鉄道員(ぽっぽや)のレビュー・感想・評価
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高倉健の名演が光る、ある世代への讃歌
Huluで2回目の鑑賞。
原作は未読。
「日曜洋画劇場特別企画」での放送(2001年1月7日)を観て以来の鑑賞となる。と言っても当時は小学一年生。ストーリーを理解出来ていたとは思えないので未見と一緒だ。
とてもいい映画だと思った。手放しの賛辞を送りたい。鉄道員一筋だった主人公・佐藤乙松の不器用な生き様と、人生の最後に訪れた奇跡がファンタジックに描かれていて感動した。
幼い娘が死んだ日も妻が死んだ日も、雪積もるホームに立ち続けた乙松。がむしゃらに働いた日々への誇らしさと、家族を顧みなかったことへの後悔を抱えながら駅長としてホームに立つ姿に、高倉健自身の生き様も投影されているようで、この役は高倉健にしか出来ないんじゃないかと納得させられた。
乙松は戦後間も無い頃から働き、今日の経済発展を齎した世代だ。発展を牽引する機関車だった彼も定年間近となった。
彼の鉄道員人生と同じくして幌舞線廃線が決定する。同僚の息子が幹部となり、馴染みの食堂の養子は町を出る。…
そんな乙松の元に現れた謎の少女。なんと幼い頃に病死した娘、雪子の幽霊であった。己を責め続けていた乙松に優しく言葉を掛ける娘。なんて美しい親子愛なのだろうと思った。
もしかしたらこれは、乙松の世代に向けられた感謝と救済かもしれない。乙松の涙につられ滂沱の涙を流した。彼の魂が救済されたように感じたからだ。高倉健の名演が沁みた。
老兵の自分は去り行くのみ。本作は激動の戦後を生きた世代の退場の物語かもしれない。物悲しさが漂いつつも、ある世代への讃歌が情感豊かに綴られていて、心揺さぶられた。
[以降の鑑賞記録]
2025/03/21:日本映画専門チャンネル(4Kデジタルリマスター版)
※修正(2025/03/21)
原作の膨らましに難があるものの…感動作!
NHKBS放送を録画して、
ロードショー以来の再観賞。
結末を知った上での再観賞だったため、
冒頭の多連結車両SLから
1両だけのディーゼル車の走行への
変遷シーンだけでも、
過ぎた時代への感傷と共に、
乙松の運命ともオーバーラップして
冒頭から涙腺が緩み、
またその後の展開でも、少女のカラクリを
知っていた故に、涙腺が更に緩んだ。
列車のような機械は時代変化の中で
換えていかざるを得ないが、
生身の人間は簡単にはいかない。
乙松の生き様は変化に対応出来ない愚直
なようで、しかし、ある意味、
時代の変化にも媚びない絶対的価値観での
実直な生き方でもあるのだろう。
そして、娘との奇跡のシーン、
現実的に考えれば、ホームで倒れた乙松の
雪の中で死を待つまでの
夢や幻影と考えるのが自然だろうが、
私は神様による乙松への実体的プレゼント
と思いたい。
一般的にリアリティを欠いた奇跡の描写は、
荒唐無稽にも成りかねず、
下手をすると作品世界から視聴者の気分
を遠ざけてしまうものだが、
ここでは乙松に成長して行く娘を見させる
ことが彼への最後のはなむけとして、
そして、それが彼に最期が訪れるからとの
予感を観客に与えることで納得させている
のだと思える分、この非現実的な描写
を受け入れることが出来た。
この映画は「駅 STATION」と並ぶ、
降旗監督の大好きな作品だが、
必要無さそうな吉岡秀隆役の登場、また、
志村けんと安藤政信親子のエピソードの
本筋との希薄性、
そして、ラストでの小林稔侍のアップ描写
などには感動を薄められてしまった。
高倉健と大竹しのぶは
言わずもがなの名演技だし、
せっかく小林稔侍も良い味を出していたのに
最後に彼を使い過ぎた感じに思える。
ラストはサラッと乙松の帽子にかぶり直す
シーンで切って欲しかった。
短編の原作を無理に膨らませ過ぎた脚本
ではあったと思うが、しかし、
撮影技術やメインキャストの演技力
に支えられたと思える感動作だった。
開始40分で見るのを辞めた。 0歳児の一人娘を亡くし、 妻(大竹しのぶ)を病気で亡くし、 なんて理不尽な話だと思った。 映画大好きで、途中でギブアップすることなんて めったにないが、 これはもう
高倉健はハマり役
【「なーんも」】
終点
20数年前の映画。
こんな話だったのかと、少し驚く。
物語は廃線が決まっている終着駅の駅長の話。
回顧録とでも言えばいいのだろうか?
ノスタルジックに物語は進む。
もう今の若者達はこの話に共感などしないのだろうなと思う。働き方改革や終身雇用制度が崩壊した今の日本に、乙松の居場所はない。
自らの仕事に人生すら捧げる生き様を、彼らは「馬鹿」と蔑むのだろうか?
雪深い山の人口200人程の駅の駅長。
映し出される仕事の内容は、たわいもない物ばかりだ。電車を迎えて送り出す。
まぁ、つまらない。やりがいなどどこに見出せというのだろうか?
だけど、乙松の背中は丸まりはしない。
自らを卑下する事もなく、虚勢を張る事も威張る事もない。自然体で…とてもとても大きく見える。
定年を控えた乙松は言う、親父の言葉を信じていると。
戦争に負けた日本をデゴイチがキハが牽引し、前に進むんだと、だから俺は鉄道員になったんだ、と。
昔の人はどんな形であれ国を背負ってたのかなと思う。だからあんなに強いのかなと。
今とは人間の強度が違うように思う。
乙松は再三に渡り言う「後悔はしてない」と。
嘘なんだと思う。
泣き言を言えないのだと思う。
自分と自分の仕事を後押ししてくれてた妻の面目が立たないのだと思う。娘を送ってやれなかった事へ申し開きが立たないのだと思う。
彼が寂れた駅の駅長に執着するのは懺悔でもあったのだろうと思う。
そんな複雑な哀愁を健さんは見事に演じて見せた。
本当に素晴らしいと思う。
電車を見送る目の奥でだけ芝居をしてたように感じる。健さんは佐藤乙松の何に感銘を受けたのだろうか。
佐藤乙松を介して何を語りたかったのだろうか?
一役者が仕事として作品に臨む以外の何かがあったように思えてならなかった。
広末さんも素晴らしく…ナイスなキャスティングだと思う。彼女が天使に見えるのはどおいう事なのだろうか?監督はどんなマジックを使ったのだろう…。
そんな彼女の料理を食べる健さんに泣かされる。
「うめぇなぁ」
特別美味い料理でもないんだと思う。
でも、やっぱり乙松には、乙松の人生には格別な料理だったのだろうと泣けてくる。
そして、全く受身にならない大竹さん。
お見事でした。
日本特有の気高き精神性を、この映画に見たように思う。
その気高き精神は、今はきっと廃れているのだと思う。だからこそこの映画を尊いと思えてしまうのだろう。
雪国と高倉健
浅田次郎原作の古き良き昭和。
老人向け冗長人情ホラーコメディ
え?死んだ?魂吸いとられた?は?
謎
不器用無骨キャラがダラダラ喋りすぎだし、話の展開がない。なんか変な美学押し付けようとしてない?メッセージ性がない話。未来もない。思考の余地もない。
永遠同じサイクルで、なんとか繋いで最後お涙頂戴親子再開ホラー。でも長すぎて視聴者も飽きているので全く泣けません.......むしろ怖い展開。
高倉健さんも毎回同じ顔するし、台詞の間が空きすぎてなんか尺の無駄感?
和尚の電話で衝撃の事実。ここまできたら引っ張るだけ引っ張って健さんが
「え、結局幽霊じゃないんかい!?」
とかいきなり絶叫し出してコメディになる方がむしろカオスでおもろいかも笑笑
なんでこんな評価高いのか分からない。若者には分からない良さなんですかね....
単なる幽霊もののファンタジーではありません
高倉健は制服と北海道と雪が本当に良く似合います
冒頭のテネシーワルツのハミング
雪の中を爆走する蒸気機関車が引く長い編成の特急列車
高倉健の機関手の引き締まった表情の顔
それが同じ吹雪の中を進む単行の気動車に変わる
このシーンだけでもう涙腺が弛んでしまいます
高倉健の泣くシーンは初めてみるものです
大竹しのぶの笑顔は同じ降旗監督の駅stationでの
いしだあゆみの笑顔にも匹敵する涙腺の破壊力でした
物語は定年退職を目前に控えた老鉄道員の真面目一徹の半生です
現代と過去を回想で行きつ戻りつ進行します
その鉄道員の個人の物語の様で、それだけではなく、降旗監督と同じ世代の半生を代表してもいます、さらには日本の戦後を総括すらしています
その重層的な構造が大きな感動をもたらしているのだと思います
劇中の現代とは雪子の墓標の日付から17年後ですから、1995年になります
当時の定年退職の年齢は55歳でした
つまり主人公は1940年生まれです
彼らの世代は60年安保世代であると同時に日本の高度成長を成し遂げた世代です
高度成長を成し遂げたのは本当は彼らの世代です
戦後生まれの団塊の世代は70年代に社会人となりオイルショックで低成長になった時代からの事です
今では高度成長はすっかり団塊の世代の手柄となってしまっていますが違います
主人公の世代が成し遂げたものです
主人公の世代が劇中の台詞のように戦後日本の復興の機関車となって力強く牽引してくれたのです
炭鉱は産業にエネルギーを供給してくれたのです
北海道の山あいの炭鉱町も栄えたのです
しかし時は流れ、炭鉱は閉山し、町も鉄道も寂れていくのです
彼らの世代もリタイアの時を迎えようとしています
そうです、本作は彼らの世代の引退の物語でもあるのです
降旗監督は1934年生まれですからこの世代と言って良いでしょう
回想は彼らの世代に共通するものばかりです
ストの最中でも集団就職の列車を走らせた様な誇らしい記憶
家庭を犠牲にして身を粉にして仕事を優先した日々の記憶
妻や娘の死は妻や幼い子供の顔は寝ている顔しか知らない、子供の成長過程を父親として見守ることができなかった、その負い目の記憶を象徴しているのでしょう
その彼らもそれぞれの職責を立派に果たして退場していく時がきたのです
そのレクイエムなのです
その彼らの姿が北海道の廃線予定の鉄道という形で長大編成の蒸気機関車と単行の気動車の対比で冒頭のシーンで見事に表現しているのです
時は正に戦後50年の節目でもありました
そしてバブルは崩壊し底なしの様相を示していた時期です
本作公開の2年前には当時の一大金融機関であった山一証券が破綻し、社長が記者会見の席上で社員は悪くないと大声で泣いています
その社長は1938年生まれ、主人公や仙さんと同世代だったのです
つまり本作は戦後の日本の消長をも、物語ってもいるのです
高度成長を成し遂げ日本を復興させ先進国にまで押上げた人々はこうして綺麗に現場を去って行ったのです
その物語が本作の本当の物語なのです
その意味では1995年の新藤兼人監督の「午後の遺言状」とテーマが似ています
本作は仕事の現場からの退場を、「午後の遺言状」は人生そのものからの退場の違いです
本作は単なる幽霊もののファンタジーではないのです
蛇足
冒頭のテネシーワルツ
高倉健のかっての妻江利チエミのデビュー曲であることに後で気がつきました
しかもこの曲を本作で使うことの発案者は高倉健だったそうです
江利チエミとは彼女の親族絡みの事情が生じて別れざるを得なくなったそうで、1983年に彼女が亡くなってからも毎年墓参りを欠かさなかったそうです
大きな意味のある選曲だったのです
浅田次郎原作の昭和物語
蒸気機関車がひとつのモチーフである。木村大作の画がどれも素晴らしい。大竹しのぶ、広末涼子、小林稔侍がいい役で出ている。北海道の炭鉱。多分、炭鉱夫たちの方が、より過酷な労働であっただろうが、蒸気機関車を走らせるのもまた大変な労働であったことがわかる。
とてもよくできた物語であり、良質の映画だ。欲を言えば、若い頃の高倉健は、もっとカッコ良かったので、それがうまくでてないのが惜しい。しかし、66、7の高倉健も十分渋すぎる。
大まかな話は知ってました。確かその昔、TV鑑賞したような。 今回改...
キスシーンは違和感がある
『鉄道員(ぽっぽや)』(1999)
一人の愚直に仕事一筋に生きた男の死までと先立たれた生後2か月の娘と妻への回想を詩情
豊かに、北国の風情とともに描いている美しく悲しい束の間の映画だが、過疎化で廃線になってしまうほどの街の過程も同時に写されている。ただ残念なのは、検索しても幾つか出てくるが、
生後2か月で死んだ娘が成長した様子を3人でそれぞれ3姉妹ということで出て来るが、理由は
高倉健扮する駅長の父親が怖がるだろうから、父親が気づくまで姉妹ということにしたというが、
その2人めの当時12歳の子役に当時62歳の高倉健が駅長さんが好きだからということで、コーヒー牛乳を口移しで上げるシーンは、キスシーンと同様の行為だが、違和感ある失敗させてしまったシーンではなかったかと私も思う。妻と娘に先立たれると、老齢になってしまった男一人で子おおた孫が絶える。何代も何十代も続いてきたから人間生命が、自分が存在していることが途切れるということの大きさ。駅の仕事で抜け出せず、娘と妻の死に目に会えなかったことの男のコンプレックス。男の死の寸前に娘が成長して現れてくれたフィクションは、男のためのものだったのか。なぜ現れたのが娘だったか。回想で大竹しのぶが演じた妻も多く出てくるが。当時41歳だっただろうか。滅多に映画に出ないような志村けんが、うまい演技をしている。いかりや長介さんも渋くうまい演技だったが、舞台喜劇や若い頃の喜劇映画だけではない、シリアスな場面でもうまさを発揮できるバックボーンがドリフターズにはあったのだろうと思わせた。違和感あるキスシーンにしても、
幽霊と言ってしまっては簡単にすぎるが、フィクション性からあまり泣ける映画には感じなかったが、
真摯に生きた市井の男の一生を堂々と描いた。小林稔侍の演じる同僚との友情も感動的だったが、当時の日本アカデミー賞など数々の評価を得た映画との事だが、それゆえに3度も繰り返してしまうが、コーヒーの口移しシーンには違和感があり、そのシーンはないほうが良かっただろう。
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