二十四の瞳(1954)のレビュー・感想・評価
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叙情性と記録性の調和が生む、静かなる反戦映画の感動と美しさ
これは間違いなく戦後日本映画の名作の中でも上位に位置する木下惠介監督の代表作である。叙情派であると同時に社会派を特徴とする木下監督が、その両面を遺憾なく発揮して結晶化した、悲しくも美しい作品。戦争と人間のテーマを先生と生徒の温かい交友で自然に描いた感銘深さが素晴らしい。観る者の多くが涙を誘われる悲劇の反戦映画という平易な説明でも間違いではないが、それはあくまでこの映画の感動性だけを意味している。
木下演出の狙いは、内容が悲しい結末に進展することを承知させながら、しかも主人公始め子供たち含めた登場人物が泣く感情的なシーンが多く続く時代の表現として、作家の眼を非常に客観的な視点に置き、その涙の強要を抑えている。無理に泣かせる演出を一切しない、この冷静さがあるから、作品の世界観に観る者が自然に入って行けるのだ。しかも、この監督の抑制された視点には、戦争と言う避けられない渦に巻き込まれた小豆島の人々と自然の調和を美しく描くことで、失われたものに対する郷愁と悔恨の入り混じった社会批評が生まれている。それ故映像として表現できるヒューマニズム映画の理想的な形が、木下監督の中にあるといえるだろう。
瀬戸内海の穏やかな海に囲まれた小豆島の自然の美しさ。その恵まれた自然に溶け込むように生活する人びとは、貧しいながらも純朴に生きている。しかし、おなご先生が自転車で通勤するだけで噂になる時代の男女差別もある。初めての授業で紹介される子供たち12人の顔の表情がいい。一人ひとりの個性を的確に捉えたワンショットの雄弁さ。この子供たちの成長を温かく描いた物語の優秀さは、原作者壺井栄の小説の素晴らしさであるが、木下演出がそれを見事に演出している。大石先生が子供たちの悪戯で作った落とし穴で足を骨折して休職、子供たちが淋しさから先生に会いに2里の距離を歩くエピソード。映像は、偽善なくこの行動を描いている。5年生になり舞台が本校に替わってからは、母を亡くした松江の生活苦から学校を止めて本土の食堂の奉公に出される社会事情がある。修学旅行で尋ねた大石先生との再会で、故郷への愛着を吐露する松江の境遇の悲痛さ。他の子供たちが松江の存在に気付かず大石先生に駆け寄り、それを陰に隠れて見詰める松江。残酷な描写と言わざるを得ないが、ここに木下演出の厳しさがある。それを補うかのような次のショットは、港を離れる遊覧船を見送り手を振る松江の姿を移動撮影で表現したシーンだ。この厳しさと温かさの木下演出タッチが素晴らしい。そして卒業を前に、11人の子供たちの将来を憂う大石先生の日本社会への批判が静かに語られる。それは没落庄屋の娘の嘆きに共鳴する大石先生の心の美しさから生まれる人間の強さでもある。
映画は最後まで12人の子供たちへの謝罪の態度を通して、けして大石先生を英雄視はしていない。たった一人の教師の存在なぞ、社会を変える力にはならないのだ。そんなことは誰もが知っている。それに対する答えが、この作品で最も衝撃的で感動的な同窓会の場面に描かれている。戦争で全盲となった磯吉青年が、小学校入学の記念写真を手にとり同級生の位置を確認する。生まれ育った故郷の記憶と生活を共にした仲間への愛着をかたる傷痍軍人の心に寄り添うことが、観る物に求められるのだ。多くの人の心と体を傷つけるものが戦争ではないかと、感動の中で素直に反応することが、この映画の最大の美点である。
感傷に浸るだけではない木下監督の厳しい演出タッチは、技術面でいうとロング・ショットとミディアム・ショットが多くアップ・ショットが少ない。会話シーンの緊張感より、自然を背景とした画面構成を優先している。これが、戦前から戦後直後の日本の美しさを捉えた絵画のような映画に仕上げている。叙情性と記録性の見事な調和が、この作品の優れた特徴と言えるだろう。実の兄弟を子役に採用したキャスティングの丁寧さも作品の世界観を構築していて見事。そして、主演高峰秀子演じる大石先生の涙もろい健気さが作品の美しさを更に高めていた。
1978年 6月10日 フィルムセンター
戦争の悲劇と平和の尊さ
戦闘場面は全く出てこないが、痛烈な反戦映画。最後、平和になった日本なら希望が持てる。だから大石先生は再び教壇に立つ決心をしたのでしょう。
唯一気になったのが、大石先生が怪我をして長期欠勤することになるが、怪我の原因が生徒のいたずらだった。原作がそうなっているのだろうが、映画化する際はそれを変えてでも、例えば自転車から転倒して怪我をしたとかの理由のほうがよかったのではないか。
興味深いけど共感は出来ませんでした。
有名な作品ですが内容についてほとんど予備知識なく見ました。
昭和初期、島の分教場に着任した大石先生。颯爽とした洋装はカッコよく、またこの頃「洋装」というのがどれだけ奇異だったかもよくわかりました。この頃の岬には電柱もないんですよね。
以降、終戦後までの家屋や髪型、風俗の描写はとても面白かったです。
ただ、これっていわゆる「反戦映画」なんですよね。原作者と監督の「反戦」にかける思いがちょっと濃すぎて、他の方が絶賛されているほどには感情移入できませんでした。とにかくえぅえぅ泣きすぎ。颯爽としていた大石先生が最後は辛気くさいおばはんになっちゃって。設定上40歳ぐらいのはずなんですけど、表情はおばあさんですよね~。戦争の悲しさを描くために泣きのシーンはどうしてもふえるのかもしれないけど、もうちょっと別の描き方(明るく振る舞う中での悲しさ。みたいな)もできたんじゃないかとおもいました。類似テーマでいえば「この世界の片隅に」の方が数段デキはいい気がします。
あと、歌のシーンが頻度高くて毎回結構長いのも印象的でした。当時はこういう演出が一般的だったのかなぁ、当時の人たちはそれが感動的だったんだろうかなぁと思うと、鑑賞者の心に訴えるポイントも、当時と今とではずいぶん違うんだろうなぁと。
「1950年代前半に昭和初期を描いた映像」という意味でとても興味深かったですけど、「名画」というほどでもなく、でもこれが賞をいっぱいとったというのもまた事実なので、「なぜ?」というところをもう少し考察しても面白いかな、と思いました。
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