞線の廃線と、失業の肩叩きが、実直で不器用な彼を追い詰めています。
広末涼子さん ―
先日は交通事故を起こし、現場ではご本人、奇妙な行動だったとか報道されていました。
また元夫のキャンドル・ジュンさん(=わが町松本の出身)との結婚劇とか、
なぜか早稲田に入学したものの通学はせず、出産で中退したエピソードとか。
話題には事欠かないタレントさんですね。
僕は実は、彼女のたいへん独特な雰囲気が嫌いではないのです。
それでニュースを見ながら、出演作としては真っ先に思いついた本作「ぽっぽや」を改めて、20年ぶりに鑑賞してみたわけです。
はたして、ドラマの流れや、共演する他の俳優さんたちの雰囲気の中で
広末涼子は少しだけ場違いなフィーリングをかもしている。違和感がある。だから目を引く。
半分どこか浮いている存在で、広末の雪子はそこに映って居ます。
恐らく彼女の生来の異風なところ=「周囲の状況に馴染まない姿」が、「半分あの世の存在である雪子という設定」にはピッタリだったのではないでしょうか。
「幽霊だって言ったらおとっさん怖がるかと思って」
「どこの世の中に娘を怖がる親がいるものか」
今回、2度目の鑑賞です。
前回は、僕は単に雪子の登場に熱い涙を流すばかりでした。僕もまだ若輩でしたから。
しかし今回は僕は健さんの年を超えています。
半年後に定年退職という切羽詰まった状況も一緒です。
娘が音沙汰ないというのも一緒だなぁ(苦笑)。
働いた末、
雪の中に倒れて、
遠のく意識の中で、
その走馬灯の光の中、
死が迫る中に、臨終の老人には真の思い出ばかりでなく理想化して脚色されたストーリーや、そして“せん妄”も起こるかも知れません。
6年生の雪子に口移しでコーヒー牛乳を飲ませてもらう普通ではないあのシーン。
幽霊の雪子が 更に亡くなったしずえに重なって見えてしまう幻覚。
脳の血流が途絶えてゆく中では仕方ない事だが、我々だってその時には例えば好きだった元カノや前妻の名前を呼んでしまう事もあるだろう。
(=高倉健の前妻江利チエミのテネシーワルツが敢えて執拗に流れる演出の意地悪は、今回初めて気づいた点)。
本作、人の臨終を、本人の視点で、銀幕上に丸ごとすくって語っていたのです。
だからこそ、そんな老人の終わり方をば労って、旧知は周りで温かく見守ってやりたい、
「ご苦労だったね」と伝えてあげたいのです。
そういう優しい眼差しの映画でした。
幌舞駅は終点駅です。
その先はもう無い。線路はそこで途切れている。
そのような終着駅のあり様と老人の不器用な立ち姿が、
時代遅れの粗末な駅舎の容貌にただ重なって見えるのでした。
思うに、
走馬灯のように人生の過去を振り返りながら
消えゆく意識の中で、雪の上に倒れながら、男高倉は112分間「己の来し方の《幻》を見ていた」のではないだろうか・・
映画は、亡くなった俳優たちに会える不思議な魔法です。
送り号の汽笛が、誇り高き先達に捧げられて
雪原にこだましていました。
・・
元特養ホーム職員、
看取りは任せて下さい。
不思議の国の広末涼子
言わずと知れた作品、ではありますが、こないだ泣きに行こうと再鑑賞したので笑 レビューを。
原作は浅田次郎の40ページ前後の短編。世界観としては、昔の「世にも奇妙な物語」の感動パート、あるいは藤子不二雄のSF(少し不思議)短編と言ったところでしょうか。当然直木賞作品ですから、小説においては文体含めてそれを流麗に伝えるのですが、映画とするには短すぎる作品でした。そのため、かなりの割合をモノローグが占めており、構成としては冗長感もあります。途中は飛ばしてもいいくらい笑。
しかしその中で、目線、台詞、所作の一つ一つで、積み重ねた年月の重さを嫌がおうにでも感じさせる高倉健。語られ尽くされていますが、これでもう泣いてしまう笑 この映画は6割が高倉健。2割は北海道の美麗な風景。1割は小林稔侍。と言ったところでしょう。
さて、残りの1割である、広末涼子についてここでは話します。私は広末涼子の2個下の世代。同世代の方はわかると思いますが、学校に行けばみんなが広末、広末、広末。体感しないと分からない感覚ですが、んまぁとにかくすごかった。時代と一体化している人独特の、再現性のない輝きを持っていた人でした。
今ではさまざまな役を経験して、役者さんとしてのキャリアを確立させていますよね。ところがこの頃は、売れたら売れるがまま、アイドルやって歌やってドラマも出て…
特にドラマの中ではアイドル売れした人独特の「しんどみ」みたいなものがあったのも事実だと思います。人物設定が薄い、「ひたすら広末っぽい人」みたいな役ばっかり与えられてて現実味がなかった部分も大きいと思いますが。まぁ、アイドルだからね〜、と、当時10代なのにジジイみたいな達観を抱いていました笑。
その、現実味のない広末涼子。
いいんですよね、この映画においては。
山奥の小さな駅の、たった一人の駅員かつ駅長の、孤独の象徴のような古ぼけた駅舎に突然現れ、なぜか優しくしてくれる少女。透き通った笑顔の裏にどこか陰を感じさせ、何か秘密を抱えていそうな謎めいた少女。台詞と台詞の間の表現も、どこか儚く、消えてしまいそうなニュアンスを孕んでいます(実際消えるのですが)。
出番としては10分もあったかどうか、なのですが、物語のクライマックスで強烈な光を放ち、あっけなく消えていきます。この眩さがあるからこそ、消えてしまった後の高倉健の喪失感が際立つ。そして一気にエンディング。この一瞬の締めくくりの鮮やかさが、「寂寞」というこの映画の醍醐味を作っています。
失礼ながら、少し演技が上手い、そこそこの役者さんのキャスティングでは、こうは行かなかったと思うんです。まさしく広末のキャスティングあってこそ生み出したダイナミズム。
当時の広末涼子自身の非現実的な輝きを、現実には起こり得ないファンタジー映画とクロスオーバーさせて、見事に真空パックしてしまった。これがこの映画の、ある種他に真似できないところだと思うんです。
考えてみれば、雪子だって人格形成の前に亡くなってしまった、全くもって透明な存在なわけですよね。皮肉抜きにですが、細かい人格描写の文脈やお作法がある人にはこの役は務まらなかったかも知れません。
今では本当に若手の演技派女優さんも増えましたし、見る側の私としても目が肥えてきている部分もあると思いますが、それでもこれを見るたびに、なんか広末普通にいいなぁ、と素直に感じますね。それはこうした一回性によるものなのかも、と思いました。
科学が進歩して
●降旗康男監督『鉄道員(ぽっぽや)』(1999) 神保町シアターさ...
●降旗康男監督『鉄道員(ぽっぽや)』(1999)
神保町シアターさんにて特集上映「一度はスクリーンで観ておきたい――忘れられない90年代映画たち」2024年6月29日(土)~8月2日(金)にて。
久々のスクリーン鑑賞。
高倉健さんの出演作は名作ばかりですが、特に本作は後期作品群では指折りの名作ではないでしょうか。
雪深い最北の終着駅にたたずむ佐藤乙松の立ち姿が、そのまま高倉健さん本人の生き様とオーバーラップして、一つひとつの何気ない所作が涙を誘います。
実生活での健さんとの親密さが画面からも滲み出る小林稔侍さん、公開当時これ以上ない娘役のキャスティングであった広末涼子さん、これが映画初で唯一の出演となった志村けんさんも名演でしたね。
個人的には健さんが江利チエミさんの十八番「テネシーワルツ」を口笛で吹くシーンが一番グッと来ましたね。
因みに劇中で「鉄道員(ぽっぽや)も二代で終わりか…」と言っているが、三國連太郎さんが国鉄職員、健さんがその息子を演じた『大いなる旅路』(1960)と世界線が繋がっていると思っているですが…どうでしょうか。
何度観ても泣ける名作ですね。
あの頃の広末は、、、
北海道の健さんは永遠だ
ファンタジーなのか?
昭和の時代なら面白かったかも
全体に「あ、感動させに来てるな」と思うシーンの連続。
不器用だから、という理由で妻や娘の死に目に立ち会えず黙々と仕事をこなしたり、
家族や友人に自分の感情を表さなかったり、
死んだはずの娘が会いに来たり、
でもそれって他人に伝える努力を放棄してるだけだよね、というのが現在での感想になってしまう。
口に出さないことを美徳としているわりに、「こういうの格好いいでしょ?」と露骨に感動させようとしてくるので後半にはもう食傷気味。
黙々と自分の責務を果たす、という昔のアイコニックな人物像とお涙頂戴のファンタジーを混ぜた映画。この手の話に慣れた世代なら感動できるのかもしれないが、現代においてはかなり厳しい作品という評価。
高倉健という人の佇まいが生きている
寡黙に、淡々と、冷たく
高倉健…不器用?とんでもない!!
高倉健といえば「自分、不器用ですから…」の人。もし、高倉健が鉄道員だったら?をまさに体現したような映画ではある。
でも、それだけでは終わらない味わい深〜いのが滲み出ていて、大スターと言われる格の違いを感じた。
確かに、地味は地味なので観る人は選ぶと思う。でも、高倉健演じる乙松の真面目さ、愛情深さ、ひたむきさ…滲み出る人柄は誰もが惚れるかっこよさで魅力される。
雪深い駅にたった一人で哀愁溢れる乙松もまたかっこいい。(画になる!!)
そんな乙松が笑顔になる出来事が!よかったと喜んだのも束の間のラスト…。泣かずにはいられない。でも、乙松らしく素晴らしかった。
全52件中、1~20件目を表示