劇場公開日 1954年11月23日

近松物語のレビュー・感想・評価

全24件中、21~24件目を表示

4.5文楽好きなら必見です。

2018年11月4日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

近松作「大経師昔暦」を下敷きに、川口松太郎が戯作化したもの。「おさん茂兵衛」は、落語や浪曲にもあるが若干設定が異なる。
江戸時代の風俗と当時の常識、商家の主従のしきたり、しみったれでイケズな大店の旦那、主人に忠義を尽くしながらも報われない奉公人、借金をこさえながらも懲りない当主、漁夫の利を得ようと画策する同業者、、まさに近松浄瑠璃の世界。もうその設定だけで、最後がどうなるのか、文楽好きには筋道が見えすぎている。見えすぎるから「退屈」なのではなく、見えすぎているからこそ「見届けたい」と思うのが文楽好きの心情か。
華奢に見えたおさんが恋の欲情に燃えて信念の女に変わっていく様、常に控えめだった茂兵衛が我が身を賭してもおさんに惚れ行く一途さ、目が離せなかった。おまけに、今ではどこにもないだろうロケ地や小道具の数々も眼福。
ほかの方が筋書き全部書いちゃっているのが、とにかく最後に群衆の一人(同じ店の下女だった娘)がつぶやく一言が胸に詰まる。その言葉が、報われることのなかった茂兵衛とおさんへの最大級のはなむけだった。

できれば江戸時代という社会を知っていればさらに楽しめます。例えば、主人が腰に差した小刀を刀架にさりげなくかけるのだが、そこで、ああこの家は名字帯刀を許された大店なのだな、と気づくと、そのあとの「商人ならいいかもしれんが、武家なら不義密通は磔だぞ」におののく主人の姿にすっと納得できる。
しかしまあ、小川を渡るときに茂兵衛がしたおさんの抱え方には驚いた。そう、着物では背負うことができないからなあ。

追記(2023.2.5.)
角川シネマ有楽町にて。
はじめてこの映画を劇場で見てから、何度かDVDでも観、近松ものの文楽も観た。そしてこの日、香川京子さんトークイベントありということで、改めて劇場観賞。なぜ、これほどまでに、おさんと茂兵衛の二人に心惹かれるのだろう。これほど純粋に人を好きになれることへの憧れからだろうか。舞台はモノクロの江戸時代であっても、人を好きになってその人のためなら、その人と一緒なら、どうなっても構いやしない、そう突き進むことの尊ささえ感じてしまう。
上映後の香川京子さんは、齢90を過ぎているとは思えぬほどの清楚さと、一線で活躍してきたからこそ漂う気高さに満ちていた。話は溝口監督の人となりや、浪花千恵子さんとの交流など。正直、話の内容云々よりも生の香川さんのおしゃべりが聞けることのありがたさで胸いっぱいだった。

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栗太郎

4.0江戸時代もまだ庶民には厳しい

2016年2月6日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

悲しい

難しい

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Cape God

4.0引き算の美学

2015年12月22日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

江戸時代。大商人の以春の元で真面目に働く茂兵衛が風邪を押して床から起き上がる場面からスタートする。以春は女中奉公に出ていたお玉に言い寄っていたが、別宅を持たせると口説いた際に茂兵衛と夫婦約束をしたと言ってしまう。以春の妻であるおさんはカネに困っており、茂兵衛に相談し茂兵衛は以春にカネの無心を願い出る。怒った以春は茂兵衛を罵倒するが、お玉がそれは自分から申し出たことなのだと嘘をつく。おさんはお玉と話をして、以春がお玉に言い寄っていることを知る。おさんの心は以春から離れてしまう。茂兵衛はお玉にお礼を言おうとするが、そこに居たのはおさんだった。ふたりが一緒に居るところを見た同僚は、彼らが不義密通を重ねていると誤解する。ふたりは逃げることになる……これがプロットである。

溝口健二作品を観たのはこれが初めてである。充分に楽しめたかと言われれば答えに詰まってしまうというのが本当のところだ。あまり普段から古い映画を観ないことや、そもそも映画自体を観るようになったのが本当につい最近のことなのでまだまだ楽しみ方を分かっていない……なんてことは言い訳にもならないのだろう。だがもう少し言い訳を重ねれば、私は映画を観るにあたってどうしても「スジ」に目が行ってしまう人間なので映像美を楽しめないという弱みを備えてもいるのだった。その意味で溝口作品ならではの長回しやカット割りといった技法を楽しめたかどうかというと甚だ疑問である。

だが、最初は江戸時代の映画を観慣れていない人間として若干退屈さを感じながら観始めたのだけれど、次第にふたりの逃避行に引きずり込まれてしまったこともまた事実である。長谷川一夫と香川京子の演技が素晴らしい。ふたりが湖の上でいよいよ追い詰められて心中を図る場面があるが、おさんを演じる香川京子はいよいよという時になってそれでもなお生きていたいと願うようになる。不義密通は江戸時代にあっては死刑に処される重罪である(実際にそれを明示するシーンが登場する)。それでもなお生きたいという一途な思いを、迫力ある演技で表現していると思う。

長谷川一夫の演技もまた素晴らしい。男なのだけれど、何処か微妙に色気を感じさせる。男臭いというのではない。むしろ女形が似合いそうな中性的な佇まいを感じるのである。茂兵衛とおさんの関係は、奉公人とその奉公される側の妻という身分的に釣り合わないものである。ここにも前述した不義密通と同じくらい強烈なタブーがある。しかしふたりはそれを超えて愛し合おうとするわけである。その恋の持つ迫力に呑み込まれるようにして観てしまった。なるほどこれは今の目で見ても充分に迫力のある映画だな、と思わされてしまったのだ。

先述したように映画に関しては私はまだまだ素人なので、カメラワークや演出の妙を堪能したとは言い難い。こればかりは他の溝口作品を観て勉強することが肝要となるだろう。だが、これは褒め言葉としてはかなり安直な部類に入るものであることを承知の上で言えば、今の目で見ても全然古く見えない。悲恋の持つ強烈な力を、しかし今の映画の目に慣れた人間からすればむしろ淡々としたタッチで描き切った一作であるなと思わされる。これは早速『雨月物語』などの作品を観なければならないなと思わされてしまった。こんな監督を知らないとはもったいないことをしていたものだ。

最後の最後、ふたりは結局捕まってしまう。そしてふたりは縛られて晒し者にされてしまうわけだが、ふたりは手を固く握って離さない。そこにふたりの強烈な恋愛の証が記されている……先ほどから同じことしか書いていないが、未熟な観衆故にこんなことしか書けないのが限界だと思っていただきたい。ふたりの成り行きは先述したプロットの整理から分かるように半ばほどまでは偶然がもたらした悲劇なのだけれど、途中から彼らは自分から身を投げるようにしてその非業の運命に呑み込まれて行く。江戸時代の封建的な制度の狭苦しさがもたらすその悲劇は、繰り返しになるが本当に悲しい。

そんなところだろうか……いや、思い返してみても(いや思い返せば思い返すほど)この映画の凄味を感じさせられる。無駄なショット、シーン、台詞といったものが一切ない。引き算の美学で余剰を削ぎ落とされたことから生じる、淡々とした中にあって本当に重要な要素だけを説明抜きで抽出した映画だという印象を受けるのだ。だが、これ以上のことはもう語れそうにない。これもまた繰り返しになるが、私の映画鑑賞歴の浅さ故に解釈も必然的に浅はかになってしまうのだった。そんな中途半端な感想を駄文として綴って、この一文を〆たいと思う。

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踊る猫

3.5恋の熱源を活写

2015年5月22日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

泣ける

悲しい

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佐分 利信