「自我の芽生えからくる"破戒"」破戒(1962) 柴左近さんの映画レビュー(感想・評価)
自我の芽生えからくる"破戒"
名カメラマン宮川一夫によって撮られた画のおかげで単なる重苦しい映画ではなく素晴らしい芸術映画として成立している。
部落問題という難しい問題を真っ向から描いていて、観ていて心苦しくなる。
かといって当時の風潮が現代で無くなったわけではないし、この映画の時代に自分が生きていたとして、主人公に寄り添えたかと問われると、迷わず首を縦に振れないのが本当に情けない。
しかし最期のシーンで思わず涙してしまった。この感動を忘れずに社会と向き合っていこうと決意させてくれる強いメッセージとエネルギーを持っている名画だった。
近年日本人の間でも外国人を差別するなとむやみやたらに騒ぐ風潮があるが、それも大事だがこっちの問題をまず考える場の方が必要なのではないかと思ってしまう。
原作者の島崎藤村が、自我がいち早く芽生えた者の悲しみを主人公に託したと言われているが、なるほどと思った。
作中の部落民ではない者は肩書きなどに必要以上に執着するのは自分という軸、つまり自我が芽生えていない。自分が成熟していないので頭で考えず肩書きや風習で判断するのが楽なのだ。
しかし三國連太郎演じる部落差別撤廃に尽力する思想家や主人公、最期に主人公に理解を示す者などは自我を持っている。または自我に目覚める。
自我に目覚めなければ問題をまともに捉えることができないんだという我々にも通ずることを学んだ。
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