「息子の家の音」一人息子 文字読みさんの映画レビュー(感想・評価)
息子の家の音
1936年。小津安二郎監督。監督初のトーキー作品。信州で紡績工場で働いて女手一つで息子を育てる女性は、中学校に行きたいという息子の願いを無理してかなえ、東京に送り出す。13年後、東京を訪ねてみると、息子は市役所を辞めて夜学の教師となっており、すでに結婚して小さな赤ん坊をつくって貧しい生活に甘んじていた。息子はふがいない自分を恥ずかしく思いながら親孝行しようと思うが、、、という話。
息子に期待する母親の幻滅と、親の期待に応えられなかった息子の諦めとの間に生まれる苦しい衝突が描かれる。人生を諦めている息子のふがいなさを責めながら涙を流す母親。隣人を思いやる息子の姿に触れて母親は息子の成長を感じていくが、どこか無理に自分を納得させていく様子であり、息子は母の期待に再び応えようと再度学業を続ける決意をするが、どこか無理に前向きになろうとしてようでもある。それがことさら痛々しい。苦い物語。
息子が住む家には朝夕ひっきりなしに工場の音が聞こえていて、これが息子の苦境を「音」として象徴している。この家は騒音のせいで3円安くなっているといい、東京でうまくいかない息子を責めさいなむように聞こえるのだ。息子を追い込む社会そのものの音(リズミカルで不気味)。ラストでは、母親が働く紡績工場が手工業から機械工業に変わっていることもさりげなく示されている。東京の工場と信州の工場。すでに高齢の母親は紡績に関わるのではなく工場の掃除をしていて、社会の機械化(資本主義化の進展)で人間が生きにくくなるさまが表されている。トーキーを生かした音の表現。
近所のいたずら坊主が馬にけられてけがをするシーンがあり、最終的にはこの家の困窮とそれを助ける息子の暖かい心のありかを描く物語の一部となっていくが、この子どもの描き方は全体的に重苦しいトーンを明るくしている。小津監督は子どもを描くのがうまい。