Helplessのレビュー・感想・評価
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Helplessな(遣る瀬無い)思いを抱いていたのは、誰であったか…
「おやじ」をめぐる映画である。荒唐無稽なストーリーなのかもしれない。「おやじ」の素性は映画の中で一切明らかにされない。しかしながら散りばめられたイメージ・記号をひとつひとつ拾い上げていくと、隠喩としての「おやじ」がぼんやりと浮かび上がってくる。
「おやじ」が死んだ。尊崇を一身に集めたカリスマである「おやじ」が死んでしまった。そのことについて、遣る瀬無い(helplessな)思いを抱いていたのは一体誰であったか。そのhelplessな多くの魂が、今も鎮魂されずに辺りを彷徨っているのかもしれない。あてもなく徘徊・彷徨する登場人物は、帰る場所のない魂のメタファーでもある。行き場のない、浮かばれない無数の魂の愛憎、栄辱、功罪が(昭和史の矛盾が)主人公の中で爆発する…
北九州サーガ3部作の序章
青山の三部作を逆に見てしまったので、印象を整理する必要がある。本作品単体で見ると少し物足りない。しかし🎦ユリイカの序章とすると多くのカギが隠されている。まず三作ともロードムービーの体を為してはいるが、ほとんど九州から出る事がない。ロードムービーと呼んでいいかどうか凄く迷うところであるが、青山の、特にこの3部作に車による風景は絶対的に必要なカットであった事は言うまでもない。逃れる事の出来ぬ地元の縛りと、そこから逃れたくても逃れる術を持たぬ者たちの、不器用な生き様が、求めてもいない者同士の繋がりの中でがんじがらめになって織りなす僅かな波紋を、何事もなく流れていく世間の空気の中の淀みのようなさざ波としてとらえた空気感は、ワンカットの長回しの中に流れる僅かな時間のレイヤーに似ていると言える。映画だけでは前後の関係を突かぬのがかなり難しく原作を読む必要があるのかもだが、読まずして想像で感じるこの時の移り変わりの空気感とそれを包み込む光、それこそがフィルムの語る唯一の言語となってみる我々の心に沁み込んでくるのであろう。
虚無感
今では考えられないヤサグレた光石研が賢くも無いチンピラ役を妹がいる設定を含め何となく長渕剛の「とんぼ」みたいで、全体的な雰囲気が北野武を彷彿とさせる無機質な感覚と説明過多にならない演出描写。
急に感情を爆発させる浅野忠信の演技というか存在感に魅了されながらこの作品で青山真治を認識し、当時は高校生で二十歳前半くらいまでは浅野忠信を追いかけて劇場に通っていた。
昔から浅野忠信が大好きだったが本作のジャケットにヤラれた感が絶大、忠信が着ていたNirvanaのTシャツが今ではバカみたいな値段のヴィンテージ!?
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