大日本帝国のレビュー・感想・評価
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悪意すら感じる不快なフィクションとだけ言っておく。
俳優が可愛そう。
とだけ言っておくのだが、もうすぐ敗戦後80年の昭和100年の記念すべき年。
この映画の中で言われる東条英機の言葉。
「全ての戦争責任は自分ひとりにあり、天皇や他の者に責任を問うのは間違っている」
と言う本当に言ったとされる言葉が、
この映画のテーマである。
合わせて天皇陛下の責任問題だが、言うに及ばずである。負けるのが分かっている戦争を勝手にやらせる国家元首は歴史的にいない。
では、誰に責任があるのか?
分かっていても書けない。
戦争とはすべて経済が引き起こしている出来事だと見れば自ずと分かる。つまり、結果として潤った者がその戦争の勝ち組なんだろう。従って、そこに諸悪の根源があると考えている。
ヒトラー、ムッソリーニとこの世から消されている。従って、日本でもそれに見合った人物を消さねばばならない。東条英機はその犠牲者とする見方。1982年敗戦後35年。そんな事言える時代になったんだろうね。
戦争とは殺す側と殺される側の見解の違いはあっても結局は経済のあり方の違いだと思う。そして、
多くの場合、経済をコントロールする側に問題がある場合が大変に多い。
勿論、経済とは経世済民なのである。
タイトルなし(ネタバレ)
さよなら丸の内TOEIの上映で鑑賞。今回が初鑑賞。
昭和16年から太平洋戦争終結までの物語。
四人の青年。
ひとりは、陸軍士官学校卒の小田島剛一少尉(三浦友和)。
もうひとりは、京都帝大生での教会でクリスチャン江上孝(篠田三郎)。
いまひとりは、東京下町の理髪店の見習い・小林幸吉(あおい輝彦)。
最後のひとりは、生粋の戦闘機乗り・大門勲(西郷輝彦)。
かれら四人は、太平洋戦争のなかで、ある者は死に、ある者は生き延びる・・・
といった物語。
バリバリの右傾・右翼タイトルを冠していながら、バリバリの反戦映画。
前作『二百三高地』で、勝ち戦のなかで反戦を描いた脚本・笠原、監督・舛田のコンビは、今回は負け戦だけに反戦度は更に増す。
増しているのは反戦度合だけでなく、戦争に対する天皇責任も濃く、さらに反米意識も殊の外、強い。
ビリングトップは東條英機を演じた丹波哲郎だが、ドラマの主軸を青年四人に据えたので見ごたえが増した。
戦闘シーンも増して、火薬量も増した。
なにせ、閣僚中心のドラマだと、スペクタクルシーンは撮れないからね。
三浦友和と篠田三郎演じる将校ふたりが複雑な人物造形で、作品に奥行きを与えている。
特に、篠田三郎演じるクリスチャンの青年が「国から命じられて戦地に赴くよりは、自身で選ぶ。死ぬときは、君の名を呼んでもいいか」と恋人(夏目雅子)の名を呼ぶと誓いながらも、戦犯として処刑される際に「天皇万歳」と叫ぶ、その凄さ。
ハードボイルドながら、心底にヒューマニズムを抱えた三浦友和演じる将校も、三浦の端正な顔立ちが活きている。
あおい輝彦演じる一兵卒は、名誉の負傷で一時帰国するも「戦友とともに死ぬ覚悟」で再び戦地へ赴くものの、愛する妻子のために、なんとしてでも生き抜いていく。
西郷輝彦演じる戦闘機乗りは、やや類型的で、四人の中では割を食っているかもしれません。
男優陣中心の物語だが、
理髪屋・小林の妻を演じる関根恵子、
江上の恋人と虐殺される現地人娘マリアの二役を演じた夏目雅子、
沖縄から南方へ流れて来た女性たちを束ねる気丈夫女性を演じた佳那晃子
の女優陣も力演、素晴らしい。
特に、夏目雅子の感情豊かな演技には瞠目させられました。
情緒過多演出でみせる日本人の特質
太平洋戦争の開戦前から極東軍事裁判を経て東條英機の絞首刑まで、前線の兵士の様子、残された家族の様子、意思決定者たちの様子を交互に描いていきます。
主要登場人物は4人の男と3人の女。
男1:岩手生まれの陸軍少尉、小田島剛一(三浦友和)
女1:サイパンの沖縄料理屋の女、国吉靖子(佳那晃子)
やさしいイケメンの小田島は本作の中で唯一の理性代表です。ただ、これまでどんな困難な局面でも冷静だった彼も、最後の最後で自分を見失い自滅してしまいます。若い小田島は最期の地サイパンで沖縄出身の女、靖子と契を結びますが靖子は敵に見つかり自決してしまいます。
男2:元床屋の兵隊、小林幸吉(あおい輝彦)
女2:妻、新井美代(関根恵子)
小林は一般庶民代表です。戦場の過酷な現実を、家族を支えに生き延びます。厳しい戦中戦後を生きる肝っ玉母ちゃん美代を関根恵子が熱演しています。
男3:京大の文系学生、江上孝(篠田三郎)
女3:恋人、柏木京子・フィリピン人マリア(二役、夏目雅子)
江上はインテリイケメン代表です。同じクリスチャンの美人病弱絵描き、京子と恋仲に。二人はのんびり京都を婚前旅行(あんな時代にそんなことが出来たのか疑問ですが)。その思い出を胸に彼は自ら軍隊へ志願入隊し、特攻隊へ配属されます。現地では京子と瓜二つのフィリピン女性マリアと恋仲に。さすがインテリイケメンです。英語もペラペラです。戦後に簡易裁判で戦犯とされ銃殺刑に。
男4:開戦時の総理大臣、東条英機(丹波哲郎)
さすがにエリート軍人であるだけに、人前で感情は見せず、抑制した態度を保ちます。ただ、自分の家で一人になると、畳に端座してむせび泣きます。「お上」に忠誠を尽くすこと、それが軍人である彼の行動原理です。「お上」を守るため、すべての責任を一身に背負って死刑台の階段を登ります。「なむあみだぶつ…」と低く繰り返す彼の声が耳にこびりつきます。そんな東條英機を名優丹波哲郎が大熱演。彼の登場シーンだけは、本作に重みと冷静さが感じられます。
最後の御前会議。ポツダム宣言受諾と敗戦を受け入れる天皇の言葉に揃った閣僚たちはむせび泣き。天皇自身もそっと涙を拭います。大日本帝国の意思決定は「感情≫理性」を象徴するシーンでした。
本作には冷静に合理的に理性的に物事を判断するリーダーは出て来ません。みな熱く叫び、感涙に咽び、暑苦しい顔のどアップで情緒に流されていきます。彼らの言動を見ていると、みんな「感情にまかせて突っ走る」ひとばかり。もし戦争がなかったとしたら、彼らに大日本帝国憲法の改正はできたでしょうか。そんなこと言ったら暗殺されそうです。当時の日本人に自分たちの力で憲法を改正するなんて、きっとできなかったでしょう。外圧がなければ日本社会は変われないのかも知れません。
戦争は人を大量に動員する必要があり、そのためには理性よりも情緒に訴えかけます。音楽、軍歌が有効です。映画も観客を大量に動員する必要があり、そのためには大衆の情緒に訴えます。五木ひろしが有効です。満開の桜に重なる勇壮な音楽で始まる本作は、冒頭から日本人の情緒を刺激しまくりの演出です。戦争と映画、目的は違えど、情緒で人を大量に動かす点は似ています。戦後42年たって日本映画が戦争を描くとき、やっぱりべたべたの情緒まみれになってしまうのは、本質的にわれわれは戦争当時とそんなに変わっていない、ということかも知れません。
天皇の戦争責任や反戦思想や右や左からの批判や、いろんな見方がされる本作ですが、基本的には人物像に過剰な脚色を加え、日本人の情緒に訴えることに成功した大衆娯楽映画です。リアリズムは犠牲になっており、真面目な歴史的考察に耐えうるようなものではないと思います。ただ言えるのは、感情と理性のバランスを保つことが大切だと言うことです。特に国のリーダーと映画監督たちは。
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