「ある政治機関誌に連載されていたものが原作の様である。我が亡父はその...」戦争と青春 マサシさんの映画レビュー(感想・評価)
ある政治機関誌に連載されていたものが原作の様である。我が亡父はその...
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ある政治機関誌に連載されていたものが原作の様である。我が亡父はその原作を読んだ様である。この映画の事も言っていたのを覚えている。
『実際はあんなもんじゃない。爆弾は焼夷弾だろ。あんな低く飛ばない』と怒っていた。それで、付け加えて『日本人のすげー所はなぁ。この作戦を企てたアメリカ人に勲章やってんだぞ』って怒り心頭のようだった。
我が祖父(親父の親父)は大空襲の前に『もうすぐ、日本は負けて、この辺は焼け野原になるかもしれないから、小岩に引っ越すぞ』って言ったそうである。我が亡父は『ウマシカ親父め!非国民!!』と罵りたかったが、怖い親父(祖父)だったそうで、止めたとの事。我が亡父は、敗戦後、そんな事、隠す事なく東京大空襲の話として、耳ダゴになるくらい、ベラベラ喋っていたので、非国民の話も信用していないが、勲章の話は本当だとあとから知った。
リベラルな、人の映画であろうが
『平和は努力と小さな勇気を忘れるな』でない。と言う事。だから、雄犬に引っ掛けられるのか?
まぁ、リベラルな人の作った伝統的なプロパガンダ映画なのだが、日本人の戦後はこの程度で平和が保てたと言う事を評価して、次に繋げればと思う。
79年前の現在の時刻(午前10:30)の墨田区小名木川周辺は地獄の様な場所だったのだろう。我が亡父はどの様に移動したのか分からないが.今ぐらいの時期に上野の銀座線へ向うスロープを歩いていたそうである。周りには生きているか死んでいるか分からない者たちがいたそうである。その状況をもう少し詳しく聞いておけば良かったかと悔やんでいる。残念ながら、僕の話す話はみな受け売りである。
今日の日に亡くなった方々へ冥福を祈りたい。
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