野火(1959)のレビュー・感想・評価
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主人公の精神状態に一層近づく高精細化
1959年公開の名作を、最新の映像技術でレストア、4K化してリバイバル上映。良い企画だ。見通しがよくなり人物の表情に肉薄する映像で、船越英二演じる主人公・田村一等兵の精神状態がリアルに伝わってくる。映像の迫力によって否応なく田村に同化させられる、と言ってもいい。
1945年2月、日本は敗色濃厚。フィリピン・レイテ島で日本兵たちは飢えに苦しみながら、撤退のためジャングルを移動する。山間のぬかるんだ道を力なくふらふらと進む兵士たち。そこに機上から機銃掃射、全員一様に地面に身を伏せるが、数人かに銃弾が命中し、そのまま起き上がらない。敵機が去ると、被弾しなかった兵たちは何事もなかったかのように立ち上がってまた歩き始める。たった今撃たれて絶命した仲間には目もくれずに。極限状態の心理を表す印象的なシーンだ。
そして終盤、いよいよ「人肉食」のテーマが前面に出てくる。田村が“肉”を口にしたときの顛末は、市川崑監督によれば観客に配慮し大岡昇平の原作小説から変更したという。極限の飢餓状態で人肉を食べるか否か、という心理をリアルに描いた映画としては、アンデス山中で乗員乗客45人を乗せたチャーター機が墜落・遭難し、厳寒の山中で70日以上を耐え抜き16人が生還した実話に基づくイーサン・ホーク主演作「生きてこそ」の衝撃がいまだに忘れられない。「野火」も「生きてこそ」も、普通の暮らしを送っていては決して知り得ない極限の飢餓と人間心理を疑似体験させてくれる傑作だ。
戦後がこれからもずっと続きますように
終戦80年企画として、角川シネマ有楽町にて上映。
製作は1959年。終戦から14年後ということで、作る側も見る側もまだ記憶に生々しい時。
当時この映画を観た人たちはどのように受け止めたのだろう……と考えてしまう。
それから65年の歳月が流れ、今、同じスクリーンを見ている人たちはおそらく戦場を誰も知らないはず。
なんの演出もなく戦争の現場を映し出す映像から、しっかりとリアリティを感じることができるほどの知識も経験もなくて、受け止め方が難しい。
関ヶ原の戦いのあと、徳川綱吉が将軍となったのがちょうど80年後。
戦いに明け暮れた時代の余韻が消え去り、日本史上でも特別に華麗な文化が花開く時代が訪れた。
そして、次に幕末の戦乱の世が訪れるまで150年近く平和は続いた。
一方で、今、私たちが生きている時代も、終戦から80年。
しかし、残念なことに、至るところできな臭い匂いが立ち込め始めている。
過酷
タイトルなし(ネタバレ)
太平洋戦争下のフィリピン、レイテ島。
野戦病院から追い返された田村一等兵(船越英二)。
曹長の厳命で再び病院に戻るも入院などさせてくれるはずもなく。
病院から少し離れた藪の中で、同じような境遇の一群に加わった。
するうち、米軍の攻撃。
日本軍は敗走に次ぐ敗走・・・
といったところからはじまる物語。
「野火」は、収穫後のガラなどの野焼きの火または煙。
人間の営みの象徴。
戦火により人間未満の餓鬼畜生に堕ちた者は人間界に戻れない。
戦争とは、この世で最も不条理なもの。
こんな不条理の世界では「つい、うっかり・・・」などと命を落とす羽目にもなる。
それは、笑うに笑えない。
不条理喜劇の側面を持つ恐ろしい作品。
役者陣の恐ろしいぐらいの痩せ方。
虚ろな目など、登場するひと皆、人間離れしている・・・
何か底知れない恐ろしさを感じました
原作は、高校生の時に読みました。あまり良く覚えていないけど、面白いと思った記憶があります。もう一度読みたいとは思わないけど。
原作で、草の上に痰を吐いて「私の肺を蝕む結核菌が強い日光に照らされて死滅していくことを想像して小気味良く思った」という旨の描写があって、凄まじさを感じた覚えがあります。
映画は、面白かったけれど原作の異常な世界観を読んだことがあるので、それほど衝撃は受けなかったかな。
それでも、死んだ兵士の靴を、靴が破れていた別の兵士が拾って履いて、その兵士が残した靴を、靴底が無くなっていた別の兵士が拾って履いて、その兵士が捨てた靴を主人公が拾って眺める、という描写は、何か底知れない恐ろしさを感じました。
日本の代表的な戦争映画だが、人間の極限状況の一つを描いているだけでは?
1959年製作/105分/日本、配給:KADOKAWA、劇場公開日:2025年8月1日、
その他の公開日:1959年11月3日(日本初公開)。
終戦記念日前日ということで、前の戦争のことをもっともっと知りたいと思って、著名な本映画を視聴。舞台はフィリピン・レイテ島だが、太平洋戦争を描いた戦争映画というより極限状況でのサバイバルの映画とは思ってしまった。
船越英二が役に入れ込んだせいか全く別人に見え、映像に後年の市川崑監督らしいオシャレ感が全く無く、映画の性質上当たり前かもしれないが意外に感じた。
放浪中に出会う3人組の班長稲葉義男は、塩を持っていることを知って対応が様変わりで、非エリート軍人らしいとは感じた。
人肉を喰らうという描写はスキャンダラスであるが、宗教観はベースになく、極限状況は説得力を持って描かれていたので、騒ぐ程のことかと思ってしまった。
この映画を高く評価する50年代末という時代の空気は理解できるが、今見ての自分的な評価は、期待した戦争そのものは描いておらず、類似映画の存在もあり、あまり高くつけられないと思ってしまった。
監督市川崑、原作大岡昇平、脚本和田夏十、撮影小林節雄、照明米山勇、録音西井憲一、美術柴田篤二、音楽芥川也寸志。
出演
船越英二、滝沢修、ミッキー・カーチス、佐野浅夫、月田昌也、中条静夫、星ひかる、稲葉義男、飛田喜佐夫、大川修、此木透、夏木章、川井脩、竹内哲郎、早川雄三、杉田康、志保京助、伊達信、潮万太郎、守田学、津田駿二、細川啓一、山茶花究、伊東光一、浜村純、中原健、米沢富士雄、浜口喜博、黒須光彦。
サルの肉・・・
第2次世界大戦末期、日本の敗戦が濃厚となってきた1945年のフィリピン・レイテ島で、肺病を患った一等兵・田村は病院に行け、と部隊から追い出され、病院でも動けるから、と食糧不足を理由に入院を断られた。田村は同じく厄介者として見放されてた若い兵士・永松や、足を負傷し歩けなくなった中年兵・安田と出会った。飢えて熱帯のジャングルをさまよう田村は、道中で出会った別の部隊と行動を共にしたが、米軍の戦車による一斉砲撃により他の兵士が全滅してしまい、空腹の中、サルの肉を食べ・・・そんな話。
戦後80年企画の4Kリバイバル公開で劇場鑑賞。
敗戦濃厚な戦争末期のフィリピン、まさにこんな状態で、戦う気力もなく、飢餓と孤独に苦しみ、死人から靴を盗むような物不足の状態だったのだろう、悲惨な戦場を描いた映像に衝撃を受けた。
サルの肉・・・しかないよなぁ。実際に生きるために死人の人肉を食べたという話は聞いていたが、生きてる人を銃で撃ってサルの肉だと言って食べたという事もあながちフィクションではなく事実有ったのだろう。
闇雲に人命を無駄にしていたように感じ、もっと早く降伏出来なかったのかとあらためて思った。
船越英二が焦点の定まらない肺病の兵士役をが熱演してた。
若い時の職場での事を思い出した。
出演者も監督も原作者も皆、戦争体験者だからリアリティを感じた。塚本作品と合わせて皆んなに見てほしいと思う。
私事ですが45年ぐらい前のこと、当時、冷蔵庫などの家電品からエレベーターそして造船まで手がけている会社の子会社にいたことが有る。ダムなどの展示模型を作っていたが、自衛隊を定年退官した方たちの受け皿ともなっており、9人中4人が元自衛官の方だった。この頃漫画家の小林よしのり氏がゴーマニズム宣言で、秩序有る皇国の日本軍人が、こんな事はしないと、大岡昇平氏にかみついていた。
ある日職場でその話題になった時に、元自衛官の中のひとりの方が、「人の肉!食ったよ、案外うまいもんだ」と、ごく普通の口調であっさりと言ったのを聞いて、その時皆すこしドキッとした顔で誰ともなく、「へ〜」「食べたんですか・・・・」こんな事を思い出した。
驚愕の反戦映画
市川崑曰く、「「野火」は戦争という悲劇を、徹底的に客観視しようとしたんです。」なるほど。確かにこの作品はひたすら「事象」が映し出されて、感情の吐露といったものはほとんど見受けられません。漂っているのは戦争に疲れ果てた兵士達の虚無感。「お国の為に頑張るぞ!エイエイオー!」なんてやってる兵士は一人もいません。実際はどうだったのかはわかりませんが、この空虚な描写には説得力があり、非常に怖ろしいと感じました。
エンターテインメント性を削ぎ落とし、戦争がもたらす「倫理観の歪み」を描いた作品。「倫理観の歪み」については「ジョニーは戦争へ行った」のレビューでも少し触れましたが、「野火」はもっと生々しく描かれていました。極限の状況が続く中、人は正気を保てるのか?主人公が最後に選んだ道は…?神も仏もいないとは正にこのことである。
※本作は川越スカラ座にて鑑賞。川越スカラ座は、外観、内装含め昭和の香り漂うレトロな雰囲気のコミュニティシネマですが、資金難による閉館が迫っている状況です。現在「川越スカラ座閉館回避プロジェクト」を実施中で、LINEスタンプや川越スカラ座グッズの購入による支援が可能です。(詳細はHPにて)館内にて募金も行っております。ご興味を持たれた方は是非、この独特な雰囲気の映画館を体験してみてください。
戦争のリアルをどう伝えるか
船越英二だと言われてもそう見えなかったけど、 印象に残る映画だった...
船越英二だと言われてもそう見えなかったけど、
印象に残る映画だった
4K修復作品とかでいつも思うんだけど、
音声ももう少しどうにかならないだろうか
画像は直しても、音は潰れてしまったりで聞きづらい
外国作品だと字幕があるから良いけど、
日本語だと聞き取れないことが結構あって、
とても残念
原作を読了して臨んだ。原作は名作だと思う。
景気が悪い戦争映画
終戦80年企画として上映された「野火」。敗戦から14年後の1959年公開ということで、原作者である大岡昇平は勿論、制作陣も俳優陣も戦争を直に経験している人が大半だったためか、極めて精度の高い戦争映画に仕上がっていました。戦争映画と言っても負け戦を描いているので、当然のことながら景気は物凄く悪いです。
舞台は敗色濃厚となった15年戦争末期のフィリピン・レイテ島。主人公の田村(船越英二)は、自分が属する部隊の過半がやられてしまい、自身も”肺病”のため病院に行くも、「動けるものは受け付けない」と言われ原隊に戻ることを余儀なくされる。さらにアメリカ軍の攻撃を受け、ジャングルを彷徨う田村は、仲間の日本兵が敵の攻撃だけでなく、飢餓と病気でバタバタと倒れる姿を目撃する。そして生きるか死ぬかの瀬戸際にある日本兵たちは、統率もなく疑心暗鬼に陥り、人間の最も醜い部分を晒している。特に衝撃だったのは、死んだ同僚の肉を食べることを仄めかすシーン。そんな極限状態に置かれた兵士たちの悲しき物語は、戦争の暗部に余すところなく光を当てており、観ているものを戦慄させるに十分すぎるものでした。
注目したのは出演者たちの体形。主演の船越英二はじめ、総じて顔も身体もガリガリに痩せていて、戦時中の日本兵が如何に飢えていたかがありのままに表現されていました。太平洋戦争中の日本兵の戦死者は230万人程度と言われていますが、戦闘による死亡は1~2割程度に過ぎず、最も多かったのは餓死や栄養失調の6割、病死が1~2割だというのですから、本作の描いた状況こそが、あの戦争の実態だったといって良いのでしょう。
また、追い詰められた人間の心理が兵士たちの虚ろな目や表情、言動を通じてヒシヒシと伝わって来て、もし自分があの戦場に立つことになっていたら、同様のことをしたに違いないと思うと、何ともやり切れない思いになりました。
映像的には全編白黒でしたが、これがまた迫力を倍加させており、この点も感心したところでした。
最近の戦争物は、マーケティング的な判断なのか恋愛要素を多分に含んでいるものが多く、やや食傷気味なところがありましたが、やはり戦争体験者が本気で作った作品は歯ごたえがまるで異なり、目が覚める思いがしました。
しかし昨今はアメリカの要求もあって防衛費が急増していますが、一方で食料自給率は4割を切ったままで、エネルギー自給率に至っては1割そこそこ。あの戦争に負けたのは、食料とエネルギーという人間にとって最も大事な物資が極度に欠乏していたことに起因するのは本作を観ても明らかです。そういう意味で、防衛費ばかり増やして食料自給やエネルギー自給が後回しにされる現状は(減反政策などは狂気の沙汰でしょう)、戦争に対する反省が極めて不足していると言わざるを得ないと思います。
そんな訳で、本作の評価は★4.2とします。
戦争映画の名作が4K版にて公開です
レイテ島を舞台に、飢えと病に追い詰められ彷徨する一兵士を描いた作品。
部隊にも病院にも拒まれ、米軍の攻撃が激化する中、極限状態でただひとり生き延びようとする主人公、田村。
事実、太平洋戦争で亡くなった日本兵の多くは、戦闘ではなく、「飢餓」や「病気」が原因だったとも言われています。
映像は古いけれど、今見ると、その“古さ”とモノクロ映像が、生々しいリアルさを際立たせているみたい。
容赦ない米軍の攻撃、そして食糧のない過酷な環境で、兵士たちは衰弱し、野を彷徨う。
軍靴はボロボロになり、亡骸から靴を脱がして履く者もいる 描写。
この描写で戦場では、服よりも〈靴〉の重要性を痛感させられます。
やがて一部の兵士は“猿”を捕えて食べるようになるが、その“猿”が人間の暗喩だと気づいた田村は、それを拒絶するが、飢えはとまらない。
米軍に降伏しようとした兵士は味方に撃たれて命を落とす。
まったく、とんでもなく理不尽な放置プレイ……。
モノクロの強いコントラストが、まるで地獄絵のような光景を描き出してます。
こんな地獄が、かつて実際にあった――。
そして、こんな地獄を、体験したくないと思わせられる作品でした。
56年を隔てたこだま
日本映画大学の学生さんが実習の一環として企画する自主上映会が始まりました。普段はスクリーンで観る機会が少ない作品に触れ、若い映画関係者を応援すべく、勇んで参加しました。
20215年に塚本晋也監督が、大岡昇平さん原作の本作を映画化した時、「55年前の市川崑監督作も観たいなぁ」と思った願いが漸く叶いました。太平洋戦争末期、フィリピンのジャングルで飢餓と闘いながら彷徨う兵士の生死の境を描いた物語です。
今、改めて観ると、まだ映画が娯楽の王様だった65年前には戦争映画にお金も掛けられたんだなとしみじみ感じます。でも、塚本作はその分、永松とサルの肉に焦点を絞る事によって、飢餓と妄執により踏み込んだ作品になりました。どちらがいい悪いではなく、映画は確かに時代を映す鏡です。
生の渇望と絶対的孤独
AmazonPrimeVideo(シネマコレクション by KADOKAWA)で鑑賞。
原作は未読。
筆舌に尽くしがたい生き地獄を淡々と描写していく。極限に追い込まれた人間の生の渇望と絶対的な孤独をこれでもかと見せつける。戦争は人間性を破壊する。なんて悲惨なのか。
身も心もボロボロで戦場を彷徨い、カニバリズムをすんでのところで、豆粒ほどに残った倫理観を振り絞って忌避する田村を体現した、船越英二氏の鬼気迫る演技に圧倒された。
※修正(2025/07/27)
飢え・・・
傑作ですがあまりにも重いです
地獄絵図
絵本 地獄――千葉県安房郡三芳村延命寺所蔵
という大判の絵本があります
そのお寺に所蔵されている十六幅の絵巻をもとに構成したものだそうです
1784年(天明四年)、江戸の絵師によって描かれたものとのこと
40年程前に発行され、一時期ブームにもなりロングセラーを続けているそうです
今もAmazonでも買えます
まさにその絵本の中の地獄の光景が展開されます
というより、この絵本を映画化したものだったのではと思ってしまう程です
その中にこのような一節があります
三途の川をわたり、閻魔大王の前に出て、針地獄の宣告を受ける五平。
「こんどだけは生きかえらせてやろう。だが、おこないをあらためなければ、このつぎこそ地獄だぞ。地獄がどんなところか、とっくりとみせてやろう。
もとの世にかえって、みなのものにはなしてやるがよい……」
この閻魔大王の言葉が本作のテーマです
戦争は華々しい栄光の物語もあります
一方、勝敗は裏表です
負けた時の悲惨、敗者の無惨、地獄絵図
これもまた戦争の一面です
その両方を観て、私達は戦争という恐ろしい現実を知らねばなりません
なぜなら国家や民族の自立と独立の為にはやらざるを得ない事態もあり得るからです
より一層の地獄絵図を子々孫々にまで残すことになるからです
希望的観測、教条的イデオロギー、夢想的空想的な平和主義・・・
そんなものが戦争を引き起こすのです
私達は徹底的にリアリストで在るべきなのです
究極の反戦映画であるのは間違いないでしょう
しかし本作はそこをさらに超えて、人間とは何か、どう生きるべきかにまで踏み込んでいます
傑作ですがあまりにも重いです
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