復讐するは我にありのレビュー・感想・評価
全33件中、21~33件目を表示
粛々と罪を重ねる犯罪者を圧巻の演技で魅せる重厚な作品です。
池袋の「新文芸坐」で今村昌平監督作品特集で「楢山節考」と共に上映されていて観賞しました。
で、感想はと言うと、昭和の香り漂い、どっしりとした重厚な作品。
今から50年以上前に実際に起こった犯罪事件をモデルとした作品で、犯人の前代未聞な犯行に「希代の殺人鬼」「史上最高の黒い金メダルチャンピオン」「悪魔の申し子」と形容されたとの事ですが、こういう言い回しを聞くと改めて「事実は小説より奇なり」とはよく言ったもんだと思います。
そんな事件の犯人の犯行の軌跡と人間像に迫るストーリーは見応え十分。
なんと言っても1番の見所は緒形さんと三國連太郎さんの共演シーン。ここに倍賞美津子さん、ミヤコ蝶々さん、小川真由美さんが絡んでいき、濃密かつ重厚でいて、淡々と粛々と行われる犯行に何処か哲学的な薫りを漂わせます。
個人的にはフランキー堺さんがなんか嬉しい。
ああ言った何処か飄々した俳優さんって少なくなりましたね。
緒形拳さんの淡々として、沸々と殺人鬼、榎津巌を演じていますが、この榎津巌が殺人事件を起こす動機が淡々としすぎてて、登山家が「何故、山に登るのか? そこに山があるから」の理由よろしくとばかりに殺人を犯していく。
父親に対する当て付けとも言えますが、普通に人を殺めていくのが怖い。
殺人犯の心境なんてそんなもんだと言えば、そんなものなのかも知れませんが、当時としてはこのシリアルキラーな描写はショッキングでしたでしょうね。
後半から心を通わしていく小川真由美さん演じる浅野ハルに正体がバレてからが抜群に面白い。
開き直る訳でもなく、かと言って縮こまっている訳でもない。もう淡々と粛々としていて、ここに清川虹子さん演じるハルの母親で過去に殺人を犯した事のあるひさ乃との3人会話はツボ。
食事のシーンとかは名優の真骨頂です。
また、清川虹子さんとの人を殺めた経験のある者同士の会話の探り合いも榎津巌の人物像を深める上でも重要な場面かと思います。
緒形拳さんが物凄い存在感があるのにそれをひた隠すんですが、それでも存在感が滲み出るんですよね。
高倉健さんや菅原文太さんなんかもそうなんですが、もうこの手の俳優さんは今後出て来ないでしょうね。
巌の妻で義父の鎮雄と心通わす倍賞美津子さんがなんともエロい。
また、鎮雄役の三國連太郎さんはやっぱり圧巻の演技を魅せてくれます。
殺人と詐欺を繰り返し、かと言って必死に正体を隠す訳ではない。捕まってからも淡々と自身の罪と刑を受け止める巌に死刑の判決が下され、遺骨を山頂からばらまくシーンは鬼気迫る物があります。
台詞だけでは絶対に完結しない父と息子の葛藤の関係がこのシーンに込められてます。
今村昌平監督の想いと役者陣の熱が産み出した作品はやっぱり骨太とズッシリとした辛くも苦くて、何処か甘さを感じられる作品。
おこちゃまには分からない大人の作品で、今の歳になって、劇場で観れた事が改めてラッキーだと思いました。
こういう重要な作品は昭和らしいと言えば昭和らしく、いろんな映画を観る上でとても貴重な機会。
リバイバル上映が沢山されてますが、洋画の名作だけでなく、邦画の名作・奇作をこの機会に上映して頂ければと思います。
タイミングが合えば、是非如何でしょうか?
複雑だった
・倍賞美津子はどの映画観ても陰のある役が多いなぁと思った。殺人犯の妻で最終的にはその父親と暮らしたいっていう感覚が凄いなぁと思った。全然、平凡な妻じゃなかった。
・時間軸を行ったり来たりしまくったので、頭がついていけなかった。
・60年代の日常が今と違いすぎて驚いた。町の商店で釘を量り売りとか今じゃ考えられない。旅館に今でいえばデリヘル?が専属で契約している形なのも時代だなぁって思った。そこの女性たちの生活感に悲壮感がなくてほっとした。たしか半纏着てネギ買ってっていうのが何だか凄かった。
・後半に出てきた旅館の妾の人の暮らしが主人公以上に悲惨で苦しくなった。最近出所してきたっぽい殺人犯の母が60代くらいでボートレースが唯一の趣味で娘が40代くらいで妾で囲ってる男も何だか酷い男で殴られたりしても母親は何も言えなくてみたいなシーンを観ていたら辛くてたまらなかった。そこに殺人犯の緒形拳が教授ですって嘘をついて入ってきて教授と付き合えるとうきうきしている姿がまた苦しくなってくる。最終的に映画館の予告の合間に流れた追跡中?の写真でばれる所が切なかった…。最期は緒形拳に殺されてしまったけど、何だかどうしていいのか本当にわからなかった。
・ラスト、遺骨を高台から投げ捨てる所が、ビッグリボウスキを思い出した。途中、ケーブルカーですれ違った密集してたお遍路さんたちは何だったんだろうと思った。
親子の歪み
スケールのでかい殺人記録
主人公に取って本当の極悪人は誰であったのか?
題名はもちろん原作小説の通りで、聖書の一節から取られている
神が悪人に復讐をする、つまり因果応報という意味合いかと思う
極悪人の主人公の父がキリスト教徒であることから来る言葉なのだろう
しかし、この因果応報を受けるのは実はこの父親であったというのがラストシーンの意味と受け取った
展望台から放り投げられる主人公の焼骨は空中で停止する映像
それは父の心に刻みつけられた心象だ
神が復讐を遂げた瞬間だったからだ
彼はキリスト教徒であるということを、言い訳にして父である責任を放棄していたのだ
海軍主計中尉への屈服は単にきっかけに過ぎないのだ
もしかしたらそれも父の言い訳なのかも知れない
主人公のなす全ての悪事は彼への当て付けであり、神の代わりに復讐をなしているつもりなのだろう
希代の連続殺人鬼の犯行を扱う実録ものの体裁を取りながら、監督が扱うのは主人公に踏みつけられる女性達への目線の方にこそ重きが置かれている
浜松の旅館の女将を殺害した理由だけは、その復讐ではなかった
あれは心中だったのだ
死刑と殺人という時間差での心中だったのだ
彼女の母親も殺したのはいわば一家心中のつもりだったのだろう
彼が初めて犯した、自分の為だけの殺人だったのだ
ラストシーンで、破門になった父は骨を投げ捨てる
隣には死刑になった息子の嫁を置き、彼女にも投げさせるのだ
最後には骨壷ごと放り投げ、息子の全てを捨てるのだ
そうしておいて、実は彼女に骨壷を渡す前にこっそりと骨を一つ袖の下にこっそりと入れているのだ
彼女と主人公のことはこれで全て忘れて新しい生活をしようという儀式ではなかったのか
そのようにみせて、彼は黙って息子の生きた証を持ち帰ろうとしているのだ
彼は息子になじられたようにずるいのだ
父である前にキリスト教徒であるという建前を優先し、神父であるという前に、孫の祖父であることを優先する
二人の心情や、彼自身の老妻の心情、責任などはどうでも良いのだ
どこまでもずるく自己中心的なのだ
主人公にとって本当の極悪人は彼であったのだ
そのテーマを緒方健、三国連太郎、賠償美津子、小川真由美、清川虹子、ミヤコ蝶々といった名俳優達が恐るべき演技で具現化している
圧巻だ
美術も衣装も昭和38年という世界を見後に再現して見せてくれる
今村昌平監督の原作の解釈と演出の凄さは、もう唸るしかない
名作だ
一人で観てください
主人公の身勝手さ、その孤独
緒形拳
榎津がハルの母親を殺そうと階段を登ると、榎津の母親が加津子達の団欒へ入っていくシーン、凄い。
印象に残った台詞は、鎮雄が榎津に言った
「(お前は)怨みも無か人しか殺せん種類たい」
榎津が本当に殺したかったのは父である鎮雄だったが、殺せなかったのは宗教観からなのか。
今にはない生々しさ
素晴らしかった。
歳をとって温厚は役のイメージしかない役者さんたちが体張って挑発的に強烈なキャラクターを演じてて180度印象が変わって、畏怖の念すら抱いた。
緒形拳の金と欲のままに殺人を犯す中にも戸惑いも見られ、だけどいつ牙を剥くか恐ろしく、
三國蓮太郎も悪魔を心に宿したキリシタンの父親役も、
倍賞美津子さん始め女優さんの文字通り体当たり演技に「これが女優か!」と感動すら覚えた。倍賞美津子さんの裸は本当に生々しくてリアリティがあってたまげた。
今の女優さんって細くてスタイルは良いのかもしれないけど象徴であってリアリティがないから映画が軽く見えるのかもな、と思った。
ポンジュノ、パクチャヌク辺りの韓国映画が好きなのだけど、あの辺の空気感や生々しさは昭和の日本映画にあるかもしれない。
ラストシーンは決して見逃せない
先頃、三国連太郎氏が亡くなられた。
晩年の三国さんは「釣りバカシリーズ」のスーさんのイメージが定着していたので、若い映画ファンの方々は、あのお親父さんが亡くなったのだと思う方も多いだろう。
しかし、90才を迎えられていた三国さんは芸歴60年を越えている為に、本当に名作出演数は数知れないが、私が特に印象に残っている作品の一つがこの「復讐するは我にあり」だ。
昭和30年代に実際にあった連続殺人事件をモデルにしてノンフィクション作家の佐木隆三が76年に「復讐するは我にあり」を発表し、たちまちベストセラーとなり、直木賞を受賞している。
平成になってからは日本も、アメリカの様に殺人事件のニュースが毎日TVニュースになるような時代になってしまったが、この事件が実際に起きた当時の日本は、もっとのんびりと平和な日々だった。
そして本作のラストシーンは、5人を殺害し、78日間も逃走し続けていた、殺人鬼である死刑になった息子の遺骨を山頂から、散骨するシーンで終わるのだが、その死刑囚の父親を演じていたのが、三国さんだ。
この連続殺人犯の巌は、父親との折り合いが悪く、互いに許しあえない間柄になったが故に、その屈折した幼少期の体験が原因となって、殺人鬼となったとされている。
言うなれば、その殺人犯人に最初の悪影響を与えたと言う父を、三国は確かな演技で時に緊迫感を持って、そしてまたある時は、気弱な偽善者を装うのだ。
一人の人間の中に内在する、多面性を見事に演じ分けている。
学生の時分に観た本作は、やたらと濡れ場が多い作品で、何となく映画館に自分が一人でいるのが、気まずかった記憶もある。
主人公巌を演じたのは緒形拳だが、この殺人犯は何故か、逃亡先の田舎旅館の女将ハルと本気の仲になっていくのだ。
そのハルを演じた小川真由美が殺害されるシーンが特に、生々しいと言うか、人はあんな表情で他人を殺害出来るのか?そして殺される女も、あんな殺され方を許してしまうのか?許すも許さないも無いのだが、このハルは、最初は巌に騙されていたが、ハルは巌が連続殺人逃亡犯である事を知ってしまったその後も己からこの巌との関係を続けていく。何時か殺される日が来る事を予期していながら、離れようとしない、そんなハルの生き方もまた謎のようで、その殺害のシーンが、学生時代の私には印象に残った。
今見直して見ると、人間の深い悲しみと寂しさと言うものが理解出来るのか、この2人の気持ちが良く解る。とは言っても殺人鬼には決して同情は出来ない。
しかし、一人の人間の中で蠢く善と悪のこの不可思議で相反する矛盾した気持ちを抱えながら、日々生きている人々の気持ちは今では良く理解出来る。
その人の恐さが、この作品には溢れ出ていて、いかにも、他人事では無く、身近に有る出来事の様に思える恐さが、滲み出た面白い作品だった。
全33件中、21~33件目を表示