野火(1959)のレビュー・感想・評価
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タイトルなし(ネタバレ)
太平洋戦争下のフィリピン、レイテ島。
野戦病院から追い返された田村一等兵(船越英二)。
曹長の厳命で再び病院に戻るも入院などさせてくれるはずもなく。
病院から少し離れた藪の中で、同じような境遇の一群に加わった。
するうち、米軍の攻撃。
日本軍は敗走に次ぐ敗走・・・
といったところからはじまる物語。
「野火」は、収穫後のガラなどの野焼きの火または煙。
人間の営みの象徴。
戦火により人間未満の餓鬼畜生に堕ちた者は人間界に戻れない。
戦争とは、この世で最も不条理なもの。
こんな不条理の世界では「つい、うっかり・・・」などと命を落とす羽目にもなる。
それは、笑うに笑えない。
不条理喜劇の側面を持つ恐ろしい作品。
役者陣の恐ろしいぐらいの痩せ方。
虚ろな目など、登場するひと皆、人間離れしている・・・
何か底知れない恐ろしさを感じました
原作は、高校生の時に読みました。あまり良く覚えていないけど、面白いと思った記憶があります。もう一度読みたいとは思わないけど。
原作で、草の上に痰を吐いて「私の肺を蝕む結核菌が強い日光に照らされて死滅していくことを想像して小気味良く思った」という旨の描写があって、凄まじさを感じた覚えがあります。
映画は、面白かったけれど原作の異常な世界観を読んだことがあるので、それほど衝撃は受けなかったかな。
それでも、死んだ兵士の靴を、靴が破れていた別の兵士が拾って履いて、その兵士が残した靴を、靴底が無くなっていた別の兵士が拾って履いて、その兵士が捨てた靴を主人公が拾って眺める、という描写は、何か底知れない恐ろしさを感じました。
日本の代表的な戦争映画だが、人間の極限状況の一つを描いているだけでは?
1959年製作/105分/日本、配給:KADOKAWA、劇場公開日:2025年8月1日、
その他の公開日:1959年11月3日(日本初公開)。
終戦記念日前日ということで、前の戦争のことをもっともっと知りたいと思って、著名な本映画を視聴。舞台はフィリピン・レイテ島だが、太平洋戦争を描いた戦争映画というより極限状況でのサバイバルの映画とは思ってしまった。
船越英二が役に入れ込んだせいか全く別人に見え、映像に後年の市川崑監督らしいオシャレ感が全く無く、映画の性質上当たり前かもしれないが意外に感じた。
放浪中に出会う3人組の班長稲葉義男は、塩を持っていることを知って対応が様変わりで、非エリート軍人らしいとは感じた。
人肉を喰らうという描写はスキャンダラスであるが、宗教観はベースになく、極限状況は説得力を持って描かれていたので、騒ぐ程のことかと思ってしまった。
この映画を高く評価する50年代末という時代の空気は理解できるが、今見ての自分的な評価は、期待した戦争そのものは描いておらず、類似映画の存在もあり、あまり高くつけられないと思ってしまった。
監督市川崑、原作大岡昇平、脚本和田夏十、撮影小林節雄、照明米山勇、録音西井憲一、美術柴田篤二、音楽芥川也寸志。
出演
船越英二、滝沢修、ミッキー・カーチス、佐野浅夫、月田昌也、中条静夫、星ひかる、稲葉義男、飛田喜佐夫、大川修、此木透、夏木章、川井脩、竹内哲郎、早川雄三、杉田康、志保京助、伊達信、潮万太郎、守田学、津田駿二、細川啓一、山茶花究、伊東光一、浜村純、中原健、米沢富士雄、浜口喜博、黒須光彦。
生の渇望と絶対的孤独
AmazonPrimeVideo(シネマコレクション by KADOKAWA)で鑑賞。
原作は未読。
筆舌に尽くしがたい生き地獄を淡々と描写していく。極限に追い込まれた人間の生の渇望と絶対的な孤独をこれでもかと見せつける。戦争は人間性を破壊する。なんて悲惨なのか。
身も心もボロボロで戦場を彷徨い、カニバリズムをすんでのところで、豆粒ほどに残った倫理観を振り絞って忌避する田村を体現した、船越英二氏の鬼気迫る演技に圧倒された。
※修正(2025/07/27)
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