「チャレンジ精神だけはリスペクトする。」火の鳥(1978) とみいじょんさんの映画レビュー(感想・評価)
チャレンジ精神だけはリスペクトする。
原作シリーズは、私にとって人生の教科書と言っても、言い過ぎではない作品。勇気も、愚かさも、慈愛も 人間や世界のはかなさ・悠久さ etc すべてそこから学んだ。
だけど、映画は…。
役者はすごい。
尾美さん、主役デビュー作。キラキラ☆
デビューにして主役!!!というセンセーショナルな印象。
劇団ひまわり所属だったらしいけれど、失礼ながら一般的には有名ではなかったから。
キャストはこれでもかというほど、豪華絢爛。主役級の方がゴロゴロ。
どの方をエンドロールの最初にしても角が立ちそうなので、尾美さんを”主役”という事にしたんじゃと思いたくなるほど、すごい。
正直「誰が主役か?」と悩むほど、あの人もこの人も主役に見える脚本と演出で、かつ存在感がありまくりなので、周りに「食われた」感も無きにしも非ず。
元々原作が、”国の盛衰”をベースに、”火の鳥”を中心に、幾つもの筋が複雑に縒り合される壮大なドラマ。NHKの大河ドラマのように誰かにフューチャーした伝記物語ではなく、それぞれの登場人物・エピソードにそれぞれ重みづけがある作品。
そんな中でも、これだけの役者と同様、存在感を残す少年。やっぱりすごい役者だなあ。
最近もいろいろな場面でご活躍されている。でも、彼の繊細さを活かした主役としての作品も、また見たいなあ、なんて改めて思う。多分、私が見逃しているだけなんだと思うけれど。
映画自体は、原作をリスペクトしようとしたのが読み取れる。
ドラマパートは、登場人物の演技とか、人間の業・時代の残酷さ等、さすが。
でも、変なギャグアニメまで”真似”しなくったって。手塚作品で、ひょうたんつぎとか、シリアスな話の途中に挟み込まれる間は、手塚先生独特のコマ割りのなかでこそ活きるもの。元々、ギャグのテンポにそぐわない重厚な脚本・演技の中で、あれが活きると誰が考えたのだろうか? シリアスに演じるからこそギャグとして活きる演出もある(『おみおくりの作法』とか、サイモン・ペック氏やフランキー堺氏とかetc…)。でも、それは全体の間とか演出という基盤を伴っているからこそ笑えるのだ。とってつけの”ギャグ”ではない。
特撮だって、CGがない時代とは言え、世界に誇る怪獣物を世に送り出していた日本。もう少し、やりようがあったのではなかろうか。猪とか。
そして、原作のコマ・絵をそのまま表現しようとした、荒唐無稽なアクション。役者は頑張っているのだが…。
努力の方向性が違っているのでは?
本当だったら、帯ドラマでやらないと消化できない物語・テーマ。それを2時間の映画に収めようと言うのだから無理がある。
それでも、要所要所を要領よくまとめたなあと思う反面、だからこそ、もう少しどうにかならなかったのかと残念。
いくら大滝さんとか俳優陣が頑張っても、コシノさんの衣装もステキなんだけれど、学芸会に見えてしまう。
敬愛する手塚先生は漫画の神様。
映画を愛して、漫画のコマ割りに映画的な要素を取り入れた人。それで、漫画が単なる子どもの読み物・息抜き的な軽いものではなくて、人生を語りうるほどの芸術作品になったとまで、評される方。
なのに、なんでこうなる。
手塚先生自ら「アニメーション総指揮」って、あったけれど…。全部、市川監督に任せればよかったのに…。
主要な筋の脚本だけとか、演技だけとか、衣装だけとか、部分部分を見ると良い仕事している。
だのに、全体だと…。
目立つ部分に有名な方を集めて、良い仕事していただいて、普段フューチャーされないような部分を思いっきり手抜きして、反対に奇抜さ狙って、そこで力尽きちゃったような作品。
もったいない。
やっぱり映画って総合芸術。料理と同じで、賞レースにからまないような部分こそ丁寧に作らないと、よい作品にはならないんだなと改めて思う。
漫画のテーマに忠実に、命のはかなさ、命をつないでいく神秘を、人間の欲を絡めて、再編集してほしかった。