復讐するは我にありのレビュー・感想・評価
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スケールのでかい殺人記録
実際の事件(西口彰)をベースにしているためなかなか迫真の作品。殺しを楽しむ男の旅を描いている。緒形拳さんてこういう役もやったんだ(砂の器とは真逆で面白い)。敬虔なクリスチャンである三國連太郎がまさか遺骨をぶん投げるとは思わなかったが…
映画化権についてトラブルとなったという意味でも後学のためになる作品。
主人公に取って本当の極悪人は誰であったのか?
題名はもちろん原作小説の通りで、聖書の一節から取られている
神が悪人に復讐をする、つまり因果応報という意味合いかと思う
極悪人の主人公の父がキリスト教徒であることから来る言葉なのだろう
しかし、この因果応報を受けるのは実はこの父親であったというのがラストシーンの意味と受け取った
展望台から放り投げられる主人公の焼骨は空中で停止する映像
それは父の心に刻みつけられた心象だ
神が復讐を遂げた瞬間だったからだ
彼はキリスト教徒であるということを、言い訳にして父である責任を放棄していたのだ
海軍主計中尉への屈服は単にきっかけに過ぎないのだ
もしかしたらそれも父の言い訳なのかも知れない
主人公のなす全ての悪事は彼への当て付けであり、神の代わりに復讐をなしているつもりなのだろう
希代の連続殺人鬼の犯行を扱う実録ものの体裁を取りながら、監督が扱うのは主人公に踏みつけられる女性達への目線の方にこそ重きが置かれている
浜松の旅館の女将を殺害した理由だけは、その復讐ではなかった
あれは心中だったのだ
死刑と殺人という時間差での心中だったのだ
彼女の母親も殺したのはいわば一家心中のつもりだったのだろう
彼が初めて犯した、自分の為だけの殺人だったのだ
ラストシーンで、破門になった父は骨を投げ捨てる
隣には死刑になった息子の嫁を置き、彼女にも投げさせるのだ
最後には骨壷ごと放り投げ、息子の全てを捨てるのだ
そうしておいて、実は彼女に骨壷を渡す前にこっそりと骨を一つ袖の下にこっそりと入れているのだ
彼女と主人公のことはこれで全て忘れて新しい生活をしようという儀式ではなかったのか
そのようにみせて、彼は黙って息子の生きた証を持ち帰ろうとしているのだ
彼は息子になじられたようにずるいのだ
父である前にキリスト教徒であるという建前を優先し、神父であるという前に、孫の祖父であることを優先する
二人の心情や、彼自身の老妻の心情、責任などはどうでも良いのだ
どこまでもずるく自己中心的なのだ
主人公にとって本当の極悪人は彼であったのだ
そのテーマを緒方健、三国連太郎、賠償美津子、小川真由美、清川虹子、ミヤコ蝶々といった名俳優達が恐るべき演技で具現化している
圧巻だ
美術も衣装も昭和38年という世界を見後に再現して見せてくれる
今村昌平監督の原作の解釈と演出の凄さは、もう唸るしかない
名作だ
一人で観てください
主人公の身勝手さ、その孤独
今にはない生々しさ
素晴らしかった。
歳をとって温厚は役のイメージしかない役者さんたちが体張って挑発的に強烈なキャラクターを演じてて180度印象が変わって、畏怖の念すら抱いた。
緒形拳の金と欲のままに殺人を犯す中にも戸惑いも見られ、だけどいつ牙を剥くか恐ろしく、
三國蓮太郎も悪魔を心に宿したキリシタンの父親役も、
倍賞美津子さん始め女優さんの文字通り体当たり演技に「これが女優か!」と感動すら覚えた。倍賞美津子さんの裸は本当に生々しくてリアリティがあってたまげた。
今の女優さんって細くてスタイルは良いのかもしれないけど象徴であってリアリティがないから映画が軽く見えるのかもな、と思った。
ポンジュノ、パクチャヌク辺りの韓国映画が好きなのだけど、あの辺の空気感や生々しさは昭和の日本映画にあるかもしれない。
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