のど自慢のレビュー・感想・評価
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歌謡曲パートを聴いてるだけで成立する大衆娯楽映画。
国民的番組「のど自慢」を題材にした、ハートフルコメディ映画。
昭和&平成的な、古臭さとダサさが随所に見られる、大衆娯楽映画だが、
それはのど自慢という番組に元々備わっている要素で、
「仮装大賞」などもそうだが、私が子供の頃のから古臭く感じたし、ダサく見えていた。
でも、そこが良さでもあるし、古き良き日本の伝統の一部でもある。
のど自慢予選会から出場者各々には、
歌を届けたい人がいるし、その歌を選んだ理由がある。
目立ちたいだけの人もいるし、同僚や友人たちとイベントを楽しみたい人がいる。
歌う理由や動機はみんな人それぞれ。
群像劇ゆえ、冒頭からわちゃわちゃ進むが、いざ歌謡パートが始めれば、
日本ってほんと良い歌ばっかだなあと、しみじみと感慨深くなるものがあり、
歌謡曲を聴いてるだけで充分、娯楽映画として成立しているから不思議だ。
映画において音楽は重要な要素の一つだと、再認識できる作品で、
音楽一つで印象がガラリと変わる理由もわかる作品だ。
トガった部分がほぼない大衆映画なので、一家団欒で見ても差し支えない内容であり、
爺婆子供が見ても安全な作品でもある。
ただ時代的な理由か、セリフが聞き取りづらい箇所が多々あるので、
なんとなく推測で、セリフを連想する必要があったのは、古臭さとは別の残念ポイントだった。
最後にハモった。
日本の都道府県としてのアイデンティティを失くして、日曜日昼の顔と化す。
カラオケと言う閉鎖社会から涙と笑いと感動を持って抜け出そうとする。
でも、上を向こうが下を向こうが、思った幸せはやって来ない。
切磋琢磨して工夫しても鐘は2つが精々。
最後にハモった。個人的に独唱よりもハモれば鐘は合格を示してしくるのでは。
追記 僕の宝の様な思い出
中◯八大先生のピアノ演奏を我が成人式で聴いた。
追追記 その自慢大会がまだまだ、日曜日の全国を独占している。隣のチャンネルでは、東洋系の歴史あるボードゲームをやっている。
どちらも、見たい時もあろうが、物心付いた時から同じだと思う。従って、世界的にも日本人からアイデンティティが消失する原因を作っているような気がする。
それで、僕はテレビを止めた。歌を歌うのは嫌いではないが、日曜日の昼は雑音を耳に受け付けずに、鳥のさえずりを聞きながら公園を歩き、戻ってきたら、Y◯uTub◯で、「◯ほちゃんの山歩き」を見ていた。(かほち◯んには旧◯営放送の魔の手が)
悔しかったら、Y◯uTub◯からヘッドハンティングせずに、低山でも良いからAI使って山でも歩かせたらどう。もっとも、「ご老人の方はわずかなお金を振り込んで頂ければ、その場にいるAIが助けますから、安心して山を歩いて下さい」なんてその気もない声はかけないでね。間違っても「俺、俺だよ」なんて装わないでね♥
テレビなんておしまいさ。映画が復活するのを望む。
え、井筒監督こんなのも撮るんだ
大友康平も熱唱!
TVが良かった時代
さあ、歌おう!
どうしてこの曲を選んだのですか?
映画「のど自慢」(井筒和幸監督)から。
「のど自慢」と言えば、NHKのあの番組しか浮かばない。(汗)
その長寿番組に出場しようとする人たちの姿は、
涙ぐましい努力と、誰にも言えない想いを抱えている。
それは(たぶん)大勢の前で唄うと決めた「曲目」に詰まっている。
だから、得意な歌、好きな歌とは限らない。
誰かに伝えたい歌詞やメッセージがあったりするからドラマになる。
それを引き出してくれるのが、司会者のあの台詞。
「どうしてこの曲を選んだのですか?」
鐘の音が、合格であろうと1つ、2つであろうと、
喜んでいる人、がっくりしている人に、司会者は訊ねる。
私は、この理由を聞くのがなぜか好きだ。
実は「のど自慢」だけではなく、カラオケでも同じことを考える。
画面に映し出される、色が変わっていく歌詞を読みながら、
この人はなぜこの歌を選んだろう、と。
観終わった後に、予告編を何気なく眺めていたら
「つらい時、悲しい時、あなたの心の中の『応援歌』は何ですか?」
「よければみなさん、御一緒に!!」のキャッツコピー。
その応援歌を持っている人といない人、
生きてく上で、大きな差になってくるよなぁ。
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