「戦後80年の夏に、先の大戦を振り返る」東京裁判 ノンタさんの映画レビュー(感想・評価)
戦後80年の夏に、先の大戦を振り返る
昭和40年生まれでもう直ぐ還暦である。戦後生まれで先の大戦とは無関係だと思って生きてきたけれど、歳をとるにつれて、戦後たった20年で生まれたこと、その影響下で生きてきたことを感じるようになってきた。
戦後80年の8月、恵比寿での上映を見に行った。デジタルリマスターのおかげでだいぶ見やすくなっているようだ。休憩を挟んで4時間40分、集中してみることができた。さまざまな学びと意外な展開も多かった。ショッキングな映像も多数だが、見ておけなければいけない映画だった。
考えることが多く、思考が止まらない。この映画で見えてきたこと、誰が裁かれて、誰が裁かれなかったのかについてまとめてみたい。
まず知らなかったこと。東京裁判で裁かれたのは、太平洋戦争ではなく満州事変からの15年戦争についてであった。そして裁かれたのは、陸軍と政府の指導者たち28名。その中でも中心人物は映画のポスターにもなっている東條英機だ。
15年戦争の開始時にはまだ彼はそれほどの権力者ではなかった。太平洋戦争では陸軍トップおよび首相として開戦の火蓋を切り、戦局があやしくなるまでその座にいた。
彼の責任は明らかでA級戦犯として死刑宣告を受けることになる。裁判での淡々とした態度が印象的だ。そして天皇の戦争責任については、政府と軍で決めたことだと否定する。これは当時のGHQとアメリカ政府の方針でもあって、その段取りを密かにレクチャーされたらしいことも説明される。そして東條はその段取り通り天皇の責任を否定する。
この裁判で裁かれたのは陸軍トップを中心にした軍と政府の戦争指導者たちで、裁かれなかったのは天皇陛下であったことが見て取れた。
ナチスドイツの指導者たちに対して行われたニュルンベルク裁判や戦後処理と比較すると、日本に対してはかなり鷹揚で限定的な責任追及に止まったことも見えてくる。
この映画では描かれないが、ドイツでは戦後新聞各紙が廃刊にされたという。そして日本ではメディアは裁かれず、戦後も反省の元にとの方針で、その影響力を現代に至るまで持ち続けている。本作を制作した講談社もその一社だ。
あと、もうひとつ裁かれなかったのは国民だ。満州事変以降、戦局の不利が明白となる大戦後期まで、国民は戦争とその指導者たちを熱狂的と言っていいほどの熱量で支持した。だからこそメディアは売るために戦争を強く支持し、戦意高揚に走った。政府も軍部も戦争をやめる選択肢などなかった。
そして、戦争末期から戦後、国民は東條と当時の政府と軍部、A級戦犯たちを批判した。
ルネ・ジラールが言うところの「欲望の模倣」による熱狂と、スケープゴートシステムによる処理の典型的事例がこの15年戦争の帰結、その舞台が東京裁判であったことが見えてくる映画でもあった。
もうひとつ、印象的だったのは、ただ1人、全員無罪を主張したインドのパール判事。平和への責任についての国際法などなく、後出しで裁くのは不当だと言う法律の専門家としての倫理からの抵抗であったようだ。それに、その責任を問うのなら、裁く側の欧米の国々も過去に遡って裁かれなければならないという主張でもあったらしい。
10冊近くに渡る彼の意見書的なものも印象的に映された。
この映画から見えてくることは、どうやら私たちは先の大戦をうまく総括できないまま、80年間を過ごしてしまった。そして記憶の風化に任せるしかなくなっているということではないだろうか。
僕にしても、こうして毎年夏になるとさまざまメディアで流されたり、推薦図書として提示されたものを読んで考察してみるくらいのものである。そのほかに時期にはほとんど忘れている。
もうそれでいいというか仕方のないことなのだろう。ただ、自分の生まれる前の出来事であっても、その影響を強く受けている。自分自身と今の日本と世界を理解するためには、こうして振り返り続けるしかない。
そうした思いを強くする鑑賞体験であった。
