「庵野秀明の魂がここにある」新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に nさんの映画レビュー(感想・評価)
庵野秀明の魂がここにある
最初に、この「まごころを、君に」という作品はTV版の旧劇における真の完結作品であり、新劇がある今においてはエヴァという世界の1つの結末を描いた作品である。エヴァがループ世界であるという設定がある今において、この作品単体で評価する事は非常に難しいという事を最初に述べさせて頂く。
まずこの新世紀エヴァンゲリオンには庵野監督の3つの心があると考えている。(故意的にマギシステムと被せている訳では無い…多分。)
➀子供心…これは主人公だけでなく多くのキャラに該当するが、どのキャラも欲望に素直で何処か捻くれていて、それでいて稚拙だ。如何してもアニメという創作の中では大人を大人らしく描きがちだが、庵野監督は違った。これは敢えてなのか、庵野監督が大人のイメージを持てなかった(我々と違った)のかは言及しないが、結果キャラ1人1人が生きているアニメとなった。
②オタクとしての心…庵野監督の作品は隙があれば、電車や鉄塔、戦車等が登場する。これは庵野監督が好きだからとしか言い様が無いシーンでも出て来るが、何故か私達鑑賞者は納得と理解を示してしまう。これは新世紀エヴァンゲリオンとの相互性が高いからに他ならない。何故か?新世紀エヴァンゲリオンは庵野監督のオタクを体現した作品であるからだ。
③庵野秀明の心…これの子供心と異なる点は庵野秀明は実際には大人でありこの社会の不合理、人間の邪悪さを知っているという点だ。だから子供心を持っていても決して子供には無い心の歪と空虚を持ち合わせている。その空虚(都合の悪い部分)は大好きな電車や戦車に、クラシック音楽が埋めている。これは私達鑑賞者も同様だ。この新世紀エヴァンゲリオンという作品を私達は目をかっぽじって夢中で鑑賞し、そして作品と庵野秀明の心の深さから空虚を味わう。そこに流れるクラシック音楽の救いと絶望。なんと恐ろしい作品か、我々はいつの間にか庵野秀明と同一になってしまっているのだ。まるで人類補完計画ではないか!
というつまらない冗談は置いておいて、あくまでこの作品はシンジの成長物語である。かっこいいロボット(人造人間)も、癖の強い登場人物も、ど迫力な戦闘シーンも、深い設定やストーリーも、この作品とクラシック音楽を合わせるという天才的な采配も、全てはシンジの成長物語の一助を担うに過ぎない。最も重要なのはこの作品に庵野監督の魂が込められているという事である。この子供心とオタク心と稚拙で邪悪で破滅的な文学性を持ち合わせている男が居たからこそこの作品は完成したのだ。
勿論、この作品は賛否が分かれる。上記に示した通り子供心を持つ庵野監督から見た自身と他人の醜悪な様も表現されているからだ。自己嫌悪に陥り、他人を信じられなくなる様なアニメを毛嫌いするのは決しておかしくないが、それを飲み込み表現したこの作品の価値の高さは相当なものである。更にはシンエヴァではその境地を超えたとも思える。これ程エヴァファンとして嬉しい事があろうか。
新世紀エヴァンゲリオンとはシンジと庵野監督と私達の心を同一とし、同じ希望と絶望を味わう作品である。であるからして、また明日が来る希望のコンテニューを庵野監督は結末として描いたのであり、それこそが庵野監督の最上級のまごころなのである。そして私達はオタクから1人間に戻りまた社会を生きるのである。
だからこそ言わせてもらう、おめでとう。
そして、ありがとう。全てのエヴァンゲリオン。
