劇場公開日 1988年4月9日

「観終わった時、本作とバブル崩壊の相似形を2022年の現在に感じた 本作と同じ予感を感じるのだ」肉体の門(1988) あき240さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0観終わった時、本作とバブル崩壊の相似形を2022年の現在に感じた 本作と同じ予感を感じるのだ

2022年1月8日
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鑑賞方法:DVD/BD

1988年公開
正にバブル最高潮の最中

内容は戦後すぐの混乱期のお話だが、色彩や衣装、ヘアスタイル、享楽と退廃にバブルの雰囲気が滲んでいる

そして冒頭とラストシーンは現代の新宿副都心の超高層ビル群が写される
これは一体何を意味しているのだろう?
恐らく、戦後の繁栄は本作の内容のような焼け跡から出発したのだと言いたいのだろう
冒頭のナレーションはそれだ

本作の舞台は銀座辺りだから、新宿の超高層ビル群では場所が合わない
繁栄の象徴としてふさわしい絵になる新宿副都心を撮影したのだろう

しかし、21世紀の私達が本作を観ると違う意味を発しているように受け取れてしまう

それはバブル崩壊の予感だ

バブル崩壊は本作から数年後
日本経済が焼け野原のようになるのは10年後のことだ

この野放図なバブルという繁栄がいつまでも続く訳がない
そんな不安が本作に込められているように思えてならない
戦前の大日本帝国のように一挙に崩れさる脆いものかも知れない
そんな不安が漂っているように感じるのだ

それが本作を観る21世紀の人間に、本作はバブル崩壊で経済的な焼け野原になった日本を描いているように感じさせるのだ

不発弾の1トン爆弾は、損失飛ばしや不適切経理で隠しこまれた巨額損失や不良債権を暗喩しているように見えてしまうのだ

関東小政達の女の有り様は、非正規で取り残されていった氷河期世代とオーバーラップして見えてくるのだ

未来のことなんて誰にも分からない
本作の時点で10年後にそのような事になるなんて誰も予想すらしていなかったのだ
五社監督だって、これっぽっちもそんなことは、考えてもいないことは百も承知している

太平洋戦争の序盤のように破竹の勢いで、世界を丸ごと買い取るようなジャパンアズNo.1の時代
しかし日本の地価総額が全米のそれを上回ったとかニュースで流れたりした
さすがにそれはおかしい
行き過ぎていると誰もが思い始めていた
それでも野放図な巨額投資や、採算を考えていない巨大計画
そんなものが横行し始めてバブル崩壊に至る不良債権の不発弾が沢山仕込まれていたのが、考え見ればこの頃だったのだ

五社監督はその匂いを嗅ぎ取っていたのかも知れない
それが本作の演出に滲んでいるように感じてしまうのだ

廃墟となった銀座のビル群の外観や、袴田マーケットの闇市の再現度合いは素晴らしい
本作で一番素晴らしいのはこれかも知れない

とはいえ、やはり五社監督がやりたかったのはただひとつ、女達の赤裸々な生態だ
裸の女優を美しく撮ることだ
小政に旭日旗を毛布代わりに使わせたりするシーンもあるにはあるがそんな政治的なことや、バブル崩壊の予感なんて監督にはなんの関心もないのだ

さすが五社監督と感嘆する今風に言えばエモいシーンが多い
そこに本作の力点があるからだ
かたせ梨乃との名取裕子とのタイマンは語り草のシーンだろう

名取裕子の登場シーンは、どれも主役のかたせ梨乃を食っているほど印象に残った

ただ関東小政の仲間の面々の演技は、申し訳無いがわざとらしく臭くて頂けないなど、映画全体としての印象は今ひとつとなってしまうのはとても残念だ

本作とバブル崩壊の予感
そんなものはただの妄想だ
でも焼け野原の東京の荒廃した光景は、それを連想させるのだ
バブル崩壊から20年も過ぎ去っても焼け野原はまだあちこちに残っている
不良債権や不適切経理の不発弾の御本尊を抱いた廃墟ビルもまだある

バブル崩壊から20数年
なんとかここまでだましだましやり過ごしてきた
しかし、その巨大な不発弾が爆発するかも知れない予感がするのだ
本作のラストシーンのように

今また野放図に膨れていく財政赤字
コロナ禍でいくらでもお金がいる
財政出動しないと疲弊した経済が死ぬかも知れない
MMT理論が正しいという主張も聞くが、本当に大丈夫なのだろうか?

このように本作を観終わった時、本作とバブル崩壊の相似形を2022年の現在に感じた
本作と同じ予感を感じるのだ

それはまたも焼け野原になる予感だ

あき240