野火(1959)のレビュー・感想・評価
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56年を隔てたこだま
日本映画大学の学生さんが実習の一環として企画する自主上映会が始まりました。普段はスクリーンで観る機会が少ない作品に触れ、若い映画関係者を応援すべく、勇んで参加しました。 20215年に塚本晋也監督が、大岡昇平さん原作の本作を映画化した時、「55年前の市川崑監督作も観たいなぁ」と思った願いが漸く叶いました。太平洋戦争末期、フィリピンのジャングルで飢餓と闘いながら彷徨う兵士の生死の境を描いた物語です。 今、改めて観ると、まだ映画が娯楽の王様だった65年前には戦争映画にお金も掛けられたんだなとしみじみ感じます。でも、塚本作はその分、永松とサルの肉に焦点を絞る事によって、飢餓と妄執により踏み込んだ作品になりました。どちらがいい悪いではなく、映画は確かに時代を映す鏡です。
生の渇望と絶対的孤独
AmazonPrimeVideo(シネマコレクション by KADOKAWA)で鑑賞。
原作は未読です。
筆舌に尽くしがたい生地獄を淡々と描写していました。極限に追い込まれた人間の生の渇望と絶対的な孤独をこれでもかと見せつける。人間性を失わせる戦争。なんて悲惨なのか。
ボロボロになって戦場を彷徨し、カニバリズムをすんでのところで豆粒ほどに残った倫理観において忌避する田村を体現した船越英二の、鬼気迫る演技に圧倒されました。
飢え・・・
塚本版を先に見てしまったために、どうしても比較してしまう。塚本版よりもセリフが多くて、手榴弾の件などわかりやすい。逆に考えると、塚本版の方が映像だけで見せるところが多かったってことか。エピソードも細かなところでそれぞれ違う。 残念なのは永松(ミッキー・カーティス)の演技だろうか。フィリピン現地人が田村に撃たれるところも失敗の演技。
傑作ですがあまりにも重いです
地獄絵図 絵本 地獄――千葉県安房郡三芳村延命寺所蔵 という大判の絵本があります そのお寺に所蔵されている十六幅の絵巻をもとに構成したものだそうです 1784年(天明四年)、江戸の絵師によって描かれたものとのこと 40年程前に発行され、一時期ブームにもなりロングセラーを続けているそうです 今もAmazonでも買えます まさにその絵本の中の地獄の光景が展開されます というより、この絵本を映画化したものだったのではと思ってしまう程です その中にこのような一節があります 三途の川をわたり、閻魔大王の前に出て、針地獄の宣告を受ける五平。 「こんどだけは生きかえらせてやろう。だが、おこないをあらためなければ、このつぎこそ地獄だぞ。地獄がどんなところか、とっくりとみせてやろう。 もとの世にかえって、みなのものにはなしてやるがよい……」 この閻魔大王の言葉が本作のテーマです 戦争は華々しい栄光の物語もあります 一方、勝敗は裏表です 負けた時の悲惨、敗者の無惨、地獄絵図 これもまた戦争の一面です その両方を観て、私達は戦争という恐ろしい現実を知らねばなりません なぜなら国家や民族の自立と独立の為にはやらざるを得ない事態もあり得るからです より一層の地獄絵図を子々孫々にまで残すことになるからです 希望的観測、教条的イデオロギー、夢想的空想的な平和主義・・・ そんなものが戦争を引き起こすのです 私達は徹底的にリアリストで在るべきなのです 究極の反戦映画であるのは間違いないでしょう しかし本作はそこをさらに超えて、人間とは何か、どう生きるべきかにまで踏み込んでいます 傑作ですがあまりにも重いです
素晴らしい主題だが何かと古い
総合75点 ( ストーリー:90点|キャスト:70点|演出:65点|ビジュアル:60点|音楽:65点 ) 太平洋の島々での日本兵の戦死原因の大半は、戦闘で撃たれたり爆撃されたりしたのではなく飢餓と病気だという。補給線を軽視して無理な戦闘計画を立案した結果、戦う前から負けは決まっていたようなものだった。 そして戦線に駆り出された兵士は、その容赦ない残酷な現実と直面する。その中で生き残るということは、今まで生きてきた常識と世界観が崩落するということである。敵と戦う前に、まず飢えと病気と闘わなければ生きられない。そのために出来ることはするが、それは過去の生活と決別し異常な世界に生きることである。 このような話は本ではよく読んだし、『ゆきゆきて、神軍』でも同様の話が出てきた。兵士の経験した壮絶な日常を改めて映像化して見せられ、それが心に刺さる。素晴らしい主題をもった内容の作品だった。 残念ながら古い作品であり、その古さゆえに映像と演出には不満が残る。現在の技術と演出で再映画化すれば、随分と出来が良くなるのではないか。幸いなことに昨年に再映画化されているようなので、機会を見つけて観てみたい。
野火を目指して
結核のため隊から戦力外通告を受けるが、物資・食料不足により病院から入院も断られる主人公田村。戦うでもなく、療養するでもなく彷徨います。
芋が手元にあるうちは、兵士らしく最期を遂げようと決めているのですが、もはやそういった戦局でもないようで。降参しても命の保証はなく、本能的に生きる道を探します。
侮蔑的な意味ではなく、疲弊した兵士達が、生を求めるでも死を求めるでもないゾンビのように見えました。砲撃下で死んだフリをして、そのまま死ぬ者と、起き上がる者とで生死が分かれるシーンが非常に印象的でした。
民間人をやむなく射殺した後に銃を捨てることや、最後の選択から、田村は驚くほど最期まで理性を保ちます。
人らしく生きれるか、人らしく死ねるか、極限状態での人間の尊厳を問うています。
近い過去
NHK BSで視聴。塚本版は未だ見ていない。この映画の公開は1959年でレイテ戦は1945年。今でいえば2001年のことを描いている訳で、歴史というには近い過去。この時代にこの映画を見ていた人にとっては、切り離せない生々しい原罪を見せられたことになる。そう考えると、その時の人の戦争に対する位置づけを意識してしまう。5年後に東京オリンピックというのは今と同じ。どのような気持ちで過去を捉えて、オリンピックに向かったのか。そのような時の距離感を感じながら見た一本だった。
塚本晋也を観て、こちらもチェックしてみた。
2015/08/31、DVDで鑑賞。 塚本晋也監督バージョンを劇場で観たので、市川崑監督の方も気になってレンタルして観た。 死体などの残酷な描写はメイク技術が進んでいる分塚本バージョンの方が凄惨でしたね。 米兵の描写も塚本晋也の方は姿をほとんど見せず、見えないところから攻撃してきたのに比べると市川崑の方は比較的姿が見える。戦車も出てきたし。塚本晋也の方がコストをカットしつつ、不気味さもより演出されていて、うまいなと思った。 あとラストもちょっと違うんですね。 この2作を比べると塚本晋也バージョンの方がより戦場の凄惨さを表現できていたような気がする。
誰が誰かわからないけど
まず迫力がありました。船越英二さんは言われないとわかりませんしミッキーカーチスさんと間違えてしまうくらいです。餓えとの戦いでほとんどが船越英二さんの一人芝居になりますね、後半は仲間同士の心理戦ですね、そしてそのなかで主人公が取った行動は・・・って感じです。
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