裸の島(1960)のレビュー・感想・評価
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~無情で残酷な島~
新藤兼人は多作であり、百歳まで現役を貫いた社会派映画監督の巨匠だ。
舞台である瀬戸内海の原風景の映し方は時に落ち着きを感じ、時に退廃的な雰囲気を感じた。全編を通してセリフは一切ない。というより、セリフを排除して、息遣いや叫びなど心の内の声を汲み取っている。この効果は長男の太郎が亡くなった後、母のトヨが畑で泣くシーンで生かされている。あそこで発する言葉ほどむなしいものはない。セリフを付けようものなら一歩間違えればチープな作品に成り下がっていたのかもしれない。
序盤、一家の生活様式を見るといつの時代か見当がつかない。しかし、貨物船が海峡を通るシーンを見て戦後ではないかと推測できる。内地に観光して子供たちがテレビを観ているシーンで初めて年代を感じ取れた。このシーンの後、この一家が不憫に思えて仕方がない。島暮らしで内地側の島と往復して水をくみ、農作物を育てて、また水を汲みに向かう。毎日決まった日課でさえ息苦しさを感じた。太郎が死んだときには父の千太は医者を連れてきたため最期を看取ることができなかった。島暮らしが裏目に出てしまった。内地は経済が発展していたが、島々まで行き届くことはなかった。もっと豊かになることはできたはずなのに、この一家はそれを選ぶことができなかった。
島だけに独自の時間が流れて、一家は精神的にこの島に囚われて抜け出すことはできなかったのだろう。内地の人はこの一家をある種見て見ぬふりをしていたのかもしれない。もっと言うなら好奇心の目で見られていたのかもしれない。忘れ去られて痕跡だけ残してどこかにぽつりと待っている島を想像すると非常にやるせない気持ちになる作品だった。
まあまあだった
しんどい生活ぶりを描いているのだが、給水システムがあまりにきつい。せめて雨水を貯水することを考えて欲しい。でなかったら、水の出ない島で農業なんてやらず、漁業しろよと思う。子供が病気になった時、子どもを医者に連れて行かず、医者を連れてきていて、それもどうかと思った。時間がかかりすぎるし、薬や道具が足りなかったらどうするんだ。不幸になるべくして不幸になっているとしか思えず、どう考えてもお父さんが悪い。
日本インディーズ映画の礎が築かれた
新藤兼人監督1960年の作品。
新藤監督と、設立した近代映画協会の名を一躍世界に知らしめた記念碑的名作。
瀬戸内海に浮かぶ500mほどの小島で、電気もガスも水道も無い原始的な生活を送る、父母、幼い息子二人の家族。
日課は、まず父母が小舟で隣島で水を汲み、それを桶で担いで戻り、朝から晩まで畑仕事。
毎日毎日、同じ事を黙々と繰り返す。
それらをモノクロ映像で捉え、まるで記録映像のよう。
こんな生活を送っていた人々は、少なからず居た筈だ。
そして最大の特徴は、台詞が無い事。サイレントではない。台詞を全て排除しているのだ。
所が不思議な事に、台詞が無いにも関わらず、登場人物の心情、ストーリー展開まできちんと伝わって来るのだ。
印象的なシーンがある。
物語について深く触れてしまう事になるが…
ある時、長男が病にかかり、死んでしまう。
葬儀を終え、日課の畑仕事の最中、母が突然発狂する。父は黙ってそれを見るのみ。
この時の母の悲しみ。父のやるせなさ。
台詞があったら陳腐になっていたに違いない。
削ぎ落として削ぎ落として残ったものこそ、映画が伝えうる最大の表現。
家族には明日も明後日も同じ日が待ち受けている。
この島で、それでも生きていかなくてはならぬ厳しさが静かに深く胸を打つ。
本作以前にも作品を発表し続けてはいたものの、ヒットに恵まれず、経営危機となった近代映画協会。
最期の作品として、製作費500万円の低予算、撮影期間僅か1ヶ月、スタッフ・キャストたったの十数名で島に泊まり込み、文字通り背水の陣で臨んだ。
そして完成した作品は世界60ヶ国で上映されるなど絶賛され、興行的にも成功、経営は存続された。
かくして近代映画協会は、日本インディーズ映画の礎を築いた。
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