非行少女のレビュー・感想・評価
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一周?廻って新しい!
子供が子供で、大人が立場の違いが有っても大人だった時代の映画(現代は全てが混沌としていて逃げ道が見えない)映画として完成度はとんでもなく高い、ラスト近くの駅仲喫茶店での主人公達のやり取り(周囲の第三者の表情、TVニュースの結末)は素晴らしいこの演出は神が掛かっている。
非行の更生過程はよくわかるけれど、余計な心配をしたくなる。
若枝を演じる和泉雅子氏は、当時の実年齢が15歳とは思えないほど、実年時とも風貌が変わらず、酒も煙草もこなし、まさに題名通りの振る舞いであった。合間に爆撃の場面が織り込まれるが、第2次大戦ではなく、戦後の米軍演習場設置反対闘争が実際にあり、登場人物たちを巻き込む騒動があって、地域の人間関係にも影を落としていたという設定らしい。相手役の浜田光夫氏演じる三郎も、兄にコンプレックスを抱えていたが、若枝に対しては兄貴分らしく振る舞っていた。若枝の方も、その演習場だった海で水着になって三郎と海水浴して、その後、小屋で勉学への意欲を掻き立てられたり、キスを交わすまでに親密さを強めていたが、バーでの悪い関係が、学校への泥棒や咎めた用務員とのトラブルへとつながり、ますます学校に戻れない情況になっていった。三郎も愛想を尽かし、鶏小屋の仕事に励んでいた。若枝は沢村貞子演じる叔母に引き取られ、旅館の手伝いをしていたが、芸者見習いが始まり、逃げ出して三郎に会いに来て、不貞腐れて鶏小屋で火遊びをしていたところ、火事になり、二人とも出直しになってしまった。逃げ出せた鶏もいれば、逃げ出せないものもいて、動物虐待になりかねないと思われた。若枝は、金沢児童相談所でマジックミラー付の観察室で観察を受け、攻撃性が高いという判定を受け、児童憲章が掲げられた「教護院」に入所することになり、温かい寮長夫妻に見守られつつも、他の寮生からの嫌がらせを受けることになった。寮長夫妻と、観察していた相談員と医師の役者は似ていたけれど、実際に同時に兼職できたのか、役柄だけ似た役者が演じていたのか、どうだろう。寮長は、若枝の引き取りを希望する叔母に対して、口出しするのは義務だと言い返していた。「教護院」だけれども、拘束や監視のない状態で園外のマラソン大会で独走していて、途中で知り合いの子どもたちや大人から嫌がらせを受けたので、寮生の仲間たちが憤慨して抗議してくれ、仲直りすることになった。若枝は更生活動に励み、ぐれた原因である失踪した父親が名古屋で発見され、寮長とともに迎えに行った。寮長は、若枝と三郎との将来に期待をしていた。若枝は大阪で就職の世話をしてもらい、寮長は、三郎との話し合いを助言したが、若枝はそれを振り切り、旅立つことになる。そこへ三郎が駆けつけて、改札口を通る寸前で引き戻し、喫茶店で口説いて、若枝は迷い、悩んでしまった。三郎は、自分が行かせまいと引き留めたにもかかわらず、列車の出発時刻を気に留め、若枝を連れて改札口を通過し、すでに発車した列車に一緒に乗り込み、次の駅までの間に将来の約束まで済ませて、次の駅で降りて、若枝は独りで大阪に向かうことになった。
若枝がなぜ非行に走り、なかなか抜け出せなくなるかはよくわかるようになっている。三郎にみせる表情が純粋過ぎて、更生活動の過程もよく描かれ、順調にいくかのようにみえたところで、三郎に翻弄されてしまうのは、危なっかしいと思われた。余計な心配かもしれないけれど、非行少女の更生には、男性関係にも目配りをして見守っていかなければならないのだろうと考えた。あるいは、出発前に話し合いの時間を取っていたら、もっと穏便な見送りをしたのかもしれず、映画としてはドラマチックな結末となったということかもしれないと思った。
今見ても色褪せない浦山監督による傑作映画
浦山桐郎 監督による1963年製作の日本映画。原題:Each Day I Cry、配給:日活。
主人公北若枝演ずる和泉雅子(16歳)の全身全霊で打ち込んだ様な演技が衝撃的であった。彼女が憧れていた浜田光夫の沢田三郎と離れ、3年後再会を約束され、金沢から大阪に出て一人で仕事で頑張ろうと汽車に乗り込む彼女が健気で、そして現代的でもあり、大きな拍手を送りたくなった。今見ても色褪せない傑作映画との印象。
和泉雅子の失火のせいで養鶏の仕事をなくし酒に溺れている沢田三郎、彼が再起を決意するのは不良少女保護機関恵愛学園に入った北若枝が懸命に走る姿を見てから。そんな彼の姿が、酒で寿命を短めたらしい浦山監督の姿と被る。
若枝は北陸学園で当初先輩女子から激しい喧嘩の洗礼受けるが、彼女ら(吉田志津子、大原好江らが好演)と同士的な関係となり、再生していく描写もとても良かった。
物語の背景に内灘闘争(1952〜1957、日本で起きた反基地運動の先駆けとされる)があり、三郎の兄と若枝の父が賛成派と反対派と分かれて争った過去がある様で、「私が棄てた女」を見るとそれが浦山監督の心を捉えているところは有るのかも。
監督浦山桐郎、脚色石堂淑朗 、浦山桐郎、原作森山啓(『青い靴』(雑誌発表時のタイトルは『三郎と若枝』)。
企画大塚和、撮影高村倉太郎、美術中村公彦、音楽黛敏郎、録音神谷正和、照明熊谷秀夫、編集丹治睦夫、スチル式田高一。
出演
浜田光夫(沢田三郎)、小池朝雄(沢田太郎)、香月美奈子(沢田由美子)、小夜福子(沢田ちか子)、和泉雅子(北若枝)、浜村純(北長吉)、佐々木すみ江(北勝子)、沢村貞子(叔母)、赤木蘭子(マス)、北林谷栄(北静江)、加原武門(北時十郎)、杉山俊夫(竜二)、小沢昭一(小使)、吉田志津子(日童)(富子)、大原好江(若草)(後に大原悦子)(新子)、兼松恵(若草)(アキ子)、河上信夫(園長)、高原駿雄(武田)、今井和子(武田の妻今)。
しみじみ、いい映画だった。
映画を見終わった後も、心に余韻がいつまでも残る、いい映画だった。全般的に暗い映画であるが、貧しく家庭環境の問題から一人飛び出した主人公の中学生の女の子。決して非行少女ではなく、誰も自分のことを思ってくれない寂しさ、葛藤から周りにぶつかっていく。そういう強さは持ち備えているからこそ、一層寂しさが漂う。幼なじみの浜田光夫がこの子を構ってあげることから彼女も心を開く。
いじめる人もいるが助けてくれる人もいる。ケンカもし、ストレートに感情をぶつけ合っていく。二人の仲も親同士の問題もあり、周りは認めるどころか引き裂こうとする。二人には安心して心を許す相手は他にいない。
彼女は学校には行けず、彼も生きるためには仕事もしないといけない。別々に離れて仕事をするが、会えないことで辛い日々が続く。そうして、ある事件が起こり、そのことが原因で彼女は施設に預けられる。
水商売をしている叔母が引取に来るが、教師がそういうところには返す訳にはいかないとキッパリ断るところが気持ちいい。
彼女は決断する。洋裁の技術を身に付け、大阪に就職することを。彼には別れを告げずに、町を出て行くことも。教師は彼に合う方がいいと勧めるが、彼女は決断する。
出発間際に、彼がこのことを知り、彼女を引き戻す。彼の説得に、彼女は混乱し喫茶店の中で激しく泣く。しかし、彼は立ち上がり、列車に彼女を連れて行き、乗せる。
彼は三年後に会えることを期待して。
彼女は心に深い傷を持っている。しかし、人に甘えることなく、しっかり自分の力で立とうしている。彼からも一旦、捨てられたと感じているものの、自分に優しくしてくれた彼を忘れらない。映画の途中から、彼女の心の動きがこちらにも伝わってくる。
とてもいい映画である。
20140213@広島市映像文化ライブラリー
貴重な内灘闘争の映像
内灘闘争の映像が残っていた。若枝と三郎の父親がいがみ合っていたのも米軍基地反対闘争の経過とともに意見が対立したためだった。
若枝と三郎との出会いは金沢の映画館。若枝が不良たちに囲まれていたところを助けてくれたのだ。浅野川電鉄で内灘へ。砂丘と空が寒々とした日本海を描き出して、暗いイメージなのがいい。
米軍の試射場跡での逢引は三郎が若枝に勉強を教える場でもあった。金沢の愚連隊竜二は若枝を犯そうとしたりする厄介者。若枝自身も金に困って学校に忍び込むが、公務員に見つかり諭されるも、ここでも犯されそうに・・・
三郎は東京で仕事に失敗し、今は職安通い。失業保険で若枝に金を与えようとしてたのだ。三郎の兄は議員候補(小池)。10年前の闘争では貧乏人を裏切った方の立場だ。若枝が学校へ忍び込んだことがばれて、彼女はおばの旅館、三郎は遠縁の養鶏所で働くことになって別れ別れになってしまったのだ。しかし若枝は芸者にされると知って三郎の元へ逃げてくる。三郎にとっては置手紙によって別れたものと思い込んでいたため一旦若枝を返すが、彼女は彷徨い母の死を体験し、行く当てもなくこっそり三郎の働く養鶏場にやってくる。そこで若枝の火の不始末により養鶏場は全焼。家裁を経て、更正施設恵愛学園と進む若枝。
「だら」「だらくさ」その他金沢弁がいっぱいながやぞ。懐かしい風景というより、今はもうない風景ばかり。唯一わかるのは内灘の試射場跡と浅電沿線の河北潟や浅野川。最後に別れの場所となってしまう金沢駅は特に懐かしい。昔の丸越百貨店にも胸打たれる。そうか、浜田光夫はここでブローチを買っていたんだな・・・
『キューポラのある街』でも貧しい家庭という設定であったが、主人公は吉永小百合と和泉雅子を対照的に描いている。すなわち、不幸な境遇だからといってグレることなく明るく働く少女とグレてしまった少女。どちらかといえば、本作のほうが実際に起こりうる少女の心理ではないだろうか。そして、高度成長期における都会と田舎の差も・・・その重要な役を若干15歳のお嬢様が演じるのでは雰囲気が伝わらないと、監督は和泉に風呂禁止、洗髪禁止、母親の付き添い禁止、演技にダメだしという徹底したイジメを加え、本人からも嫌われるよう仕向けたらしく、眼の奥から憎むようなほどの演技がとてもリアルなのだ。そのリアル志向は養鶏場火災にも表れ、実際に大量のニワトリが死んでしまったほどらしい。
三郎という青年の設定も興味深い。兄が町会議員なので、反感もあろうが自力で生きていくことを決意するテーマ。その相手が村民から冷たい目で見られていた若枝なのだ。非行に走らせるような周囲の悪も徹底していて、いかにその苦境から正しく抜けられるかも見所の一つ。その手助けとなる更正施設の教師たちも素晴らしかった。
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