「男冥利につきる「米太郎」役」馬喰一代(1951) talismanさんの映画レビュー(感想・評価)
男冥利につきる「米太郎」役
一流の馬喰、でも下駄売りのヨイショにのせられて山ほど下駄を買ったり、喧嘩や博打好きでいつもお金がない米太郎。単純で女の気持ちも分からないけれどいい奴で可愛げがある人。息子が欲しい自転車は、怪我をおして相撲で勝ち取る!若い三船敏郎ゆえのぴったりの役柄だった。脇にまわった京マチ子=ゆきは拗ねたり優しかったりが可愛らしく純情だった。
子役にあまり関心ないけれど、米太郎の息子役の大平は本当に本当に良かった。勉強が好きで、父親に言われたら喧嘩の仕返しにも行くし、父親の体を揉んであげたりご飯の心配したり。父親より心の機微がわかって、おばちゃん(ゆき)はお父ちゃんのこと好きなんだよと言ったり。男の子に弱い私はすぐに涙ぐんでしまいます。
相撲場面の三船敏郎のふんどし姿はかっこよかった。自然な筋肉で全身バランスがとれていて惚れ惚れした。汽車を追って馬駈ける爽やかな姿、そして線路に耳をあてる姿。朴訥で滑舌も良くないけれどそんな三船敏郎だからこその米太郎、適役だった。
志村喬はいい役回り!この人が居るだけでお芝居がしまる。そして若い左ト全。かなりおじいちゃんになってからしか知らなかったのですごーいと思った。若くてもおじいちゃんでもおんなじ感じなのがすごーいだった。
父子で大事に育てた愛馬の活躍と最期は、涙無しでは見ることも聞くこともできなかった。広大な北見。そこでもソーラン節を歌うんだなあとなんだか懐かしい気持ちでいっぱいになった。豪快に大地を馬で駈ける情景は晴れ晴れとして胸がときめいた。まさに北海道!
おまけ(にしては長い)
米太郎の妻が死の床で、あなたにどつかれても(米は単細胞で酒飲みで手が先に出る男)全然痛いことなかった、と言います。愛の告白であり愛されていたことはわかっていた、という意味です。ゆきも米に叩かれても構わないと言うことで自分の思いを伝えます。そして落語の「お直し」(志ん朝)でも、けころとして働く妻がそういったことを仕事上、客に言い、陰で控えている夫にひどく妬かれます。好きな人に叩かれることは愛情表現であると男女共に本当に思っていた時代があったんだ。驚きました。快感を得るため両者了解の上でのサドマゾ関係であればどうぞ。でなければ、言い訳か甘やかしです。痛いのは誰だって嫌です。