劇場公開日 2023年2月25日

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「忍び寄る恐怖、炸裂する鮮血」DOOR 因果さんの映画レビュー(感想・評価)

4.5忍び寄る恐怖、炸裂する鮮血

2023年6月12日
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「Jホラーの幻の原点!」という胡散臭い謡い文句にまんまと乗っかってみたが、その通りだと首肯せざるを得ない傑作だった。登場人物の(あるいは我々受け手の)視覚と聴覚の合間を縫うように恐怖が忍び寄ってくるさまは、黒沢清の『CURE』や『回路』をも彷彿とさせる。

たとえば美しい団地妻に照準を定めたストーカーの男が、団地の階段に座り込んでドーナツを食べる序盤のカット。ストーカー男はドーナツの穴に指を突っ込み、それをケバブのように回しながら外側から齧っていく。ボーッとしていたら見逃してしまうようなほんの些細な所作だが、男がいかに異常であるかが一瞬にして窺える恐ろしいカットだ。あるいは音もなく回るドアノブを、団地妻の息子が玄関の内側から眺めているシーン。団地妻は家事に勤しむあまり男の接近に気づかない。

またストーカー男のイタズラ電話の内容から息子の見に危険が迫っていると思い込んだ団地妻が、幼稚園まで安否確認に向かうシーンもなかなか怖い。彼女はジャングルジムで友人と戯れる我が子を見てホッと胸を撫で下ろすが、その側方をストーカー男が悠然と通り過ぎていく。このように、視聴覚を欺くようにしてストーカー男は団地妻の生活を少しずつ侵犯していく。

何かがそこにいる、という索漠とした恐怖が最高潮に達したとき、ストーカー男が団地妻を背後から襲いかかる。ここのショットはすごい。カメラが客観的な(=誰でもない)記録装置なのかストーカー男の視点なのかはギリギリまで不明瞭で、白い本棚に黒い影が映し出されたときにようやく団地妻の背後にストーカー男が接近していることが判明する。

とはいえ団地妻の自宅という最終決戦場にこんなに早い段階で辿り着いちゃって大丈夫?と思っていたところ、そこへ運良く(あるいは運悪く)息子が帰宅。団地妻とストーカー男はしばし家主とその客人というロールを演じることになる。団地妻の最大の「弱み」である息子の帰宅はストーカー男にしてみればむしろ僥倖だ。彼は意気揚々と客人役を演じる。しかし一方で団地妻への牽制も忘れない。彼が吸っていたタバコをキッチンのサラダボウルに押し付けるカットが印象的だ。

死の恐怖に怯える団地妻、加虐の快楽に溺れるストーカー男、事情を何も知らない息子が夕餉を共にするシーンは滑稽なほどに気味が悪い。何か一つでも所作を間違えれば途端にすべてが崩壊してしまうであろう緊張空間。しかしその嚆矢を男に放たせてはならない。団地妻は2本目のビールを取りに行くふりをして男の頭を空きビンでしたたかに殴りつける。

そこから先は一転してイタリア映画顔負けのスプラッター・ホラーが幕を開ける。ドアを破壊する侵入者とそれに怯える弱者という構図はグリフィス『散り行く花』からキューブリック『シャイニング』に至るまで幾度となく反復された映画的クリシェだが、本作では趣向を変えてチェーンソー。ギュインギュインという回転音が斧以上の肉体的恐怖を煽る。しかし団地妻とその息子も負けじと応戦。鍵穴を回そうとするストーカー男の右手をミートフォークでめった刺し、ローラースケートの鉄部分で容赦なく殴る。

大怪我を負った男は玄関を開けて去っていく。安心した団地妻は息子を寝かしつける。しかし男はまだ家の中にいた。必死で家じゅうを逃げ回る女と、意識朦朧となりながらもそれを追いかけるストーカー男。彼らの追走劇を頭上から映し出した一連のカットが本作最大の見せ場だといっていい。真上からは部屋と部屋を仕切る壁が黒い線のように見えているのだが、ドアの有無はわからない。すなわち団地妻が隣の部屋に逃げられるのかどうかは、実際に彼女がドアを開けるまでわからない。我々は神の視点から俯瞰しているにもかかわらず、彼女の安否を先回りして知ることができないのだ。これは怖い。

最終的には団地妻を追い詰めたストーカー男を背後から息子がバットでぶん殴ることで事件は無事終息を迎えるのだが、息子のあまりにも無感情な表情が不気味だ。彼女が息子を抱き締めるでもその労をねぎらうでもなく「もう寝る時間でしょ」と言いつけて寝室へ向かわせるのは、もしかしたらこの子もまたこの男のように育つのではないか、という不安ゆえだろう。

また本作はホラー・スプラッター映画としてのみならず、団地映画としても意義が深い。

団地とは何か。それは高度経済成長の歪みである。首都一極集中を防ぐため、郊外やベイエリアに次々と打ち建てられていった団地は、はじめこそプチブルの象徴として持て囃されていた(=『しとやかな獣』)ものの、下町的な「ご近所」とは真逆の隔絶的な生活様式は次第にそこへ住む人々を孤独の狂気に追いやっていく(=『家族ゲーム』)。そしてプチブルとしての象徴性もタワーマンションに奪われた今となっては、団地はその寂れ具合からシチュエーションホラーの格好の題材と化す(=『仄暗い水の底から』『クロユリ団地』)。

ストーカー男の暴行を目撃しながら不干渉を決め込む隣室の老婆や、「誰か助けて!」という団地妻の絶叫だけが虚しく反響する共用廊下は、団地という空間の根本的な孤独さをあけすけに露呈させる。団地という言葉がネガティブな意味合いを帯び始めたのはこの頃(1980年代後半)からなのかもしれない。

それにしても素晴らしいロケ地を発見したものだ、とつくづく感心する。特に団地前の斜面に敷設された果てしなく長い階段がいい。その中腹に公衆電話があるというのもすごい。敢えて団地側から街を睥睨するショットを挟むまでもなく郊外であることが窺える場所だ。ここがどこであるのかを今現在必死に調べているのだが、なかなか突き止められない。もし知っている方がいらっしゃればぜひお教えいただきたい…!

因果