他人の顔のレビュー・感想・評価
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顔に火傷の痕のある妹と兄の物語の方が心に残る
顔に火傷を負った主人公の男(仲代達也)の自己喪失感や苦悩より、彼が昔見た映画の記憶として現れる、顔に火傷の痕のある女性と兄のエピソードの方が心に残る。この不幸な兄妹のイメージが主人公が昔見た映画の記憶だというのは映画comのあらすじでわかった。
これを読まなかったら主人公の男性の物語とは別の、顔に火傷の痕がある女性のパラレルワールドのようなもう一つの物語だと思ったはずだ。でもこの兄妹のエピソードの方が主人公の物語よりリアリティーがあると思う。
主人公の男の自分の顔を失った苦しみは理解できるのだが、会話があまりにも理論的に過ぎて、どこか心理学の研究のような学問的な感じが強すぎて感情がついていかない。逆に兄妹のエピソードは、妹の孤独感と戦争の予感の恐怖が顔の傷痕にリンクしたような生々しさがあって、妹の心理描写に素直に共感できる。妹は火傷の痕が残る自分の顔から逃げたくても逃げることは出来ない、それは戦争の傷痕から逃げることは出来ないという意味にもとれる。
妹は戦争の恐怖におびえて兄に接吻を求めたように公式の粗筋には書いてあるがそうなのだろうか。妹が今の人生で得たものは自分を普通の女性として見てくれる人がいて、それは兄だったということ。だから唯一自分を人間として認めてくれた兄に妹は愛されたかったのだと感じたが違うのだろうか。最後に兄と愛し合ってこの世界から消えた妹のプライドと哀しみが強く印象に残る。
そしてこの兄妹のエピソードのパラレルワールド的な逆の物語が主人公の男と妻の話のように感じる。主人公は戦争を恐れるような人ではなく、でもそれは強さではなく、彼は戦後になっても戦争に負けたことや罪を認めることが出来ないエリート層の日本人の比喩なのかもしれない。主人公の男は妻を傷つけたのに自分の方が傷つけられたと思っている、主人公の男のこの感じが戦後の日本ということなのだろうか。顔に火傷の痕のある妹は愛を得たが世界から消えて、主人公は愛を得られずにまた戦争に向かっていくという意味なのだろうか。
お兄ちゃん、戦争まだ始まらないの?〜強烈なコントラストが絶妙な虚無感を生む
1966年公開、配給・東宝。
【監督】:勅使河原宏
【脚本】:安部公房
【原作】:安部公房〜『他人の顔』
主な配役
【顔に大ケガを負った男】:仲代達矢
【男の妻】:京マチ子
【マスクを作製した医者】:平幹二朗
【看護婦】:岸田今日子
【顔に痣のある娘】:入江美樹
【娘の兄】:佐伯赫哉
ほかに岡田英次、村松英子、千秋実、市原悦子、田中邦衛、井川比佐志、前田美波里
※ビアホール「ミュンヘン」の客に、安部公房と武満徹が紛れている。
1.他人の顔のマスク
超最先端技術(作業は手作業)で、ホンモノと見紛うマスクを作る医者。
「透明人間と同じだ」という。
違う顔になって生まれ変わる、
という夢を手に入れた主人公。
2.顔に痣のある娘と主人公との対比
娘は自ら死を選び、
主人公は人を犯そうとし、殺す。
娘の兄は狂乱し、
主人公の妻は泰然と夫を拒絶する。
このコントラストが切なすぎる。
社会的な地位もあり、豊かな主人公は
不慮の事故で顔に大ケガを負う。
マスクを手に入れ、自分の妻をナンパする。
しかし、妻は当然ながら気付いていた。
夫の芝居に付き合っていただけだった。
主治医は興味半分でマスクを作製する。
看護婦と不倫関係にあり、
妻に気付かれているが意に介さない。
左半面はこの上ない美貌。
しかし、反対側は醜い痣。
「お兄ちゃん、戦争まだ始まらないの?」
既存の価値観が無に帰す戦争勃発を願うくらいしか
夢を描けないのだ。
悲しすぎる。
世間の心無い中傷に傷つき、夢を持てず、
娘は死を選ぶ。
死の直前に兄と口吻を交わす。
かたや、金持ちの優雅な遊び。
かたや、貧しい者の絶望。
※追記
本作鑑賞後、原作を読んだ。
顔に痣のある娘は、作中作『愛の片側』という映画のヒロインである。なるほど、だ。
なお、この娘を演じた入江美樹は、のちに小澤征爾夫人となった。
3.まとめ〜私が気付いてないとでも思った?!
レントゲン写真が喋るようなシーンから始まる本作。
個人的には、
安部公房の世界観を見事に映像化できていたと思う。
また、共感が得られるかは分からないが、
不必要な寄りの画も少なく、ドライなタッチで
つげ義春の作品を見ているような気がした。
◆人間のあさましさや業
◆若さ故の閉塞感と絶望感
主人公と医師がビアボールで、ジョッキを傾けながら
どうでもよい?理屈を捏ね合う場面が象徴的。
マスクは匿名性、無責任、遊び、傲岸を象徴していた。
マスクレスは絶望、切迫、清冽、涙でしかなかった。
救いのない作品。人間の本質を描いていた。
『箱男』、『砂の女』に勝る作品。
強烈に印象に残った。
☆4.5
シュールで小難しい
マスク造形のリアルさも60年近く前とは思えない出来で、令和の今観ても古さを感じさせませんでしたね。
新文芸坐さんに「安部公房生誕100年 超越する芸術・勅使河原宏との仕事」と題した特集上映。初期代表作『砂の女』(1964)『他人の顔』(1966)を鑑賞。
『他人の顔』(1966)
勤め先の化学工場での事故で顔面が損壊した主人公(演:仲代達矢氏)が、損壊のため心が離れた妻(演:京マチ子氏)の心を確認するため別人のマスクを被り誘惑する話。
顔面を包帯で巻かれたビジュアルインパクトは十分、ホラー映画と見紛う本作品ですが、同作も阿部公房氏自ら脚本を担当、カフカの『変身』のごとくマスクをすることで段々と別人格になっていく主人公を仲代達矢氏が見事に演じています。京マチ子氏も悪女でない貞淑な妻を演じ役柄の幅広さを再確認しましたね。
また本作でも勅使河原宏氏の芸術性、カメラアングルは秀逸。
特に包帯をほどき醜い顔をそのまま撮らず、手前の歪曲したフラスコ越しで捉えるカットは主人公の荒れた心象風景も表現しておりましたね。マスク造形のリアルさも60年近く前とは思えない出来で、令和の今観ても古さを感じさせませんでしたね。
前衛的
亡くなった俳優がいっぱい出ていて、思わず「若い!」と言いまくってしまった。生き残っている仲代達矢は、まだまだがんばっていただきたい。
安部公房は難しそうで読んだことないが、映画を観ても難しかった。とにかく、いろいろ前衛的だった。令和に再製作しても、テーマは十分通用するし、今時点での新しさが出ると思う。もし作るなら、主人公を長谷川博己で撮って欲しい。医者は山本耕史、妻は長澤まさみで。
最後の方の、仮面をつけた群衆が圧巻。もしかしたら同じ人がぐるぐる回っていたかもしれないけど、あの画は良かった。銀座のビアホール「ミュンヘン」や、渋谷駅(たぶん)とか、街中の景色も懐かしい。京マチ子が雑踏の中にいても、やはりきれいで、一人浮き上がっていた。
BS松竹東急の放送を鑑賞。
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