「日本人が日本人である限り本作は名作中の名作であり続けるでしょう」二十四の瞳(1954) あき240さんの映画レビュー(感想・評価)
日本人が日本人である限り本作は名作中の名作であり続けるでしょう
もう冒頭から涙腺が緩み放し、終盤は泣き通しです
お話は忠臣蔵並みに日本人なら誰でも知っている内容です
それでも映像を観た途端にこうなるのです
物語は小豆島の小学生の新入生と新任先生の交流を昭和3年から昭和21年、1928年から1946年の18年間を描くだけでこれと言った事件も出来事もありません
それでも観始めればエンドマークがでるまで微睡むことなく釘付けになり感情を揺さぶられるのです
この涙は一体何の涙なのか?
それがわからないのです
悲しいからでも、可哀想だからだけでもないのです
子供のころへの郷愁もあるのは確かですが、それでこれだけの涙がでるものでしょうか?
共感の涙と言うべき涙なのでしょうか
本作を観て外国の人が同じように泣くかというと、それはないでしょう
彼らが観ると前半は冗長に過ぎるし、後半はイタリア映画の戦前のファシズム党の有り様との類似による反戦メッセージを読みとれるぐらいではないでしょうか
本作は静かなる反戦映画とも言われます
確かに監督の製作意図に含まれてはいるでしょうが、それは決して主題ではなく結果としてそうなっているというべきものです
アカとかの戦前の思想統制のエピソードもありますが、21世紀の現代人の目からみれば戦後に分教場に復帰した先生の背後の壁に張り出された習字の文字はヘイワ日本です
右から左への違いだけで思想統制はあるのです
本作の主題はそこにはありません
小学校の卒業式で仰げば尊しは歌われなくなって長くなります
学校によっては国旗も無く、君が代も無いところもあるそうです
90年以上昔の日本は21世紀の子供達からみれば、どこか遠くのアジアの国の物語にみえるかも知れません
そんな右や左の思想を子供達に洗脳する機関が学校と言えばそれまでですが、そんなことは本作には全く関係ないことです
本作の主題は別のところにあります
それは日本人への讃歌です
貧しい暮らし、将来への希望、長じてその希望が破れる、それでも山も海も昨日と変わらずそこにあるのです
幼い友はいつしか壮年になり、家業に精をだし、将来の希望は叶わずとも今を幸せに生き、あるいは死に、あるいは身体に障害を負い、辛い思いをして孤独に暮らし、あるものは母になっているのです
日本人の暮らし、生活、物事の考え方、感じ方
それら全てへの讃歌です
小学校の唱歌、子供達の歌声は90年たとうとも日本人の情操のなかに奥深く刻みつけられているのです
新任の大石先生が子供達と汽車ごっこを唱いながら遊ぶシーン
それを一目観るだけで泣きそうになるのはそれなのだと思うのです
日本人が日本人である限り本作は名作中の名作であり続けるでしょう
忠臣蔵がそうであるように
もしも本作が評価されないような未来が訪れたとしたなら、その時の日本は最早日本人とは言えない日本人の国に成り果てているのだろうと思います
高峰秀子の演技力の凄さ、木下惠介の演出の見事さは筆舌に尽くし難いものです
冒頭の新任時代の大石先生の輝くばかりの初々しさ
そして終盤の40歳位の歳に過ぎないのにあえて定年間近の様に老けた様子に卒業生達の目に見える姿として演じ撮らせたその対比
本作の演技力と演出力は舌を巻くしかありません
日本人の心情の琴線を直接震わせるものです
日本人にしかわからないものがここにあるのだと思います